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 五条悟が引き取った子供は伏黒恵と伏黒津美紀と、もう一人いる。それは何でもないただの家系、非術師の生まれのはずの、とんでもない"天与呪縛持ち"の子供・みょうじなまえだった。五条は、この数奇な子供と初めて出会った時のことを忘れることができない。
 祓えど祓えど、泉のように湧き出る呪霊。移動型で街を闊歩しており、等級はまちまちだがなかなかに数が多い。補助監督・伊地知潔高から言われた言葉に五条はため息をついた。

「それ、僕である必要ある?」
「えっと……」
「僕じゃなくていいよね?数が多いだけで等級的には最高でも1級に片足突っ込んだ2級程度。出戻ったばかりの七海でも間に合ったんじゃないの」
「しかし、上からは五条さんに….と」
「は?僕、特級だよ?なんで2級の案件やらされてんの?僕が忙しいのわかってるよね、伊地知ィ」
「お、おっしゃる通りです」

 数が多くても祓いきればいい。泉のように湧くといえど、封印が解けかけている宿儺の指だってそこまで呪いを集めることはないし、根を絶てば一時的にでも解除されるだろう。呪物があるのであればそれを封印すればいい。根本的解決しか意味はない。そのようなことを極めて陰湿に、嫌味ったらしく伊地知に伝えると、彼はいつもの怯えた声色で「お言葉ですが、」と言った。

「原因が、呪物ではないようでして」
「ふーん、随分なお言葉じゃん」
「それが、あの」
「なに?言ってみなよ」
「窓いわく、人が原因のようなのです」

 その言葉に、五条は呪霊を飲み込むかつての友人の姿を思い出していた。




「駅に行きたいのですか?」
「うん。僕たち観光しにきたんだけど、ちょーっと道に迷っちゃったんだよね。ねっ伊地知」
「えっあっはい」
「駅ならそこをまっすぐ行って、二番目の信号を右に……あっ、わかりにくいと思うので、良ければご案内します!」
「マジ?じゃあお願いしちゃおっかな」
「歩くとちょっと遠いですけど、大丈夫ですか?」
「ぜーんぜん大丈夫。じゃ、道案内よろしくね」

 五条が「あれだね、原因」と指さした先にいたのは、一人の少女だった。未発達の少女はまだ小学生の面影すら残っており、体躯より少し大きめのセーラー服を身に纏っている。着せられていると言った方が正しいその姿にアンバランスさを感じる。──いや、それよりも、夥しい数の呪霊の方が二人にとっては重要だった。五条は真っ直ぐその少女の元へ向かうと「ねえ君、駅ってどこかわかる?」とナンパの常套句のようなセリフを吐いた。伊地知はそんな言葉では警戒されるだろうなと考えていたが、彼の考えとは裏腹に、少女は至極素直に五条の言葉を信じたのだった。

「僕ね、五条悟っていうの。君の名前は?」
「私はみょうじなまえといいます!よろしくです、五条悟さん!……そちらの方は、えーと、たしか、いじち、」
「伊地知です、伊地知潔高といいます」
「伊地知潔高さん……よろしくお願いします!」

 知らない男ら(二人組。しかも片方は黒づくめ、目隠し、白髪、高身長、軽薄な態度と怪しい要素しかない)にそう易々と名前を教えていいのだろうか、と伊地知は考える。呪術師の我々としては彼女を呪いから助ける気しかないのだが、声をかけたのがもし悪い大人だったら彼女は一瞬で悪事に巻き込まれていたに違いない。観光地でもない長閑な田舎町に観光に来た男たちに、健気にも「こっちです」と指をさして案内してくれる少女。伊地知は心の中で「健やかに、そして理不尽な大人とは無関係に育ってほしい……!」と勝手ながら祈っていた。まあ、今まさしく理不尽な大人と関係を持ってしまったことは言うまでもない。

