対岸の火事


 神野の悪夢から少し経ち、はじめてのヒーロービルボードチャートJPだった。私の上司(例え話だ)であるところのミルコさんは、前回からランクアップしてNo.5にランクインしたとのことで、その会場に呼ばれていた。もちろん、マネージャー(周りからはそういう認識らしい)の私も一緒である。

「じゃあミルコさん。登壇した後は、あんまり変なこと言わないでくださいね」
「おう」

 ──絶対にわかっていない!
 敵に対して、ライバルに対して闘志を燃やすその姿は勝気なバニーとか言われていて、人々に人気があるのもわかる。だがまあ、いかんせんこのミルコさんというひどいは、あまりにも素直すぎるのだ。
 先日、「No.4ヒーローエッジショットがチームアップを組んだそうですよ」と伝えたところ「これだから弱っちぃやつは!」と言っていたのを思い出した。彼女ならそのことをふと思い出して、本人に同じことを言う可能性がある。あって欲しくない未来を想像すると胃がキリリと痛んだ。
 「お願いだから大人しくしていてくれ」と祈りつつお腹を抑えていると、遠くから大きくて赤い羽が近づいてくるのが分かった。

「あ、ハム子ちゃん」
「ホークス……お久しぶりです」
「うん、久しぶり。ミルコの付き添い?」
「ええ」

 久しぶりと言ったが、別に久しぶりではない。先日、ミルコさん以外の人と仕事していた際に顔を合わせているし、その前もミルコさんが放置した後処理に追われていた時に会っている。別に約束していたわけではなく、仕事をしていると同じく仕事中のホークスとばったり……だなんて程度だ。しかし、だいたいミルコさんがいない時に現れるため、その度に「今ミルコは?」なんて聞かれているような気がする。いないですよと伝えるの、なぜかホークスはあからさまにホッとした顔をするのだ。
 正直、ホークスがミルコさんに苦手意識を持っている理由はなんとなくわかる。ミルコさんはなぜか、私がホークスと話すことを良しとしない。私たちが話していると、だいたいイライラしたような顔で私たちのことを見つめている。凶悪な顔をしてもはや威嚇のような出立ちは、今にも蹴られそうな風貌すらある。
 前に、ホークスと話して別れたあとにミルコさんに言われたことがある。「なまえと添い遂げる男は私より強いやつがいい」などと、突然良くわからないことを告白された。そのときは意味がわからなかったし、正直今も良くわからない。
 ただ、今日のミルコさんも相変わらず私たち──いや、私と話すホークスを睨みつけていた。しかしふと、遠くの方に炎を携えたヒーローがいるのを見つけ、ミルコさんは大きな声で叫んだ。

「……エンデヴァー!」

 ピン、とミルコさんの耳が動き、顔には笑みを浮かべている。閃いた、とでも言いたげだった。
 声をかけられたエンデヴァーはというと、一人で椅子に座っていた。まさか他のヒーローに声をかけられるなんて思っていなかったみたいで、訝しげに彼女を見る。企み顔の彼女を見て「碌なことじゃない」と思ったらしい。元々怖い顔を、さらに顰めていた。

「あんた息子いるんだってな!雄英生の!」
「いるが、なんだ」
「あの息子くれよ!」
「……は?」
「はぁ!?」

 ──ほら、碌なことじゃなかった。
 ミルコさんの発言に大きな声を出したのは、エンデヴァーでなく私の方だった。ホークスの方を離れて比較的大股で二人の元へ近づき、ミルコさんの頭を思い切り掴んで下げさせる。

「ご、ごめんなさい、エンデヴァー!うちのミルコが大変失礼なことを……!」
「おいなまえ!」
「ミルコさんもあやまってください!」
「私そんな変なこと言ったかよ」

 ──言ったよ!控室にいる全ヒーローが同じことを思ったらしい。どことなく、皆苦笑いを浮かべている。分かってないのはミルコさんだけだ。

「……ミルコ。くれ、というのは、インターンのことか」
「ちげぇよ。結婚」
「ミルコさん!?」
「ああ、私じゃなくてこいつとな」
「み、ミルコさん!?」

 ぴっとミルコさんは私を指さした。
 ……え?結婚?エンデヴァーの息子さん(テレビでは見たけど、会ったことはない)と結婚って。私は26年彼女と一緒にいるわけだが、たまに彼女の思考は良くわからない。今回は本当にわからない。理解が及ばない。理解したくもない。

