青天の霹靂


 博多の上空は、今日も変わらない青空が広がっている。青い空、白い雲、赤い羽──博多に拠点を構えるホークスが空からパトロールを行っているのも変わらず、しかし黒を纏った少年がホークスの隣を飛んでいる飛んでいる光景は、最近になってみれるようになったものだった。

「おいハム子!置いてくぞ!」
「待ってミルコさん……って、もう!待ってってば!」

 そして、最近博多で見れるようになったものはもう一つある。空とは反対──地上にて、女性が二人走り回っている。一人は褐色の肌に白く長い耳を持つプロヒーローのミルコ。それから、ミルコの後を追いかけ走る女性。博多の人々はそれらを見て言った。ミルコはわかる、しかしあれは誰だ──と。

「あ、またやってる」
「ああ」
「そーいえば知ってる?ハム子ちゃんてば、水車見てうずうずすんの、かわいいでしょ」

 常闇踏陰はインターン先の上司、ホークスの言葉に何も言わなかった。常闇は至極真面目な男である。たとえ本当のことでも見知らぬ女性を勝手に「かわいい」と評するのはどうかと思ったし、正直ホークスの可愛いポイントはよくわからない。
 ホークスはそんな常闇の真面目さをいつも通りだと思うだけだった。別に肯定して欲しかった訳ではない。いつもの場を和ませるための軽口、世間話でしかない。ただかわいいと思ったのは本当で、彼は一生懸命に道路を走る、小柄な女子を窓から見下ろした。

「ハムスターの個性だから走るのは得意って聞いてたけど……あのミルコ相手によくついてくなぁ」
「なぜ彼女らがここにいるんだ?」
「ん?チームアップ要請したの。一時的にね」
「では我々も出るべきだ」
「断られた。私ひとりでやるからいいってさ」
「……」
「ミルコはチームアップ否定派だからね。最初から組んでもらえると思わなかったけどさ」

 常闇はホークスのことを尊敬している。次期No.2としての力は伊達ではない、パワー系でこそないが、それを補うだけの判断力となによりスピードがある。しかし思考は全く読めないし、飄々と……悪くいえばヘラヘラとしている。断られると知っていて、なぜ要請したのかと聞きたかった。どうせ「もしかしたらOKしてくれるかも」なんて考えではないことは常闇でもわかる。

「それにしても、ヒーローミルコはサイドキックを雇わない一匹狼ではないのか……」
「ハム子ちゃんのこと?」
「ああ」
「彼女は特別だから」
「特別……」
「て、わけでもないんだなぁ。これが」
「どっちだ?」
「あとサイドキックなんかじゃないよ、彼女は」

 「ハム子」だなんてミルコもホークスも呼んでいるが、別にヒーロー名ではないことを常闇は知っている。
 ヒーロー・アムステア。ハムスターの個性を持っていて、その持久力と走るスピードを買われて、ミルコのマネージャーみたいなものをしているらしい。しかし、ホークスの説明は常闇を納得させなかった。

「それをサイドキックというのではないか?」
「違う違う。あえて言うなら、彼女は事務員ってとこかな」
「事務所もないのに?」
「ミルコは事務所を構えてないし、本人があの性格だから。仕事管理とかメディア対応とか後始末とか、そういうのをやってくれるのがあのハム子ちゃんってわけ」
「ほぼサイドキックのようなものだな」
「彼女、ヒーロー免許は持ってるけど戦闘力はほぼないんだよね。サポートメイン」

 サポートメインと聞いて、常闇は同じクラスの葉隠や耳郎らを思い出した。彼女らは確かにサポート向きではあるが、戦闘ができないわけではない。きっと彼女もそうなのだろう。
 次期No.2ヒーローの目から見れば、戦闘能力がないと言われてしまうものなのかもしれないが、あの脚の速さは活かせる。それこそ、クラスメイトのヒーローオタク──緑谷あたりが見たら語り出しそうなくらいには、彼女の速さは目を見張るものがあった。