「ねぇ、なまえちゃん」
「なんですか?」
「君ってさ、方向音痴だったりする?」
「え?えー、えへへ、実はたまに……あっ最近はそうでもなくなってきたんですけどね!たまーに」
「そう」

 五条はそう言うとスマートフォンをタップする。何故か圏外、持ってるはずの予備のポケットWiFiすら繋がらないときた。そして次に目の前の信号につけられた看板を見つめれば、ここの地名とは似ても似つかぬ、そもそも言葉にすらなっていない羅列が描かれている。五条は目隠しをずらして、片方の六眼でそれを見つめた。
 五条らは本来道に迷っていたわけではない。駅からここまで来たのだから、元の道は完全に覚えていたし、「駅までの道を教えて欲しい」というのはなまえに声をかけるための嘘だった。だからこんな知らない道に迷い込むなんてことは、本来ならあるわけがない。五条が考え込んで「なるほど」と言ったのを、伊地知は聞き逃さなかった。

「呪霊同士が結びついて、それなりに複雑な結界を生み出してる、簡易領域と言ってもいい。厄介だな」
「えっ」
「僕なら余裕で祓えるけど、……なるほど、うん」
「あの、五条さん」
「なに?」
「その……根本的解決を」

 伊地知の言葉に五条は一言呟く。その言葉に伊地知は今までで一番、それこそ生きていて一番と言っていいほどに驚いた。ああ、これじゃあまた呪術師の世界の均衡が崩れてしまう。この自他ともに認める最強術師が生まれたのと同様の、とんでもない逸材が生まれてしまったのだ、と。

「んー、無理」

 ──五条悟は知っている。生まれ持ったものというのは、覆しようがない。五条悟は呪術師の中ではかの有名な御三家・五条家の生まれである。それだけでも恵まれているというのに、さらには相伝の無下限呪術とそれを使いこなすための六眼を併せ持って生まれた時点で、彼の最強伝説は始まった。呪術において何よりも大切なのは生まれ持った才能だ。どれだけ良家に生まれようが才能がなければ落ちこぼれと言われる世界で、この五条悟は二十数年生きてきた。
 そんな生まれ持った才能の一つに、天与呪縛というものがある。禪院家を出ていったかの者は、呪力を一切持たない代わりに類稀なる身体能力が身に備わっていた。何かを犠牲に何かを得るという、いかにも呪術らしい才能がこの世にはある。この天与呪縛を背負うものは一定数おり、身体が不自由なものもいると聞いている。しかし──しかし、だ。五条悟は、このような天与呪縛を見るのは初めてだった。呪いを惹きつけるだけの呪い。そのせいで生活もままならぬだろうというのは、この数分で痛いほどわかった。
 先ほどから何もないところで転んでばかりの彼女を見やる。転んだ拍子に彼女の足に呪霊があたると、呪霊はたちまち消えていった。その姿を見て、五条は「あ」と呟いた。

「君、呪術師の家系じゃないよね」
「じゅ……?」
「一般家庭の生まれか。じゃあもう一つ質問、その"化け物"はいつから消せる?」
「えっ……と、」

 なまえは五条を見つめる。この"化け物"が見えることを、昔から誰かに言ったことはない。物分かりのいい子供だったなまえは、物心ついた時にはすでに「これが見えることは言わない方がいいんだろうな」と理解していた。親にも友達にも言ったことのない秘密を、この男は最も容易く解いてしまった。それは、なまえにとって衝撃的でもあり──同時に救われた気持ちになったのだと、後程彼女は実感することとなる。その時は、うまく言語化できない喜びが、彼女の全身を駆け巡った。

「わからないけど……気づいたら。気づいたら、触ったら消えちゃうようになって」
「へえ。力を込めたわけでもなく?」
「はい、特には」
「あと他にできることは?」

 溢れ出る呪力、それからそれを無意識に操作するだけの才能。これだけ呪いを集めようが彼女が死ぬこともなく暮らしてきたのは、何を隠そうその天与呪縛のおかげだった。呪いを集める代わりに、呪いをいとも簡単に祓える少女。しかも誰に学んだわけでもないという。この少女は紛れもなく、才能に恵まれている。

