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「迷ってるの?」
「え?」
「熱心に見てるから」

 そう言ってトーマさんは私の顔を覗き込んでくる。言葉も表情も優しさに満ち溢れており、彼の人柄の良さが窺えるとともに私は自身の愚かさに悩まされることとなった。ああ、こんな薄汚れた恥ずべき気持ちを彼に伝えるわけにはいかないと、私は汗ばむ手でお品書きを握る。店主の女性に「もう少し待ってください」と焦ったように言うと「もちろん構いませんよ」と小さく微笑まれた。とはいえ、お二人には申し訳ないが迷っていたわけではない。トーマさんの距離が近すぎてお品書きがまったく頭に入らなかったのだということは私だけの秘密だった。
 「一緒にご飯にでも」という彼の誘いを受け連れてこられたのは、稲妻で人気の料理店・木南料亭であった。道中、彼は私を楽しませようと木南料亭にまつわる様々な話をしてくれた。お嬢も好きな店だとか、店主がなかなか勉強熱心だとか、たわいもない話である。しかしそのたわいもない話の中に、私にとって気がかりな点があったために、こうして今上の空でいるというわけで──というのも悩みの種というのはトーマさんで言うところの「お嬢」のこと。つまり、神里綾華様にあった。
 トーマさんにとって神里綾華様という方は主人に値する。モンドからやって来て行く宛もないトーマさんを家司として拾ったのは、綾華様ご本人である……というのは、彼と出会ってすぐに聞かされた話だ。主従の関係ではあるものの、綾華様とトーマさんは友人として対等な関係を築いているという。時に戦いで背を預け、時に食事を共にする彼らは紛れもなくかたい絆で結ばれている。それは会話の端々から、二人の醸し出す空気から、稲妻に来て間もない私ですらわかる事実であった。そんな彼らを実はただならぬ関係ではないかと噂するものも少なくはない。主人である綾華様はともかく、トーマさんのことを他所者だからと気に食わない人が社奉行の中にはいるらしい。長らく鎖国していた稲妻である。規制が緩和されたといえど染み付いた風習というのはなかなか抜けないもので、私も一人で街を歩くとあまりいい顔はされなかった。
 稲妻に来た初日、どこの所属かもわからない武士に因縁をつけられ、しばらく外を歩けなくなったことも記憶に新しい。そんな私を助けてくれたのがトーマさんだった。「俺も稲妻の出身ではないんだ、ここだと苦労するだろう」と優しく声をかけてくださった。一人だと不便も多いからと、熱心に私に付き添ってくれて、毎日毎日私を外に連れ出してくれた。彼のおかげで私はこの地に馴染めたと言っても過言ではない。単純な私は、そんな優しい彼のことが好きになってしまった。余所者同士なのにしっかりとこの地に根を張り、誰にでも優しくて、神の目に選ばれるほど強くて……なんてのは後付けでしかない。
 話を戻す。私はトーマさんのことが好きではあるが、綾華様と比べると、トーマさんと"特別"仲が良いわけではなかった。彼は誰にでも優しいが、それでも、主人である綾華様には特別優しい。主人だから当然と言えば当然だが、その優しさは"ただならぬ関係"と噂されるに相応しい。それが、ひどく羨ましい。有り体に言えば、私は──綾華様に嫉妬しているのだ。

「どれが気になってるんだい」
「あ、えっと、これとあとこれ……です」
 適当に指差したのを見て、うん、と彼は頷く。
「でも、どっちも食べるのなんてできないし」
「食べちゃえばいいと思うよ?」
「え」
「俺がこっちを頼むから、君はこっち。それを半分こすれば、食べれるだろ?」
「でも、そうしたらトーマさんが好きなの選べないんじゃ……」
「実は俺も気になってたんだよね、それ」

 「持ちつ持たれつって言葉が、稲妻にはあるんだよ」と言う彼の言葉には、やはり優しさが滲んでいる。気になってたなんて嘘だ。さっきお品書きで彼がしきりに見ていたのが私が見ていた頁とは別だったのを私は知っている。結局トーマさんは、私が指さした二つの料理を頼んでしまった。それは、私の気持ちを隠すために適当に指さしただけだとは言えずじまいだった。

「……さっきから上の空だね」
「えっ」
「もしかして、俺とご飯は嫌だった?」
「い、嫌じゃ……!」

 嫌じゃない、むしろ嬉しい。勝手にデートだと浮かれて、真っ先に着物を新調して新しい髪飾りを買いに行ってしまうくらいなのだ。しかしそれを口に出せるわけもなく、私は黙り込んでしまった。顔が熱くて、いまはトーマさんの顔を見れそうにない。
 沈黙が気まずくなって膝の上で手を擦り合わせていると、店主の女性が「トーマさん、今日のお食事を楽しみにされてたんですよ」と言った。

「素敵な女性とデートだから、とびきりおいしく作って欲しいって昨日……」
「えっ」
「待った!それは言わない約束じゃないか!」
「ふふ、代わりに今日はサービスします」

 もしやそれが目的なんじゃないかと思うくらいのしてやったり顔に「やられた」とトーマさんが頭を抱える。チラリと隣を見ると、少しだけ顔を赤くしたトーマさんと小さく目が合ってしまった。何か言わないと、何言えばいいの?素敵な女性とデートって、もしかして私のことなんだろうか。

「あの、その、」
「そうだよ。君と出かけるのが楽しみだったんだ」
「で、でも、デートって……あの、綾華様は、」
「お嬢?」

 そうだ、綾華様。綾華様はこのことを知っているんだろうか。もし本当に、噂通りにただならぬ関係──恋人同士だとしたら、私なんかはとんだ邪魔者である。トーマさんに限って不貞を働くなんてことはなくとも、もしかしたら綾華様の方がトーマさんのことを好きかもしれないじゃない。そうなれば、やはり私は邪魔者だ。
 トーマさんは私の考えを見抜いているかのように、「あっはっは!なんだ、そういうことか」と笑い出した。

「え?え……?」
「お嬢と俺は本当にただの主従だよ」
「えっと、でも」
「俺のことを気に食わない人が、変な噂を立てたことがあってね。お嬢も俺も若も否定してひと段落したんだけど、町の人がそれを聞いてしまったらしくて……たまーに言われるんだ、そういうこと」
「……」
「社奉行所の噂なんて、市井の人にしてみれば井戸端会議のネタになるってわけさ。困っちゃうよ、本当」

 私はその瞬間、再び恥ずかしさでいっぱいになった。つまり私の勘違いだったというわけだ。恥ずかしい、恥ずかしい恥ずかしい……!失礼なことを考えていたこと、それをトーマさん本人に指摘されてしまったこと。申し訳なさも途端に込み上げてきて私は小さく「すみませんでした……」と呟く。トーマさんは、変わらず笑っていた。

「謝らなくていい。お嬢とは何もないってことをわかってもらえればなんでもいいよ」
「はい……」
「それより、期待してもいいのかな」
「それってどういう──」

 どういうことですか、と聞こうとしたところで、店主が私たちの前に料理を運んでくる。「さあ、食べようか!」という彼の言葉に頷いてしまって、結局聞きたいことは聞けなかった。期待してるのなんて私の方なのに。これ以上期待したら、もっと勘違いしてしまうのに。トーマさんは私の気持ちをわかっているのか、いないのか、「おいしい?」と顔を近づけてくる──もう勘違いしてもいいや、と思ってその言葉にひたすら頷いたのだった。



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