■ ■ ■


「あの子に名前つけてあげないのか?」

 サテツが何気なく呟いた言葉に傷ついたのは、俺の弱さのせいかもしれない。側から見れば、幼い子供を名前で呼ばないのは一種のいじめや虐待に見えるらしい。可哀想だと言ったサテツの感想は尤もで、俺のせいでこの幼女が可哀想だと思わせているのだと自覚してしまう。
 今この場にいないあいつは俺が名前を呼ばなくても何も言わない。おいとかお前とか、そういう誰を指したわけでもない言葉に反応してしまうようにしたのは、紛れもなく俺自身だ。本当は早く、もっと早く名前をつけてやるべきだったのかもしれない。

「名前がないなら、退治人組合で名付けるっていうのはどうだ?」
「それアリね」
「……いや、それは、」

 それはダメだ。あいつの名前は俺がつけたい。そんな嫉妬じみた言葉を組合の皆に吐くわけもいかず黙り込むと、何かを察したドラ公が口を挟む。

「吸血鬼の名付けはやめたまえ」
「なんである」
「吸血鬼にとって、名前というのは特に大事なのさ。真名を知られることは命を握られたも同然……君らだって私の本名知らないだろう?」
「まあお前すぐ死ぬしな」
「だな。本名知らなくても殺せる」
「スナッ」

 組合女性陣の言葉の暴力で死んだ砂はさておき、俺が名付けをしない理由はそこにある。
 普通の子供としてあいつを見れば名前もなく可哀想な子供なのだが、あいつは千年の時を超える吸血鬼だ。名付けの意味を、幼いとはいえ吸血鬼のアイツが知らないわけがないだろう。つまりドラルクがジョンにしたように、俺がアイツを"飼う"というわけで──しかし、俺はあいつを飼いたいわけではない。それこそ、ドラルク同様一緒に住めればいいと思うが、ペットや使い魔のように使役したいわけではない。退治人らに無惨に殺され、一度罰を受けたあいつが、永遠から解放されればそれでいい。幼女の体で、シンヨコの子供やおかしな吸血鬼に囲まれて、この地で第二の吸血鬼生を謳歌してくれれば良いと思っている。もう二度と残虐性に脅かされないように──。

「まあでも、呼び名くらいなら付けていいんじゃないかね」

 回復したドラルクが生意気にもウインクをして言った。





「お土産は?」
「……帰ってきて真っ先にそんなこと言うやつには何もあげねぇからな」
「おかえり!」
「はいはい、ただいま」
「お土産!」
「これ、マスターのアイスな」
「わーい!」

 マスターの手作りバニラアイスが大量に入った容器を手渡せば、こいつは機嫌が良さそうに歌って飛び回っていた。転けてひっくり返すなよと言えば、大人しく胸に抱えてキッチンの方へと消えていく。早速食べるためにスプーンでも用意してるのだろう。アイスを前にすると、あいつはこの世で誰よりも子供らしく陽気になるのだ。

「相変わらずロナルドくんは彼女に甘い」
「あ?そんな甘やかしてねぇぞ」
「甲斐甲斐しく世話をしている時点で甘いのだよ。気づきたまえ」

 お前もな、と言いかけたがやめておいた。こいつの甘さは、同族に対する同情のようなものである。退治人である俺の"甘さ"はこいつとは根本が違うのだと、俺自身わかっていた。

「ドラ公、てめぇは比較的親に甘やかされて育っただろ」
「まあ、お父様は確かに甘いひとだけど」
「あいつは……そういうのなかったんだろ」
「彼女は真祖の一人だからねぇ。親がそもそもいないだろうし、眷属も作るタイプじゃないと言っていたから。家族はいないんじゃないか」

 ならばその代わりを俺が、と言いかけたところで、ドラルクは「やめたまえ、ロナルドくん」と遮った。

「そのような甘さは、流石に私が止めるよ」
「……」
「アイスを買い与えるのも、一緒に寝るのも止めないさ。呼び名を付けるのもね。ただし、彼女の家族になろうとするのだけはだめだ」
「何が違うってんだ」
「吸血鬼にとってなにより大事なのは血族だ。それくらいの意味がわからない男ではないだろう?君は」

 有無を言わさぬ顔だった。いつものふざけた顔が想像もつかないくらい真剣な表情をするものだから、俺は思わず黙り込む。こいつはすぐに死んでしまうクソザコ吸血鬼だと思っていたが、たしかにあの御真祖様の血を引いている高等吸血鬼なのだ。真実だけを残して、ドラルクはジョンを連れて寝室へ行ってしまう。ちくしょう、最後に嫌な言葉を残していきやがって。
 俺ではこいつの親の代わりにも、子供の代わりにもなれないということくらいわかっている。俺がこいつの家族モドキになるためには、俺がこいつの血を飲み、眷属となるしかない。
 しかし──しかしだ。家族のなり方なんて、それだけではないはずだ。吸血鬼にその道理が通じなくとも、人間の道理ならば通ずるはずだと信じている。信じるなどという言葉がそもそも吸血鬼に通るかと言えば、否ではあるけど。

