■ ■ ■


「ねぇ、あなた!ねぇ!!」

 痴話喧嘩かと思って銀時が後ろを向くと、同時に自分の袖が引かれていることに気づいた。袖を引く手を辿っていけば、少しだけ嬉しそうな、びっくりしたような顔の女が立っている。買い物に行った帰りなのか、片手にはスーパーのビニール袋が下げられていた。

「あなた、銀時くんでしょう?坂田、銀時くん」
「確かに銀時ですけどぉ……えーと、どちらさんで?」

 そう言うと、女は小さく笑った。「だよね、覚えてないよね」と気まずそうに笑った顔には、やはり見覚えがない。だいぶ前の依頼人か、あるいは酒の勢いで一夜を共にしてしまった爛れた関係か。
 それにしても、自分のことを銀時くんだなんて呼ぶ人間は珍しい。歌舞伎町の人間はだいたい銀さんとか銀ちゃんとか、万事屋の旦那などと呼ぶ。かつての仲間であった桂や高杉、坂本らは銀時と馴れ馴れしく呼ぶ。……ああでも、坂本は書面だとよそよそしく金時くんと呼ぶのだ。そんな風に銀時がひたすら記憶の中を掻き回していると、女は少しだけ笑って、こう言った。

「私、銀時くんと一緒に勉強してたのよ」
「……はァ?」
「松陽先生の開いた、松下村塾で」





 時間あるなら少しお話したいな、という彼女の言葉に、銀時は頷いた。
 松下村塾の頃の同級生──あのあと、皆がどこかに行ったのか銀時は知らない。男子達のほとんどは松陽先生奪還のために戦へと赴いた。その男達もほとんど戦の中で死んでしまった。それで残っているのがあの桂や高杉だと言うのだから、腐れ縁というのはどうにも不思議なものである。しかし、女子達はどうだったろうか。男子に比べれば女子はあまり数が多くなかったのだが、銀時はどうにも女子たちを思い出せなかった。まあ、家に帰って家の仕事を手伝ったのかもしれない。戦場についていくものはいなかったはずだ、だからこそ、覚えていないのもあるかもしれない。生死の淵を生き抜いた仲ならともかく、子供の頃机を並べただけの関係を大事に出来るような生活を銀時は送っていなかった。
 そもそも、銀時は当時、あまり女子と話すような子供じゃなかったのだ。(黙っていれば)綺麗な顔をしている桂や、雰囲気のある高杉はともかく、いつも死んだ魚のような目をしていた銀時が女子達から話しかけられることなど稀だった。

「銀時くん、すぐわかったよ。あの頃から全く変わってないもの」
「そ、そうかァ?」
「その銀髪も目も、変わらないね。身長はすごく伸びててびっくりしたけど」

 お前は変わったなとか、お前も変わらねェなとか、そんなことは言えなかった。銀時はこの女がかつてどんな子供だったか覚えていない。しかし、この女は銀時から見ても綺麗な顔をしていた。松下村塾にいた頃は、こんな綺麗な垢抜けた子供はいなかった。きっと変わっているのだろうと思って、「お前さんは変わったな」と銀時が言うと、女は笑った。

「私はみょうじなまえ……って言っても、銀時くんは覚えてないでしょう?」
「みょうじ、さん」
「そんな堅苦しくなくても。銀時くんの呼びやすいようにして」
「おう、悪ィな」

 女と話すのに慣れてないわけじゃない。だけど、同級生と話すのは緊張してしまう。それは銀時だって例外ではなかった。
 二人が腰を下ろしたのは、小さな団子屋だった。ターミナル崩壊後、この団子屋も一時は閉まっていたがしばらくすると営業は再開された。馴染みの味だから再開されてよかったと思うのだが、今はその馴染みの味すらわからない。それくらい、銀時は緊張していた。

「銀時くん、今何してるの?」
「万事屋っつー何でも屋やってる。……アンタは?」
「私は近くで女中やってるの」
「そうか」
「松下村塾を出てから寺子屋に行くことはなくて、奉公に出されて、そこから転々としてたの。そのままずっと江戸にいて……」

 その声は、少しだけ後悔が含まれている。さっきまで朗らかに笑っていたのに、彼女の眉間には小さく皺が刻まれていた。

「……銀時くんは、攘夷戦争に出たんだよね」
「あ、あー……昔、昔な!ほんのちょっとだけ、先っぽだけだから!」
「桂くんと、高杉くんも」
「あ、ああ、あいつらはもうずっぷりよ?深いとこまで行ってっから、戻ってきてねェから」

 桂と高杉のことは、きっとテレビのニュースで知ったのだろう。どちらも指名手配犯だ。桂は穏健派で通っているが、逃げの小太郎として名は高い。ほぼ毎日と言っていいぐらい真選組と鬼ごっこを繰り広げている。高杉は言わずもがなだ。鬼兵隊もろとも過激派として通っており、知らぬ者はいないだろう。
 かつての仲間がそんな風で、なまえはどう思っているのだろうか。それは銀時の知らぬところだった。

