私は人生のほとんど子供の姿で生活している。神に呪われた私は、17歳のときに6、7歳の姿に変えられて、ついぞ解呪することは叶わなかった。建人君は私の身体を元に戻すために色々な事をしてくれた。いや、元に戻す事以外だって私が不自由のないようにと彼が動いていてくれたのは知っている。高過ぎない収納棚に、あちこちに設置された踏み台、角のない机や子供用のダイニングチェア──身長の高い彼には必要のない物ばかりで溢れるこの部屋は、彼の優しさの証だった。
 子供の姿となってなお、彼は私を愛してくれていたと思う。「私と結婚してもいいことなんてないよ」と言うと、彼はなんでもない顔で「でも、家に帰ったら貴方がいる。私にとってはいいことです」と言った。プロポーズの言葉よりドキドキしたことは、建人くんには言っていない。言えばきっと拗ねてしまうことはわかっている。
 思えば、建人くんには毎日ドキドキさせられてばかりだった。今だってそうだ。普段と変わりないレシピで作った味噌汁を啜って「美味しいですね」という彼に、私は恋をしている。いつもと一緒だよ、と言っても、彼はただ「なまえの作ったご飯はいつも美味しいので」というだけだった。

「なんかバカップルみたい」
「なんです、それ」
「五条さんにそう言われた。いい加減にしろ!バカップル!いつもそんなんだと七海がロリコンだと思われちゃうよ!……だって」
「言わせておけばいい。私に小児性愛の気はありませんし」
「側から見たらそうはいかないんだよ」
「貴方限定、って言えばいいですか」
「それ、また五条さんにいじられちゃう」
「いいですよ、弄らせておけば。五条さんのあれは僻みですし」
「お口が悪いよ」

 悪い口ですみません、と建人くんがゆるく笑う。私の前だと彼は少し子供っぽいところもある、なんてのは私以外誰も知らないんだろうな。コンビニからカスクートがなくなって凹んだり、朝起きた時に枕に抜け毛を発見して凹んだり。その度になんでもない顔で私に報告をしてくるけど、そんな姿は少し可愛いとさえ思う。
 建人くんがかぼちゃコロッケに箸をつけたところで、彼の携帯から音が鳴る。時間外だというのに呼び出されることは、この世界では少なくない。また大変なことが起こったのだろうということは、電話に出た彼の表情を見ればわかることだった。

「……すみません、すぐ出なければ」
「何かあった?」
「渋谷に帳が下ろされて、一般人がその中に閉じ込められているそうです」
「呪詛師の仕業?」
「ええ。詳細は省きますがかなり厄介らしく、高専所属の術師は皆召集をかけられているようです」

 今日は10月31日──ハロウィンだ。渋谷のハロウィンといえばいつも人でごった返しており、いまやビッグイベント化している。そのことを考えれば、閉じ込められた一般人の数は尋常ではないだろう。
 建人くんは箸を置いて席を立つと、キッチンの戸棚からラップを持ってきてついさっきまで手をつけていた皿に封をしていった。

「あ、いいよ。私やっておく」
「……帰ってきたら食べるので」
「うん。冷蔵庫入れとくね」
「すみません」

 少し凹んだよう言った建人くんは、そのまま気落ちしたようにいつものワイシャツに手をかけた。さっき脱いだばかりのスーツを着込んで、少し乱れた髪の毛をワックスでぴっちりと止める。ネクタイをしめれば、いつもの建人くんの出勤スタイルとなっていた。

「がんばってね」
「はい。帰宅がいつになるかわからないので、今日は先に寝ててください」
「うん」

 建人くんは靴を履いたのちしゃがみ込んで、私の頬に一つキスを落とす。私もそれに倣って彼の頬にキスを落として彼から離れる。しかし何を思ったのか、建人くんは私のことを抱き寄せた。

「もしかしたら大掛かりな仕事になるかもしれません」
「……そっか」
「でも待っていてください」

 いつもより弱々しい姿でそう言った彼を私は抱きしめる。私が思っているよりずっと大変なことが起こっているのだろう。彼の耳元で「待ってるから」と言って抱きしめる腕を強くすれば、建人くんはそれに頷いて私の手を解いた。

「いってらっしゃい」
「いってきます」

 扉の向こうに吸い込まれていった彼にずっと手を振っていた。
 私の携帯をチラリと見たが、鳴り出す様子はない。休職中という名の五条さんの根回しのおかげだろうか。まあ確かに今の私は少しも役に立ちそうにないが、しかし緊急事態に建人くんを見送るだけというのも心苦しい。

「……何もないといいけど」

 建人くんの食べかけのご飯を冷蔵庫に入れながらつぶやく。彼がとある呪霊によって殺されかけたのはまだ記憶に新しい。もし私が大人の姿のままだったら、建人くんの隣に立って助けられたかもしれないのに。小さくなった手を見つめて、少しだけ恨めしく思った。
 それでも彼は、どんな姿でも好きだと言ってくれたから──私は人生の約半分を子供の姿で生活しているが、その期間を恨んだことはない。建人くんがずっと、私を幸せにしてくれていた。はっきり言える、自分の境遇を不幸だと思ったことは一度たりともなかった。





