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 私は別に、誰かのことを助けたいだとか思ってない。金を稼ぐため、この奇妙な能力を生かすため、生きていくため。人助けのためだなんて全く思ったことはなくて、だからこそ同級生が穏やかな表情で「弱きを助け強きを挫く」などと言った時は思わず頭を傾げてしまった。あのわがまま坊ちゃんの「正論嫌いなんだよね」という言葉に同意するのは、後にも先にもあれ限りだろう。
 しかし、そんな弱者生存を掲げた同級生、夏油傑にかつてのような優しげな面影は見られない。最近はひどくやつれ、任務の時は陰鬱な顔をすることが増えた。元より表情が死んでると言われる私ではあるが、今は夏油の方が表情が死んでいる。いや、死んだような顔をしている。生気がない、と言えるだろうか。死んでいるのは表情ではなく、あるいは──。
 その日はたまたま、夏油と任務を共にした。夏油は学生ながらすでに特級術師であるため、誰かと任務に赴くことは少ない。まだ準二級の私の昇級の確認を任されたのだと言う。学生で私と同級生なのにそんな重要なことを任されるということは、それだけ上からの信用があるのだろう。

「これでもうなまえも二級だね。おめでとう」
「……ありがとう」

 おめでとうと言う割に、その顔は全く晴れやかではない。祝う気なんてないだろうと思い、軽く礼を言ってぶっ飛ばした呪霊に近寄りしゃがみ込む。適当に呪霊の腕っぽいものを引っ張って、その身体に口付ける。犬歯が肉に刺さって、滲み出た血をちゅうちゅうと吸った。
 ──私の術式は、世にも珍しい吸血術式だ。自身で生み出す呪力は微量であるが、他者の呪力を変換し、自身のものにすることができる。相手の体の一部、特に血液といった体液を吸い出すことによって、呪力を取り込む特別な力。この術式を理解したから私は術師になれた。しかし、この術式を理解してしまったから私はただの人ではなくなった。
 小さい頃は、呪霊が見えるからと上手く社会に馴染めなかった。怖いものが見えるから、いつも何かに怯えていた。いつも誰とも目を合わせないように下を見て歩いてる子供のことなど、誰も好きにならない。子供ながらにずっと生きづらさを感じていた。高専の人にスカウトされてからは少しはまともに過ごせるかと思ったが、人は大幅に変わることはないと思い知らされた。人が人を食べることがタブー視されているように、呪霊を食べるなどという行為は術師してみればタブーであるようだった。呪霊を祓っているからまだ扱いはマシだが、私は相変わらず周囲に馴染めない。私が呪霊に噛み付けば、周りは獣を見るような目で私を見てくる。生きづらさは、変わらない。
 呪霊から口を離すと、夏油は至って不思議そうな顔で私に話しかけてきた。
 
「……それ、美味しい?」
「……いや、別に。美味しくない」
「だよね」

 逆に美味しそうに見えるのなら、夏油はゲテモノ料理でもなんでも食べれるに違いない。
 呪霊の血は別に美味しくない。なんの味かと言われれば例えようがないが、正直に言うとたいそうまずい。墨汁のような、泥水のような、牛乳を吹いた雑巾の絞り汁みたいな……この世の不味いものを表す言葉はきっとこれのためにある。

「美味しくないけど、こうしないと生きていけないし」

 私にとって呪霊の血は、食べなくてもいいお菓子なんかではないのだ。こうしないと生きていけない。呪霊を祓えない。呪霊を祓えなければお金をもらえない。お金をもらえなければ暮らせない。そうなれば生きていけない。家族すら頼れない私が生きていく術はこれだけで、でもこうやっている限りは私はずっと生きづらいのだと思う。ちゅうちゅう、ちゅうちゅうと血を吸いながら、しょうがないと諦めがついたのは高専に入って半年後のことだった。
 夏油は私に近寄ると、私の前にしゃがみ込む。私の顔に手を伸ばすと口元を指で拭って、そして笑顔を浮かべて私の頭をゆっくりと撫でた。その手つきは、少し覚束ない。

「夏油?」
「不味いのによく頑張ったね」
「いや、だから別に、そういうんじゃないし」
「でも我慢ならないだろう」
「……あんたもそうだから?」

 私の言葉に夏油の顔から笑みが消え、手が止まる。

「不味いんじゃないの、夏油も」
「……あー、なんでそう思ったの?」
「呪霊取り込む時、いつも吐きそうな顔してる」
「してた、かな。してたつもりないけど」
「私だって、不味そうな顔したつもりないし」

 「美味しい?」だなんて聞き方は意地が悪い。私が明らかに不味そうにしていたから、夏油はそう聞いたんだろうってことはわかっていた。
 夏油の手が下ろされる。頭から顔をたどって、つうっと小さく唇に触れて私の元から離れていった。そして夏油は俯いて、私ではなく地面を見つめてしまった。その姿に小さい頃の私のようだな、と他人事のように思った。ぽつりぽつりと夏油が小さく呟く。

「不味いよね、呪いの味は……」
「うん」
「誰もこの味を知らないんだ、私たち以外」
「そりゃあね」

 呪霊を飲み込む、呪霊を食べる。そんな術式そうあるものじゃないからしょうがない。

「誰のためにやってるんだって思うんだよ」
「……」
「こんな嫌な思いして、飲み込んで、祓って。でも弱者が私たちに感謝することがあったか?」
「……そんなん求めてないから、わかんないけど」

 夏油はとうとう地面を見るのすらやめて、頭を抱えてしまった。涙を流しているわけではないと思う。この男がそうするのなら、私はちょっと見てみたい。でも今の夏油は少し泣いているみたいだったから、私は思わず夏油の頭を撫でた。綺麗に纏められた髪の毛が崩れないように、ゆっくりと。

「私、なまえぐらいは仲間かなと思ってるんだよ」
「……仲間でしょ、同級生じゃん」
「そういうことじゃないんだ」

 夏油は私の手を掴んで、私の顔を見つめてきた。その目は過去に周りから向けられたものとは全く違った。慈しむような愛おしげな瞳がむず痒くて、私は夏油から目を逸らす。その先にはすでに萎びれた呪霊の残骸が落ちていた。
 ──本当は、夏油の言いたいことが少しだけわかる。私だって、なんであいつらのためにやってるんだと思う。私を邪険にしてきたアイツらのために不味いものを飲みこんでいるのに、周りから疎まれる理由は私にはない。私ですらそう思うのだから、弱者を守ろうとしてひたすら呪霊を祓ってきた夏油には耐えきれぬだろう。
 ならばせめて、私ぐらいは──夏油の気持ちに共感してあげよう。ゲテモノ食い同士、同級生同士、仲間同士。彼の熱っぽい瞳には、気づかないふりをして。

「高専帰ろ。美味しいクッキー買ったから一緒に食べようよ」
「……悟にあげなくていいのかい」
「いいよ。あいつどうせ安物でしょとか言ってくるし。それなら、五条より夏油にあげたいの」

 そう言えば、夏油は先ほどより嬉しそうに笑う。そのときの夏油は、私が見た中で一番優しい顔をしていた。




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