「みんなが、先生のことを取り戻そうとしてたのは、知っていたの」
「……」
「女の子たちは私たちじゃ戦力にならないからって、みんな家に帰ったわ。私も含めて。でも本当は、みんなのことが羨ましかった」
「そーかい」
「ねえ、先生には会えたんだよね……?」
「……」
「教えて、銀時くん」

 銀時は、先の戦いを思い出す。
 燃えた松下村塾。先生のためを謳って駆け出した戦場、敵も味方もともに倒れたあの戦場。仲間のために師を斬った崖の上。立ち塞がる師の顔を持つ死神との何度かの死闘を──それから、"吉田松陽"が死んだあのターミナルでの戦いを思い出していた。

「……まあな」
「先生、元気にしてた?」
「元気なもんか。ヨボヨボのジジイになってたよ」
「先生が?」
「おう。一人じゃ歩けねェ、どころか立てねェジジイにな」

 その言葉に、なまえは小さく驚く。当たり前だった。俺たちが知っている先生は朗らかで、子供たちよりもお茶目で、誰よりも強い男だった。剣道が強くて、拳が強くて、魂は誰よりも強くて──俺たちの自慢の先生だったと、銀時は確かに言える。しかし、そんな先生は最後の最後で弟子を守って死んでいった。その光景を、銀時は目の当たりにしている。

「でも、すげー強かったよ」
「ふふ、先生らしい」
「だろ」

 銀時くんいつも松陽先生のゲンコツ食らってたもんね、となまえは笑う。銀時はその言葉に苦笑いした。あれは痛かった。思い出したくもないが、今思えば大切な記憶であることに変わりはない。
 それからなまえはしばらく、昔の話をしていた。銀時くんはいつも寝ていた。きよちゃんは弟さんをおんぶしながら手習いを受けていた。安五郎くんは、みんなの中で一番ひょうきん者で。そういえば、桂くんは村塾きっての秀才ってみんなから慕われて──なまえの思い出話は止まらない。銀時は、そんな奴らもいたよなぁ、と久しぶりに同門に想いを馳せることとなった。安五郎とかいう奴は、結局攘夷戦争に出て戦死してしまったのだが、それをあえて楽しそうに語る女に教えるつもりはなかった。
 とにかく、銀時から見てなまえは随分と楽しそうに見えた。だというのに、再び、彼女の顔が曇る。

「それで……高杉くんは、いつも銀時くんと喧嘩してた」

 彼女のそんな顔を見て、銀時は思い出した──ああそうだ。たしかなまえは、いつも高杉のことを見ていた女子だ。

「いつも、いつもいつも、争ってた。二人とも剣の腕が立つから、勝ったり負けたりして」
「そんなこともあったな」

 それから、銀時はなまえについて芋づる式に記憶が掘り起こされていった。
 控えめな女だった。体力作り程度にしか剣を振っていなかった。男子の中で一番の秀才は桂だったが、女子の中で一番の秀才はこのみょうじなまえだった。いつも高杉のことを気にかけていたのに、自分から話すことはなかった。きっとこの女は高杉のことが好きなんだろうとあの時は思っていたが、今の顔を見るに、この女は今でも高杉のことを気にかけているのだろう。アイツがどうなったか知らないこの女は、きっといつまでも高杉のことを気にかけるに違いない。

「結局、あの戦いはどうなったの?」
「勝ち逃げされたよ」
「そっかぁ」

 ほら、その顔だ。銀時はその顔を見て、途端に何かが込み上げてくるのがわかった。

「銀時くんも高杉くんも、何にも変わってない」

 なまえにとっては、銀時も高杉も、等しく松下村塾の同門のままなのだ。いくら立場を変えようが、過去が変わらないように。あのテロリストのことを、昔の同級生として見ているこのなまえという女に、銀時は思う──先生の教え子だ。優しくありなさい。仲間を大切にしなさい。己の魂を護りなさい。そんなありきたりなことを教えられたが、その教えは確かに彼らの魂に引き継がれていた。

「江戸に来てから、松下村塾の子達とはもう会えないって思ってたの」
「俺もだよ。まさか、こんなとこでアイツら以外とバッタリだなんて思っちゃなかったさ」
「うん。私、銀時くんに会えて、本当によかった」

 なまえは笑顔でそう言うと、今度その万事屋さんに遊びに行っていい?と聞いた。

「おう、もちろん。犬の散歩から地球の平和を守るまで、何でもやるのが万事屋だ。同級生割と初回割ってことで、お安くしとくぜ」
「そう?じゃあ、必ず近々伺います。聞いてほしい話が山ほどあるから」
「おいおい、修羅場か?悪ィけど銀さん、爛れた話は聞きたかねェよ?」
「そんなのじゃないの。ただ……そうね、」

 ──昔話に、もうちょっと付き合ってほしいだけだから。
 なまえは変わらず笑う。その笑みは少しだけ松陽先生に似ていないこともない。彼女のことなどすっかり忘れていたというのに、その笑みを見て、銀時はあの松下村塾での日々を思い出していた。



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