「私がほしいなって思ったものが、手から湧いてくるんです。でも、難しいものは出てこない」
「へぇ、いいね」
「……それに、一番ほしいものは手に入らないの」

 なまえはそこまで言うと俯いた。先ほどまでの明るさはなりを顰め、その表情は哀愁に満ちている。しかし、すぐにパッと顔を上げて、五条らに笑顔を見せた。

「あっ、でも!このセーラー服は、ようやくもらえました!最近、一番欲しかったんです」
「……ようやく?今まで持ってなかったの?」
「はい!その、我が家はお金がなくて……ずっと体操服で通ってたんですが、先生が見かねて、卒業生の方から寄付していただけることになって」

 入学式はとうに終わっているだろうに、彼女は制服をやっと着れたのだと喜んでいる。よくよく話を聞いてみると、両親はすでにおらず祖父母と生活しているのだと言う。しかし話を聞く限り、引き取ってくれた祖父母は孫であるはずのなまえのことを可愛がっている気配はない。ロクに物を買い与えず、そればかりか召使いのようなことをさせられている。彼女の言う「体操服」だってお金のない祖父母がせめてもの思いで買い与えたというわけでもなく、なまえが新聞配達の仕事をしてその給金で買ったものだということだった。彼女は何気なく話したが、それを聞いた五条と伊地知は察した。この少女を早く助けなければ──と。

「ねえ、なまえちゃん。いやなまえ」
「はい?」
「僕んちに来なよ」
「へっ?」
「そうしよう、それがいい。僕の家なら美味しいご飯、お菓子、その他もろもろ……君が欲しいものは、なんでもこの五条さんが買ってあげる。恵と津美紀っていう友達もできるよ。どう?」

 やることが誘拐犯のそれと同じだ……と伊地知は思った。思ったが言わなかった。言ったところであとで「マジビンタ」と言われるに決まっている。そんな怪しさ満載の謳い文句(しかし実際、五条悟のバックアップがあれば何不自由なく生きていけるのも事実だ)につられる中学生も今時いないだろうと思っていたが、意外にも、なまえの反応は違っていた。

「あの、五条さん」
「なあに?」
「その……五条さんのお家に行ったら、コンビニおにぎりは買えますか?」
「え?そんなのフツーに──」
「本当ですか!?友達が食べてて、美味しそうだなーって思ってたんです!ツナマヨとか、エビマヨってやつがあるんですよね。あとなんだっけ……あっ、友達はネギトロってやつも食べてました!五条さんと伊地知さんは、食べたことありますか?」
「……」
「ま、まあ、私はそれなりに……」
「いいなぁ……どんな味がするんだろう、楽しみだなぁ……」

 なまえは目を輝かせて、頬を少し染めて言った。その姿に、五条の心は決まってしまったし、伊地知ももはや五条を止める気がなくなってしまった。

「……なまえ、伊地知」
「はい、五条さん」
「今すぐコンビニ行くよ、今日はぜぇーんぶ僕の奢り!伊地知、お前も好きなの買いなよ。ていうか買わないとダメ、なまえの前で仲間外れなんか無理」
「えっ私も……?」
「い、いいんですか?じゃあ、ツナマヨ買ってもいいですか?」
「いい!じゃんっじゃん買って!店の棚無くなるぐらい買っちゃって!」

 「その前にこいつら祓おうか」と言って、五条はすぐにその場の簡易領域を消し去り、呪霊を全て祓ってしまった。その間約数秒である。そのままなまえの肩を抱いて駅の近くのコンビニに入り、宣言通り商品の棚がなくなるまでおにぎりを買い、あげくスイーツまで買った。そしてその勢いでツナマヨおにぎりに齧り付くなまえの住う祖父母宅へ行き、「この娘は貰っていく!」という盗賊さながらの宣言をしたのは言うまでもない。



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