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「あっ!狗巻先輩!」

 任務に向かう直前の狗巻を引き止めたのは、狗巻の一個後輩である一年生、みょうじなまえだった。周りと比べるとひとまわり小さな体躯をめいいっぱい広げるかのように手をブンブンと振り回している。しかし手を振ることに夢中になっていたせいか、何かに足を引っ掛けたなまえは思い切り顔面から床へと滑り込んだ。

「おかかっ!?」
「あ、えへへ……大丈夫、大丈夫です!」
「高菜、こんぶ、……ツナマヨ?」
「家入先生のところ?大丈夫です、先生のお手を煩わせるまでもありませんから!」

 軽くピースをして「すじこ、ですよ!先輩!」と笑う後輩に狗巻は呆れたようなため息を吐いた。
 彼女は、一年生の中で最も明るいと言っても過言ではない。宿儺の器である後輩・虎杖悠仁も明るい部類に入るが、そんな虎杖ですら「みょうじ?あー、めっちゃ明るい!底抜けってああいうの言うんかなー」と言っていたぐらいだった。ちなみに、釘崎と伏黒に「どっこいどっこいだろ」と突っ込まれてはいたわけだが。この呪術師の世界において明るい人間というのは稀有だ。飄々として食えない人間なら五條悟を筆頭として少なくはないが、良心と愛嬌と笑顔を振りまく良心の塊とも言える人間は呪術師の世界にはなまえの他いないだろう。いや、世界広しと言えど、稀な人間なんだろうなと狗巻は思った。
 しかし、本人の明るさとは反対に、彼女の周囲は幼少期から不穏そのものだった。父親は蒸発、母親は事件により死亡、金にがめつい祖父母に身を売られ、挙句借金を背負わされ、彼女は呪術の道を進まざるを得なくなった。しかし、彼女には才能がある。彼女の天与呪縛はその一身に呪いを惹きつけ、ありとあらゆる不幸を身に受けるものだった。祓えど祓えど、彼女を取り巻く呪霊は消えやしない。しかし引き換えに、無尽蔵の呪力量を誇っている。呪力のコントロールも上手く、何より彼女の術式は呪力消費が激しいと言われる"構築術式"だった。五条悟が六眼と無下限呪術の組み合わせで最強になったように、なまえの天与呪縛と構築術式はピッタリと噛み合っている。彼女が一級になる日も近いだろう。
 先ほどなまえがなにもない所で転んだのは、確実に呪いのせいだということは狗巻もなまえ本人も気づいている。なまえが蹴飛ばした瞬間に祓われたらしい呪霊はもう消えていた。
 なまえが「あっ!」と言って、転んだ際に地面に投げられた袋を拾い上げる。その中に手を突っ込み「じゃーん!」と見せられたものを見て、狗巻はまた自分が呆れ顔になるのがわかった。

「ちょっとお腹空いて……あと、狗巻先輩の語彙にどうかなと思って買ってきたんです!」
「おかか……」
「これとかどうですか?卵かけご飯!」
「おかかぁ……」
「え、だめですか……?」

 否定の言葉に、なまえの顔が少しだけ寂しげになる。狗巻はその顔に弱いが、しかしこれ以上甘やかすわけにはいかないと思い強めに「おかかっ」と発した。
 なまえは定期的にコンビニでおにぎりを買ってきては、狗巻に語彙の提案をしてくる。しかし、そのチョイスが最悪だった。"爆弾おにぎり〜具材全種盛り〜"とか"コクうまニンニクチャーハン具材マシマシ"とか、正直日常会話には使いづらいおにぎりばかり見つけて買ってくる。つまり、彼女の善意は全く役に立ったことがなかった。

「じゃあ卵かけご飯は私が使おうと思います!」
「しゃけしゃけ」

 とはいえ、善意100%でできているような彼女を無碍にするわけもいかず、狗巻はこれを辞めさせることは一度もなかった。狗巻が使わないとなれば、どうせその語彙は彼女の元へ行くのだ。

「五条先生への提出物があるのでこれで失礼します!狗巻先輩、卵かけご飯、です!」
「しゃけー」

 彼女は来た時同様大きく手を振って、高専の建物へと繋がる坂道を駆けていった。
 どうせ彼女の“卵かけご飯"に意味はない。さよならの言葉は昨日は"エビマヨ"だったし、その前の日は"天むす"でさらにその前の日は"味たまご"だった。コロコロ変わる彼女のおにぎりの具は揶揄いでもなんでもなく、善意と尊敬が込められていることに変わりないのを狗巻は知っている。
 狗巻は彼女が走り去っていった後ろ姿を見つめた。引き連れている呪いが少しでも軽くなるように。あの可愛らしい後輩が、また笑顔でおにぎりを持ってきてくれますように──彼女の背中に呪いまじないの言葉を吐いて狗巻は任務へ向かった。



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