「う、うぅ、うぁ、」

 身体が燃えるように熱い。ギシギシと骨の歪む音がして、肌がピンと張られていく感覚に、私は体を捩った。シャワーはザアザアと流れたままだったがそんなことどうでもよかった。痛くて、痛くて痛くて、たまらない。彼に買ってもらった結婚指輪が、ぎゅうぎゅうと私の薬指を締め付ける──この痛みはきっと呪いだ。呪いのせいだ。自分の体の痛みのことよりも、私は真っ先に彼のことを思い出していた。
 彼に言っていないことがある。言えば、きっと彼は罪悪感に苛まれることとなるだろうとわかっていたから言えなかった。優しいあの人が苦しむ姿は、高専に通っていたあの頃に十分すぎるほど見ている。灰原くんが亡くなった時の表情は、もう見たくない。

「いたい、いたい……建人くん、」

 この呪いは解けない。神は怒り、私と彼と家族を呪った。その怒りを収めるために私は神に願った。「建人くんが死んだら、あなたの元に向かうから、どうか彼らを助けてください」そうお願いしたが、神は私の言葉を素直に聞いてはくれなかった。神というのはどこまでも気まぐれで、人間より人間臭く、呪いより呪いらしいのだ。
 ──あの男が死んだら、貰って行こう。神はそう言って、子供になった私を連れ去ることなく、解放した。

「建人くん……」

 建人くんが死ななければ解けない呪いが、今解けている。薬指が痛い。いたくて、たまらない。送り出した時、渋谷で任務だと言っていた。大掛かりな仕事となる、と。いつもの姿からは考えられないくらい弱気な彼を、抱きしめて、いってらっしゃいのキスをして送り出したばかりだった。
 術師の仕事を続けていれば確実に貴方より早く死ぬでしょう──彼の言葉を思い出す。そんなことは分かっていて、覚悟はしていた。私は建人くんより先に死ぬことはないのだということもわかっていたから、彼を遺していくことがなくて良かったと思う。それでもどこか知らない地で、一人で死んだ彼のことを思うとやるせない。私が強ければ彼を守れたのではないだろうか。後悔はしても仕切れない。
 痛みにのたうち回って浴室の床で仰向けになる。子供の体と比べると大人の身は重たくてしょうがない。締め付けられる心臓と目に刺すような光が体にこたえる。体の内側が熱くてたまらなくて、シャワーから流れるお湯が水のように冷たく感じた。乾いた唇から言葉にならない声が漏れ出た。

「け……んとく、……」

 霞む視界の中で彼が笑う。おそらく死んだであろう彼が真上から私の顔を覗き込んだ。

「キス、しましょうか」

 建人くんはいたって優しげな顔で言った。もう返事すらできなくて、私は彼の瞳を見つめる。デンマークの血が入ってるのだという彼の瞳は、私のものより色素が薄い。光に当たると宝石のように綺麗だと言ったことがある。その時の彼は照れたようで何も言わなかったっけ。
 目の前にいる彼の瞳は赤く、それから視線をずらすように私は顔を横に倒す。自身の言葉を否定された"ソレ"は、突如私の首元を掴んできた。
 ……建人くんは、私にキスをするとき許可なんて取らない。最初の時だって「キスしましょう」なんて聞いて、私に拒否権なんてものはなかった。でも気分じゃないから嫌だと言えばやめてくれるし、強引そうに見えて、彼は私のしたい事を叶えてくれているだけなのだ。彼は、私のことが大好きだから。
 首元に添えられた手はますます力が込められる。目の前のソレは、私の顔を冷たい目で見下ろしていた。
 悔いはない筈だ、私の人生は、十分すぎるほど幸せだった。それでも強いて一つだけ挙げるならば、建人くんとの来世が望めないことだけは悔しいのかもしれない、目元を濡らす雫はきっとその証だ。建人くんならばその大きな手で、きっと掬いあげてくれただろう。止める人がいなければ、私はこの涙の止め方も知らなかった。

「けんとくん……」

 彼が行きたがっていたマレーシアの……クアンタンのなんでもない海辺に家を建てましょう。彼が買うだけ買って手をつけていない本が山ほどある。私は暇だから代わりに全て読んでしまったけど、建人くんの選んだ本は何回読んでも面白かった。きっと彼は「ネタバレしないでくださいね」なんて言って、1ページずつ、今までの時間を取り戻すようにめくるのだろう。私はただ、そんな彼の隣に居たいだけだった。
 建人くんに言っていないことがもう一つだけある。私が灰原くんのことを好きだと貴方が勘違いしていたことを、実は私知っていたの。それも──灰原くんが全部教えてくれたことだった。
 ……ねぇ、灰原くん。結局私は、私たちはどうなりたかったのだろう。解呪なんてしなくてもいい、そうして逃げた先に待ち構えていたものは、死よりも恐ろしい別れだった。輪廻から外れて仕舞えば来世なんてものは確実に無くなるのに、不確定な希望にすら縋れなくなってしまって。私たちは、幸せになれたのだろうか。

「建人くん、……」
「なんですか」

 違う、私が呼びたいのは、貴方じゃない。あの人はもっと、ずっと、優しい人だった。

「建人くんのこと……──ずっと好きだったの、私……入学したとき、いっしょに、戦ってくれたときから……ずっと」
「……」
「私のこと、すきでいてくれてありがとう、わたしと、結婚してくれて、ありがとう……」
「……うるさいな」
「いままでも、これからも……けんとくんのこと、ずっと、あいし、て……──」

 私に来世なんてない。クアンタンの海辺には彼が一人で住んでもらうしかないだろう。それでも、私がずっと彼を好きなことに変わりはない。気持ちだけは貴方に預けたいと、そう思った。
 首が絞められて、息ができなくなって、体の感覚がなくなって、空気と溶けて消えてしまって。彼との指輪握りしめて、私は──。





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