「ちなみに名前は、公星なまえちゃん。公園のコウに、星は……空にあるやつね。それでキミホシ。ヒーロー名はアムステア」
「ずいぶん詳しいのだな、ホークス」

 常闇がそう言うと、ホークスはいつものヘラヘラとした笑いを浮かべた。

「俺、あの子のファンやけん」

 そう言いながら、ホークスは初めて彼女と出会ったときのことを思い出していた。
 あの日は確か、たまたまミルコと現場がかぶったのだ。ホークスが現場に到着した時にはすでにミルコが敵を倒していて、自分の速さが珍しく他者に負けた時であった。
 増強型個性の敵が個性をブーストして暴れ回っていたらしく、街はおもちゃのブロックを倒したみたいにめちゃくちゃだった。豪傑のミルコでさえも骨が折れる相手だったらしく、彼女の蹴り主体の戦い方もあってか街の損害は思ったより大きい。
 しかし、ホークスは自分がこの敵と戦うのが向いていたかと言われれば、否だ。この個性は力比べにはあまりにも弱い。ミルコが先に着いていて良かった、とホークスは思った。

「……ま、この損害はなかなかにひどいけど」
「……ですねぇ…」

 隣から聞こえた可愛らしい声に、ホークスは一つ瞬きをして、ちらりと目線を向けた。──小柄な女性が立っている。鷹の目のごとき観察眼と野生動物に負けず劣らずの察知力持つホークスではあるが、彼女はそのどちらにも引っかからなかった。コスチュームを着ているあたり、彼女もヒーローらしい。初めて見るヒーローだった。ホークス自身より若そうな、デビューしたてかどこかの無名サイドキックのような風貌ですらある。
 まじか、察知できなかった、この剛翼が?この子何者だ?なんて言葉が頭の中をぐるぐると回る。とりあえず探ろうと思い、ホークスはいつもの笑みをぱっと貼り付けた。

「あ、えと、はじめまして……ですよね」
「そうだね、はじめまして、俺は──」
「ホークス。あなたのことを知らない人はいませんよ、No.3ヒーロー」
「はは、それもそうだ」

 態度こそオドオドとしているが、ずいぶんとはっきりものを言う女子だとホークスは思った。素直な人間はいい。素直な人間はわかりやすい。自分がこんな性格だから、腹の探り合いをせずに済む相手というのは、ホークスにとって都合が良かった。

「ごめん、きみの名前も教えてくれる?」
「そうでした、すみません……ホークスに気を遣わせてしまって」
「はは、なにそれ」
「本当にすみません……改めて、ヒーロー名はアムステアといいます。あ、本名は公星なまえです」
「なまえちゃん」
「はい」

 まさかヒーローに初対面で本名を教えられるとは思わなかったし、下の名前で呼んで引かれないことに驚いた。……警戒心がないのか、この子は、とホークスは心の中で少し笑う。自分が敵だったらどうするんだ、と少し呆れたのもあった。

「それで、なまえちゃんはどこ所属ヒーロー?それとも独立してる?」
「あはは……自分、所属とかはないんです。独立もしてません」
「へぇ、珍しい。フリーランス?」
「フリーランスってことも、ないんですけど」

 そう言って彼女がピッと指を差す。その先には、警察と話をするミルコがいた。聴取が始まったせいか幾分か苛立っているように見える。あのヒーローは腕は立つが、あまり事務処理が得意な方ではないらしい。

「あそこにいる、ミルコさん」
「うん」
「の、マネージャー、みたいな。なんというか」
「え」

 まじか。ホークスの頭からは先ほどまでの疑惑も呆れも全て無くなり、ただ「信じられない」という感想だけが支配していた。
 よくよく話してみると、公星なまえはミルコと同い年の26だということが判明した。今度こそホークスはまじか、と言葉を発してしまう。自身より年下どころか学生にすら見える彼女が、4つも上だったのだ……人を見た目で判断してはいけない。

「いやーっ……スミマセン、なまえさん」
「えへへ。よく間違われるので、別に無理してさん付けじゃなくていいですよ」
「そういう問題じゃないですって」
「う、うーん……じゃあ歳上命令ってことで、さっきみたいに話してください、気を遣われるのに慣れてないんです、私」
「……それならまあ」

 優しい人である、と思った。歳下と間違われるのも、気を遣われ慣れていないのも本当であるとは思うが、それでも、ホークスが罪悪感を抱かないように気を遣ってくれたらしい。
 "この仕事"をしていると、自分が何者かわからなくなって、感情が擦り切れることがよくある。平和な世界のためだからしょうがないと諦めていたし、もう慣れきってしまったと思っていた。しかし彼女の何気ない優しさや健気さに、ホークスのささくれが収まっていくのを感じた。なんだ、これ。ホークスは胸を押さえる。
 この気持ちが何かわからないけど、もう少し話したい──そんな淡い期待を抱いていると、遠くから「おいハム子!!」と大きな声が聞こえた。ほぼ怒声に近いそれは、先ほどなまえが指さしたミルコから発せられている。目を釣り上げた彼女の顔は、なかなかに凶悪だった。