「な、何を馬鹿なことを言っているんですか!ミルコさん!結婚って……意味わかっていってます!?」
「エンデヴァーの息子なら強いし、ヒーロー志望なら優しい。な?」
「な?じゃないですよぉ!私26ですよ!?それにエンデヴァーのご子息……轟焦凍くんって確か高校1年生、ということは16じゃないですか!」
「焦凍はまだ15だ。早生まれなのでな」
「よ、余計ダメです、犯罪だぁ……」

 違う、エンデヴァーもそういうことじゃない!
 そんな親が結婚決めるなんて、前時代的すぎる──第二~第三世代で流行った個性婚が叩かれたときに、親が勝手に結婚相手を決めることも叩かれたというのに。あれはより強固な個性を作るという実験性が反倫理的だったせいで消えていったわけだが、同時に世間は「お見合い結婚や政略結婚の是非」で持ちきりだった。それを機に世界的に親が結婚に口出ししない風潮になったわけだが(かなり上の階級はまだ残ってそうだけど)、ミルコさんはそんなことお構いなしだった。

「ミルコさん、いまどきそんな親の言いなりになって結婚だなんて、古いですよ。いつの話ですか」
「親じゃねぇし、私」
「そうじゃなくて!他人が!決めることでもないでしょう!」
「まあ、たしかに」
「それに、こちらの勝手な都合で10も上の女と結婚させられるなんて、あまりにもかわいそうじゃないですか!」
「ハム子は中学生の時から見た目変わらないから大丈夫だ」
「そ、それも複雑……これでも学生の時より脚速くなったんだけどな」

 エンデヴァーがじっと私を見つめる。「なんだこいつ成人してたのか」という考えがひしひしと伝わってきた。

「焦凍に結婚は早い。まだ学生だからな」
「はっはい、存じております……」
「しかし友人からなら別にいい」
「ヘッ!?」
「おっ見合いか?」
「見合いじゃない」

 まさかの展開である。いやいや、さっきわたし、親の紹介はなしって話したよね?見合いじゃないって、じゃあ何目的?というか、轟焦凍くんが私なんかと会うメリットなくないですか?そして私を紹介したところで、エンデヴァーにもメリットなどないのでは。
 混乱して頭がうまく働かない。ただ隣のミルコさんだけがニヤニヤと笑っている。

「焦凍にまともな友人がいるか、不安なのだ」
「は、はぁ……?」

 その弱気な言葉は、No.2──いや次期No.1ヒーローから出たとは思えない言葉だった。敵っぽいヒーローランキング一位、エンデヴァー。しかし真実はご子息のことで思い悩む父親であった。

「息子はあまり人付き合いが良くない」
「そ、そうなんですか」
「そういう性格だというのはわかっている、俺も一緒だからな」

 エンデヴァーが語るにはこうだ。小さい頃は訓練に次ぐ訓練で、まともに外で遊んだことがない。それは中学に入っても変わらず、雄英を目指していた轟焦凍くんはさらに勉強と個性の特訓に明け暮れ、殻に篭りがちになった。高校に入った後は反抗期が酷くなり話していなかったが、体育祭に行った際、そして仮免補習を見学した際、粗暴な男子生徒が隣にいたのだという。自身の息子がそんな者に負けるとは思えないが、何か悪い影響があったらどうすれば良いのか。友達は選べとあれほど言ったのに──とここまで聞いて頭を抱えたくなった。子煩悩だと思ってたが違う。これ、過干渉だ。会ったこともない轟焦凍くんが少し心配になった。

「ふーん、で?早く用件を言えよ」
「ミルコさん、急かさないで」
「お前は比較的マトモそうなのでな。焦凍の友達になってやってほしい」

 何言ってるんだ、この人。

「それに足が速いのなら、焦凍のいい訓練になる」

 だから何を言ってるんだ、この人。隣のミルコさんも自分の意図していない方に話がずれ、良くわからんと言った顔をしていた。それはそうだ、だって話しかけられてる私もよくわからないもの。