「ねー、ロナルドもアイス食べる?」

 ひょっこりとキッチンから顔を出して、あいつが言う。俺が要らないというのを見越してこういうことを聞くのだから、この子供はタチが悪い。

「いる」
「えっ、だ、だめ!」
「じゃあ聞くなって」
「一口、……半口ならいーよ」
「渋々じゃねーか、じゃあいらないって。お前のなんだから全部お前が食え、な?」

 俺もう歯磨きするから、と言えばこいつは嬉しそうに笑った。やはり、思う。この幼女に束の間の休息と安心と、家族を与えてやりたい。退治人である俺が吸血鬼の眷属になることはできないだろう。世間体もあるし、退治人としての俺のポリシーにも反することだ。
 なあ、と声をかけると、こいつは俺の方に嬉しそうに寄ってくるのはいつものことだ。長いこと死んでいたこいつは、名前でなくとも俺に呼ばれるのが嬉しいのだと言っていた。誇り高き吸血鬼と言えど、人間に知られていないと力が弱まるのだと。力を無くしたばかりで言うことではないだろうが、俺はそれを聞いてから出来るだけこいつに声をかけるようになった。その度に、犬が尻尾を振るようにこいつは長い髪を揺らしながらやって来る。

「お前さ、名前欲しいか?」
「名前?」
「おう。名前っていうか、まあ呼び名みたいな」

 そう言うと、こいつは小さく下を向いた。幼い子供が綺麗な服を着せられた時みたいに、恥ずかしがっているようにも見える。手を後ろで組んで、その場で小さく足踏みをしている姿は、何ともいじらしい。

「それ、ロナルドがつけてくれる……?」
「お?おう、まあな」
「そっか……」
「まあでも、俺ネーミングセンスないし。サテツとかマリアとかの方が……って、あいつらも大した名前つけそうにないけど」
「……」
「まあ組合のみんなならさ、いいのつけてくれるんじゃないか。あいつら、お前のこと好きだし」
「……」

 照れた姿は変わらない。普段とは打って変わった姿に、俺も少し調子が狂う。それでも蚊の鳴くような声で呟いた言葉を俺は聞き逃さなかった。

「ロナルドに、つけてほしい」
「え、」
「だめ……?」

 期待に満ちた瞳が痛くて、俺は胸にこいつを抱きとめた。
 ちくしょう、何が可哀想だ。こいつを可哀想にさせていたのは紛れもなく俺自身だった。俺の弱さがこいつを可哀想にさせていたのだとようやく気付く。サテツが何気なく呟いた言葉に傷ついたふりをしていたが、今まさに傷ついていたのはこいつだったのだ。ちくしょう、ちくしょうちくしょう、ちくしょう──!
 それでもこいつは、そんな俺を慕ってくれている。自惚れでも勘違いでもない。生物の中で一等好きだと言ってくれた女の子の気持ちを無碍にできるほど俺は酷い男になれなかった。ああ、これが甘いってことなんだろう。きっとドラルクに馬鹿にされるに違いない。

「名前、考えるから」
「うん」
「もうちょっと待っててくれ」
「……わかった、待ってるね」

 早くつけてやらないと。逃げてばかりなのは、新人の頃で終わりなのだ。そんなことを思っていると「遅れたらフクマさんに言いつけるから」と笑顔で言われ、俺はますます早くつけなければならなくなった。これは確定事項である。八つ当たりに無邪気な幼子の頬を伸ばしてから、俺は机へと向かった。
 フクマさんにだけは殺されたくなくて、必死で半紙に筆と墨で思いつく単語を書き連ねていたら、気付けば朝になっていた。

「ロナルドくん、朝食の時間……あれ?寝てないのか、君」
「俺の命がかかってるのに寝れるかよ……!」
「ロナ戦の締め切りはまだ先だろうに。ていうか墨だらけじゃないか、それであちこち触らないでくれよ」
「うるせー、わかってら……」
「どうだか」

 吸血鬼とは言えあいつは人間と同じように生活しているから、そろそろ起きてくるだろう。四苦八苦して選んだ名前だ。あいつが気に入らなければ再考になるが、気に入ってくれたら万々歳だ。眠たげに瞼を擦って起きてくるあの幼女に、少し早めの誕生日プレゼントをあげよう。

「おはよー……」
「おはよう、朝食できてるよ」
「たべゆ……」

 さあ、息を吸い込んで。

「おはよう、なまえ」
「えっ──」

 開かれた目の輝きを、上がった口角を、俺はきっと忘れない。不死でなくとも灰になろうとも、きっと一生覚えていられるに違いなかった。



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