「は、はーい!」
「聴取の続き任せた、私はああいうの嫌いだ」
「嫌いって……敵を倒したのはミルコさんなんだから。私じゃ何も話せませんよ」
「どうせ"聴いてた"だろ、ハム子。それならいけるって」
「目で見るのと耳で聴くのは違います!」
「あとよろしくな!」
「もうっ!ミルコさん!」

 脱兎の如く、という言葉が似合うぐらいとんでもないスピードでミルコは跳んで行ってしまった。速すぎる男だの言われるホークスではあるが、もしかしたらホークスに追いつけるのはミルコぐらいかもしれない。一回チームアップ要請でも入れてみるかと思案したがすぐにやめた。ミルコはそういうのに興味がないし、事務所がない。全国を駆け回っているという彼女を引き止めるのは骨が折れるし、なにより、ミルコは俺のことは苦手そうだ、とホークスは思った。
 しかしふと、目の前にいる小さな彼女が目に入る。……この子がいるじゃないか、と。

「ねぇねぇ、ハム子ちゃん」
「ハムっ……な、なんですか、ホークス」
「ハム子ちゃん、ミルコと連絡取れるんだよね」
「まあ、一応は……ていうか、なんでホークスまでハム子だなんて呼ぶんですか」
「まあまあ、かわいいじゃん、ハム子ちゃんって呼び方。あのさ、俺ミルコと一回チームアップしてみたいんだよね」
「は、はぁ……」
「連絡の中継役になってくれない?」
「……はい、わかりました」
「というわけでこれ俺の番号ね。ハム子ちゃんのも教えてよ」
「えっと、待ってくださいね。名刺渡します、」

 なまえが太ももに付けられたポーチの中を漁る。ホークスはなんとなく、本当に気まぐれで、彼女の手を掴んだ。

「名刺ってことは、仕事用の携帯でしょ」
「はい、もちろん」
「私的なのがいいって言ったら?怒る?」
「……公私混同は私のポリシーに反するので、怒ります」
「わお」

 だいぶ怒ってらっしゃる──先ほどまでの穏やかな顔が一転し、ホークスも声を上げた。あまりにも凶悪。彼女の怒った顔は、どことなくミルコの怒った顔に似ている気がする。
 流石にセクハラめいてたと反省しホークスが謝ると、なまえは別にそこまで怒ってはいないようだった。

「ごめんなさい、……その、警戒しちゃって」
「個性柄?」
「ええ、すみません。警戒心が強いんです」
 
 それにしては、さっき警戒心もなく本名教えてたけど──彼女のことをよく見ると髪の毛に隠れた耳が小さく垂れている。ホークスはまたしても、よくわからない気持ちになって胸を押さえた。
 結論から言うと、ホークスはなまえをいたく気に入った。真面目でおしとやか、仕事(しかし、事務処理に限る)ができて裏表はない。素直なところも好感が持てるし、なにより最後のギャップに結構グッときた。寝ても覚めてもなまえのことを考える日々が続く。やめようと思っても、やめられない。
 この歳になって自分にもようやく春が来たのかもしれない、いや、来てもいいのだろうか。ホークスはしばらく葛藤した。普通のヒーローならば恋くらい許される。しかし、公安所属の自分にはあまりにも不要な感情だ。世界のために、この気持ちは捨てるしかない。そうして悩みに悩んで、サイドキックらが心配して声をかけてくれるくらい、ホークスは頭を抱えた。
 しかし後日になって、その悩みは解決することとなる。たまたまテレビで流れていた動画投稿サイトで話題の動物、威嚇するけど怖くないハムスターの動画を見てホークスはピンときた。
──ああ、あれもしかして、動物セラピーか……!
 早すぎる男、ホークスの恋(のような、何か)は自己完結し、こうして終了した。

「それ以来ハム子ちゃんの虜ってわけ」
「ホークス、あまり他のヒーローに迷惑をかけてはいけない」
「かけてないよ」
「弱肉強食……」
「えっ不名誉だなぁー」

 常闇踏陰は、嬉々としてなまえのことを語るこの上司を見て思った。動物セラピーというか、それは動物の本能──捕食関係なのではないだろうか。鷹に狙われた小動物は生き残れるのだろうか。面識のない彼女に少し同情してしまったのだった。



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