■ ■ ■


 彼女──彼女には名前はないから私は彼女や君と呼んでいる──は、吸血鬼としては珍しいくらい馬鹿正直な女性だが、時折意味のない嘘を吐く癖があった。
 ロナルドくんには「まあ嘘なんだけどねぇ?」と宣っていたが、現地の吸血鬼退治人に襲われて力を失ったという話はきっと事実だろう。その退治人もロナルドくんによく似たゴリラなのだろうか、彼女ほどの吸血鬼を瀕死に追い込むとはなかなか恐れ入る。とはいえ穏健派吸血鬼である彼女を退治するなど何かしらの事情があったに違いないが、それを肯定するかどうかは別だった。

「君、朝ごはんだから起きたまえ」

 彼女を起こす役割は私だった。ロナルドくんでは起こすことのできないほどの寝汚さを彼女はもっており、ついでにいうと寝たふりをすることもあるためなおさらタチが悪い。ロナルドくんが一度彼女を起こそうと躍起になったこともあったが、機嫌を悪くした彼女が台風を呼び、変態が放たれ街に蔓延り、新横浜はそれはそれは地獄絵図のような有様で……話すと長くなるため割愛させていただく。
 ともかく、彼女は上手く起こさなければならないのだ。いくつかのコツがあって、それさえクリアして仕舞えばなんとかなる。

「残念だ、今日の朝食はホットケーキなのに」

 その一、こちらに関心を持たせる。まずここが勝負どころ。お腹を空かせた腹ペコお嬢様には、朝食のメニューを伝えれば聞く耳を持つのだ。

「ロナルドくんが仕事でいないから百段ホットケーキ挑戦しようかと思ったんだが……私とジョンで楽しむとするか」

 その二、彼女の好きなことを提案する。彼女はサプライズやドッキリといったNuTuberが好きそうなことが好きだ。ロナルドくんは「俗世に染まった吸血鬼なんて夢がねぇな」とか言っていたが、こう見えても吸血鬼は好奇心旺盛で新しい物好きである。それは彼女も同様だった。

「そうだジョン、アイスを乗せようか。昨日ロナルドくんが買ってきたレディーヌーデンをしこたま乗せて朝から豪遊といこうではないか」

 その三、魔法の言葉であるアイス。これさえ口にして仕舞えば、こちらの勝ちというもの。ロナルドくんに殺されるのは私なのだが、彼女に殺されるよりはマシだろう。ヌー、と鳴くジョンを抱えて踵をかえしたところで、彼女は我慢ならないとでも言うかのように飛び起きた──文字通り、起きて、飛んで、こちらへ突っ込んできた。

「ジョンばっかずるーいっ!!」

 私の額に彼女の頭が突撃。あっやべ、と思った時にはもう遅く、私の身体は砂になる。ヌーヌーというジョンの鳴き声と彼女の拗ねたような声が聞こえた。



「百段ホットケーキとか嘘じゃん」

 ぷっくりと膨らんだ頬。これは拗ねているからと言うわけでは無く、口の中にホットケーキがこれでもかというほど詰め込まれているからだった。
 あのあと彼女はジョンと共に私をかき集め、私の身体が再生されるとすぐにフライパンを手渡してきた。よほどお腹が空いていたらしく、普段は手伝いなんか一切しないのに皿と食器を出し、テーブルを拭いて、お行儀よく着席していた。普段もこれぐらい素直ならありがたいのだが、残念なことにこのお嬢さんのワガママは御祖父様を超える時がある。

「ねぇドラルク。アイス追加していーい?」
「少しならね。あんまり食べるとロナルドくん怒るから」
「はーい」
「本当にわかってるのか、君」
「はいはーい」
「はいは一回だと言っているだろう!」

 ……まあそれにしても、随分丸くなったというか。彼女は穏健派ではあるが、彼女の気まぐれとワガママは国を超えて噂になっていた。うちの御祖父様とどっこいどっこいとは聞いていたが、まさかそれが原因で退治されたなんてことはあるまいな。

「君、なんで退治されたんだっけ」
「……されてないし!」
「いやされてるじゃん。嘘はよくないぞ」
「いつも死ぬドラ公には関係ないもんねー」
「ロナルドくんの真似するのやめたまえよ」

 退治なんてされてないもん、とホットケーキにいちごジャムを山ほどかける。かけすぎて赤く染まったホットケーキを頬張れば、口の端にべっとりとジャムがついていた。口元の赤、きらりと光る犬歯。愛らしい顔をしているが、私の同族だ──たしかにその姿は吸血鬼そのものであった。

「あんまり覚えてないんだけどー」
「ふむ」
「……男をね」
「ほう」
「誑かしたからだってー」
「誑かした?君が?」
「知らなーい!私してないもん、そんなこと」

 彼女が男を誑かせるとは思えない。たしかにチャームが使える吸血鬼はいるが彼女は使えないし、男を振り回すならともかく懐に入り込むのは苦手なのだ。はて、と思い話を聞いてみたが、どうにも要領を得ない。本当に彼女が何かをしたわけではなく、何らかの形で恨みを買い噂をでっち上げられて退治されたのだろうというのが私の見解だった。