「頼む」

 そう言って、エンデヴァーはなぜかペコリと丁寧に腰を折って、私の方へ頭を向けて、つまり頭を下げた。……あのエンデヴァーが私に頭を下げている。えっ、なんで、なんでだ?やめてほしい。次期No.1が、こんな下っ端も下っ端、ヒーローになりきれてないただの事務職の女に頭を下げるなんて。展開が急すぎて頭が追いつかない。それに訓練になるって、それがいちばん本音ではないですか。親に紹介された友達って、それ本当に友達と呼べるのかな。エンデヴァーの勘違いで、その粗暴な誰かが本当はいい人なんてこともあるんじゃないだろうか。もしかしたら親友かもしれないし。
 ま、周りの目が痛い。あのNo.1が頭を下げてる相手は何者だ?と野次馬のような目線を感じる。今すぐ逃げたくなった、ハムスターは視線に敏感なのだ。

「あ、あの、頭を、頭を上げてください」
「……ああ、」
「その、わかりましたから。無理やり引きあわせるのはやめてくださいね、轟焦凍くんにきちんと話を通してからにしてください。本人が嫌がったらやめてあげてください」
「分かった、まずはご飯でもどうだ」
「ハイ、ソウデスネ」
「やったなハム子!彼氏ゲット!」
「ミルコさん話聞いてました?」
「あと、ミルコは会わせないからな」
「はぁ!?なんでだ!」
「焦凍の教育によくない」
「はぁ!?」

 無理やり話を終わらせて、そそくさとエンデヴァーから離れる。どうせランクインしてない私はすぐこの部屋から出なければならないのだ。言い争っているミルコさんとエンデヴァーを放置して、すごいスピードで部屋から逃げ出した。これくらい許して欲しい。もうあんなに視線を浴びるのなんて嫌だ……!
 廊下に出て誰もいないことを確認して、「ふぅ」とため息をつく。なんか疲れちゃった、飲み物でも買おうかなと踵を返そうとしたところで、首筋にピトッと温かいものが当てられた。

「ひっ」
「あ、ごめんね」
「ホ、ホークス……」

 振り返ると、そこに立っていたのはホークスだった。「はい」とコーヒーの缶を手渡される。首筋に当てられたのはそれだったみたいだ。情けない声を出してしまったな。申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいだったが、喉が渇いていたのは事実なのでありがたく受け取っておく。

「いやー、エンデヴァーさんってお子さん大好きだったんだ、俺知らなかったよ」
「あれは大好きというか……いえ、大好きなんですかね」

 随分歪んでるというか、一方的すぎる気もするけど。まあ、よその家のことだから口出ししてはいけないのはわかっている。
 先程の話を側から見ていたホークスさんはただ一言「面白かった」と言った。怒涛の勢いだった、No.1が頭下げるとはね、と面白がっている。

「あ、そうだ。エンデヴァーの息子さんとご飯行くんだよね」
「ええ、成り行きで……」
「俺とも、このあとご飯とか──」

 彼が何かを言いかけたところで、スタッフがやってきて「ホークスさん、開始10分前です!ご準備を!」と声をかけてきた。なんだ、もうそんな時間なのか。ホークスは「あっハーイ」と軽く返事をしたが、そちらに行く様子はない。

「ハム子ちゃん、鶏肉とか好き?ここら辺うまい店あるらしいんだけど──」
「ホークス、行った方が良いのでは?」
「……ハーイ」

 「じゃ、また連絡するね」と彼は駆けて、飛んでいった。さすが早すぎる男。彼のいなくなった廊下を見て私は安堵のため息をつく。
 この体は苦手なものが多すぎる。まず人の目線が苦手だ、うるさい音も嫌いだし、人混みもそわそわして落ち着かない。何より──私は、鳥系の異形個性の人たちが怖い。ちなみに猫も怖いし、蛇も怖い。その人が悪い人ではないとわかっていても、本能が叫んでいるのだ。「食べられる」と。
 だから正直、ホークスの翼を見るのは少し苦手だ。しかしホークス自体は良い人だから、怖くはない。ルミちゃんがホークスを威嚇するのって、多分私が苦手だと思ってるせいもあるんだろうな……いや、真偽不明だけど。

「……ルミちゃん、何もしないといいけど」

 オールマイトのいないヒーロービルボードチャートJPが間もなく幕を開ける。ふと、もうすぐステージに立つであろう幼馴染のことを思い出した。余計なことを言わないといい。何事もなく、波風立てずに、いてほしい。
 しかし、実際に本番で波風を立てるのは私の幼馴染ではなく、例の"早すぎる男"であることを、この時の私はまだ知らない。


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