「でも君、観光客とは仲良さそうにしてたじゃないか」
「ファンサ……?は大事なんだって!おじいちゃんが言ってたよ」
「おじいちゃん?君の?」
「え?ドラルクのだけど」
「私の!?なんで!?どうやって!?」
「RINEで教えてくれたぁ」
「御祖父様とRINE交換してるのか!?」

 ほい、と彼女が見せてくれたスマホには確かにおじいさまとのトーク画面が写っている。例のスタ爆を難なくかわし、一体何スクロールすればいいんだと言うほどのトークラリーが続いていた。1分間にどれだけ話しているんだ、まさに即レス、暇な吸血鬼ほどは恐ろしいものはない。よく御祖父様とRINEできるなぁという感想が口から溢れそうになったが、いつどこで聞かれているかわからないため口をつぐんだ。おっと危ない、セーフセーフ。
 少女は私の心配などつゆ知らず、ホットケーキを一心不乱に貪っている。

「で、男ってのはどこのどいつなのだね」
「だーかーらー!そんなことしてないって言ってるでしょ!?」
「心当たりはないのかね。現地で付き合ってた男とか」
「ないもん」
「そうか。でも君、顔と愛想だけは良いしなぁ。勘違いさせるようなことを言った覚えは?」
「そんなの勘違いする方が悪いし!」
「ドヤ顔……まあそれは確かに」

 吸血鬼の言葉を信用するな、ということだ。彼女はふふんと得意げな、シンヨコキッズによく似た笑みを浮かべる。そしてその笑顔のままなんでもないように「だからね、食べちゃった」と言った。放課後のマックでの女子高生の会話のようなテンションで言った。

「は?」
「うるさかったからね、食べちゃったの。たぶん。あんまり覚えてないけど」
「それは、血を吸いとった……ってことかね?」
「まあうん、そゆこと」
「全部?」
「うん、全部」
「うそぉ……」
「ほんとぉ」

 そりゃ君、退治されるよ、と私が言えば、彼女はキョトンとした顔で私を見つめる。無垢な瞳だ、巨悪を知らぬ子供のような純粋なまなこ──ただそこに、人間としての倫理観が備わっていないと言うだけの話、それだけなのだ。アイスクリームやホットケーキを食べるように、彼女は人を喰らう吸血鬼だ。訂正しよう、彼女を穏健派と言ったことを。穏健派だというのは嘘ではないが、本当でもなかった。

「だから、退治されてないって言ってるでしょ!」
「でも本来の姿を失うくらいなのだろう?それは退治されたことと同義では?」
「死んでないもん!」
「いや、君クラスの吸血鬼はそうやすやすと死ななくて当たり前だろう」
「っ……すぐ死ぬくせに生意気!」

 ドラ公なんて知らない、とぶつぶつ文句を垂れながら、彼女は机に置いておいたアイスの箱に手をかける。ディッシャーを無視して手にしていたスプーンをそのまま刺すと、丼をかき込むかのようにアイスを飲み込んでいった。ああ、ロナルド君が買ったちょっとお高めのアイス、さようなら……まあそもそも全部食べ切る予定だったんだがね。それが早いか遅いか、ロナルドくんが食べるか私が食べるか彼女が食べるかの違いなだけで。食べ終わった彼女は満足そうに腹をさすっている。
 ロナルドくんがこの事を知ったらなんと言うだろう。君が可愛がっているその吸血鬼は幼女の皮を被った、人を殺すことになんの躊躇もない化け物だということを。どこの誰だかわからない他国の退治人のように彼女のことを殴るのだろうか。彼女の心臓の拍動を止めるため、銀の弾丸でも撃ち込むのだろうか──いや、どちらもしないのだろうな。
 子供に言い聞かせるように「人を襲ってはいけない」と懇切丁寧に説得するだろうことは目に見えている。それどころか、新横浜で彼女が人を襲ったら自分が責任を取りそうですらある。ロナルドくんはそういう男だ。結局、あの男はこの幼女に甘いのである。

「……あ」
「どうした?」
「ロナルドのアイス、あと一口しかない」
「なにっ!?」

 彼女がそう言って見せてきたアイスのカップはほとんど姿を消していた。あと一口しかと言った通りの分量しか残っていない。彼女が怒られる前に私が怒られそうだと、後のことを考えるとキリリと胃が痛くなった。きっとまた砂になることは間違いないのだから、それならロナルドくんが帰ってくる前に私が買いに行くのが吉だろう。

「ねー、これ残しとく必要ある?」
「ああいや……食べちゃっていいよ」
「やった!」

 掬い取ったアイスを大きな一口で齧り付く。彼女が口つけるのは永遠にアイスだけでいい、そうすれば、私もずっとここに住んでいられるのだから。彼女の煌めく瞳に、少しだけ希望を抱いていた。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -