最近よく、夢を見るようになった。何もない浜辺をひとりぼっちで歩くだけなのだが、なんせ歩けど歩けど景色も変わらないので退屈な夢なのだ。頻度としては1ヶ月に1回見るか見ないかで、夢の中の私はいつも一人で飽きもせずに歩くだけだった。特に何か怖いことが起こるわけでもないのだが、この夢を見た後はあまり気分が良くない。夢の中の私はこれを夢だと知覚していない。しかし、目が覚めた頃には「早く起きればよかった」と何故か必ず後悔する。いつも苛まれるのは起きたあとで、だからしばらくは目を開けたまま夢を見ることになる。夢とはそういうものだから。
 今日もまた同じ夢を見て、また同じ感想を抱くはずだった──しかし今日は、彼らのおかげで全く不快感を味わうことがなく、夢から醒めることができた。

「みょうじ起きたんだね、おはよう!」
「……ん……おはよう、……灰原くん」
「おはようございます、もうすぐバス停に着きますよ」
「……七海くんも、おはよう」
「ほら、降りる準備しよう!」
「うん……あっ」

 目を擦って窓の方に目を向ける。窓の向こう側に先ほど夢で見るよりずっと綺麗な海辺の景色が広がっていて、私は思わず声を上げた。灰原くんはそんな私を見ていつものように溌剌とした笑みを浮かべたが、七海くんはあまり楽しそうではなかった。
 私たちが海に来た理由は遊びではない。昨年の沖縄同様、任務のためであった。夏は呪霊の被害が多くなる、そのため術師にとっては繁忙期であった。私たち学生もそれは変わらない。等級はそこそこ、数はそれなりに多いということで、私たちが駆り出されることとなった。
 私たちは全員2年に上がる際に2級へと昇格したため、三人での任務は久しぶりだった。入学式や1年の時の任務を思い出し、少し浮かれそうになったが任務は任務。七海くんが顰めっ面を浮かべるのも無理はない。しかし、この一面の青色は、やはり私の気持ちを跳ねさせる。灰原くんはその気持ちがわかるみたいで「任務終わったら海で泳ごうよ!」と言った。

「でも、お盆明けの海は良くないって聞くけど」
「あ、それもそっか!」
「幽霊が出るって言うけど、祓っちゃえばいいかな」
「僕たち呪術師だしね!」
「……別に、本当に幽霊が出るというわけではないですよ」
「そうなの?」
「盆明けは潮の流れが変わったり、台風が来たり、クラゲが出やすいので。子供を脅すためにそう言ったんでしょう。嘘も方便といいますし」
「夜に口笛を吹くと蛇が出る、みたいな?」
「えっ泥棒じゃないの?」
「私は人攫いと聞きましたが」

 七海くんが「あれもしつけの一環ですよね」と言うように、夜中に口笛を吹かないための嘘というわけだろう。近所迷惑と言っても聞かない子供に言い聞かせるために、親は迷信を使って脅すのだ。まあ幽霊が出るということは信じていなかったけど、「盆明けの海が良くない」というのは間違い無いだろう。灰原くんが七海くんに「七海は詳しいね!」と言ったが、彼は普通だというように流してしまった。七海くんは結構、かなり、物知りである。任務中も授業中もそれに助けられることは多い。
 バスを降りるとそこは人気の少ない田舎町だった。8月下旬だというのにじわじわと太陽光が私たちを突き刺し、アスファルトから立ち上る熱気が体にまとわりつく。汗がつうっと体を伝って、でも潮風のおかげで少しだけ涼しく感じられた。今年は全国的に猛暑と言われており、お盆を過ぎても暑さが和らぐことはなかった。いつも涼しげな顔をしている七海くんも額に汗を滲ませている。太陽を体現したと言っても過言では無い性格の灰原くんも、流石にこの暑さには参っているようで「早く任務を終わらせよう!」と元気よく言った。


 灰原くんの言葉通り、任務は滞りなく順調に進み、予定時刻より早めに終わることとなった。今回の呪霊、そんなに強くなかったかも、と小さく呟くと、七海くんが「私たちも力をつけてきたということでは」と答えた。
 たしかに私たちは入学当時より強くなっている。今日の任務でも、七海くんも灰原くんも前見た時より動きが格段に良くなっていて驚いた。夏油先輩らとの特訓の成果もあるかもしれない。これは……私も負けてられない、かもしれない。ちょっとは強くなったと思いたいけど、彼らと比べると体術はまだまだだ。頼みの綱である術式だって、もうちょっと範囲を拡大したり威力を増したり、特訓しようがあるかもしれない。でも、何から手につけたらいいかわからない。一つ考え始めると周りが見えなくなるのは悪い癖で、私は七海くんが立ち止まったことに気が付かず、彼の背中に突撃した。

「わっ、ごめん、七海くん」
「何も焦らずともいいのでは」
「え?」
「……海は逃げませんよ」

 ──ああ、そういうことか。彼の目には私が海に行きたくてしょうがないように映っているらしい。恥ずかしくなって俯けば、灰原くんがクスリと笑った。「七海ってば、分かりづらいよ」なんていう灰原くんの言葉の意味も、七海くんがどうして苦虫を噛み潰したような顔をしたのかも、私には分からなかった。分からないなりに考えたふりをして、しかし七海くん越しに見た海に目を奪われて、すぐにそんなものを頭の隅に追いやってしまった。

「綺麗……!」
「ちょうど日の入りだし、タイミングバッチリだったね!」
「二人が任務早く終わらせてくれたおかげだよ、ありがとう」
「僕たちはできることをしただけだよ!ね、七海!」

 明るくそう言った灰原くんに対して、七海くんの表情は変わらない。彼の言葉に同意するわけでもなく「私は次のバスの時間を見てきます」と言って立ち去ってしまった。そんな姿を引き留めることなく、灰原くんは砂浜に座り込む。私も彼に倣って隣に体育座りをした。

「ねえ、みょうじは七海のどこが好きなの?」
「……へっ?え、いや、……ナニイッテルノ、ハイバラクン」
「僕は七海の優しいところが好きだよ!本当、七海はいい奴だよね!」
「あ、そういう……うん。私も、七海くんの優しいところが好き」

 優しいのに、ぶっきらぼうで。冷静だけど、本当はこの中の誰よりも熱い人。術師の世界では珍しいくらいの人格者。私がそう言えば、灰原くんは笑って「だよね」と言った。しかし、私からしてみれば灰原くんも優しくていい人だ──家族思い、友達思い、先輩思いの優しい同級生。本当に、私は同級生に恵まれた。

「みょうじのことも、僕はいい奴だって思ってる。本当、僕は恵まれてるよ。たった二人の同級生がこんなにいい人たちだなんて、思ってもみなかったから」
「灰原くん……」
「だから、そんな二人が恋人同士になるってのなら、僕は嬉しいけどね!」
「……えっ?な、なに、何言って、……え!?」
「あれ?七海に告白されたんじゃないの?そう聞いたけど」
「き、聞いたって、誰に……」
「家入先輩!あと、夏油先輩と五条先輩も知ってたよ!」

 話すんじゃなかった、家入先輩口軽すぎ、あの2人に知られるなんて……と抱え込んだ膝に呟く。
 七海くんに、告白……紛いのことを言われたのは、夏休みも中盤に差し掛かった日のことだった。確か海に行こうと言い出したのもその日だったと思う。連日猛暑が続く中、灰原くんや先輩達のいない談話室でテレビを見ていた。七海くんが好きだという映画は私には少し難しくて、隣で解説してもらいながら、二人並んで映画を見た。多分、いつも通りだった。休みになれば、私たち2年生は大体集まっていた。誰かが任務でも他の誰かと一緒にいるのが普通で、その日はたまたま私と七海くんが休みだったというだけで。
 七海くんの様子はいつもと変わらなかった。彼が作ってくれたパスタはいつも通り美味しかった。任務の時に寄ったパン屋の話とか、夏油先輩の買ってきてくれたお土産の話とか──私たちは食道楽だから、食事の話が一番盛り上がるのも変わらなかった。ただそんな変わらない中で、七海くんの一言だけが全てを変えてしまった。

「うそうそ。家入先輩に聞いたのは本当だけど、夏油先輩と五条先輩は知らないと思うよ」
「……本当?」
「うん。家入先輩は話してないってさ。でも二人ともちょっとおかしい時あったし、何かあったとは思ってるんじゃない?」
「そう……」
「でも、本当にちょっとだよ。僕もすぐには気づかなかったしね!」

 灰原くんはいい人だから、"こんなこと"が悩みの種でも誰かが悩んでいたら励ましてくれる。その事実にまた一つため息をついた。これは、彼の専売特許だというのに。

「みょうじはいい人だから、僕に遠慮してるんだよね」
「……いい人かはともかく、遠慮はするよ。誰だって」
「七海も同じこと言ってたんだ」
「え?」
「やっぱり、二人ともいい人だ」

 私たちがもし、恋人同士になったとして。灰原くんはきっとそんな私たちに遠慮する。今まで三人で過ごしていた時間ですら、私たちが二人で過ごせる様にすっといなくなってしまうだろう。七海くんが好きなことは確かで、でも灰原くんが遠慮するようなことがあって欲しくないと思うのも確かだった。
 七海くんはそんな私の想いを汲み取ったのか、恋人同士の付き合いを仄めかすことは言わなかった。ただ私のことが好きだと、それを知っていて欲しいと言っただけで──いい人なのは私じゃない、灰原くんと七海くんの方がよっぽどだった。

「でも、七海の気持ちは大事にしてあげなよ。もちろん、みょうじの気持ちも。僕のことなんか二の次でいいんだから」
「そうかも、しれない……けど」
「じゃあもう一回聞くけど、みょうじは七海のどこを好きになったの?」

 その言葉に、私が思い返すのは──入学式のことだ。七海くんも灰原くんも私より等級が下で、私は大人と同伴ではない任務が初めてだった。私の方が経験があるんだからと自分を鼓舞していたけど、見ないふりをしていただけで恐怖はいつも隣にあった。私よりも等級が上の呪霊を見て、それに薙ぎ倒された瞬間、隠していた恐怖が一気に私に襲いかかってきたのを覚えている。
 でも、七海くんは隣にいて、私を信じてくれた。初の公式任務で、術式も不利なのに食らい付いて。背中を預けて戦ったのは、彼が初めてだった。多分初めて好きになったとすれば、その時──灰原くんにそう話すと「じゃあ僕と七海の立場が逆だったら、僕のことを好きになってた?」と言われてしまった。意地悪な質問に私が頭を傾げると、彼は「ごめん、本心じゃないよ」と笑った。

「今の二人を見ていると、どうやっても二人は好きになるんだろうなって思う。あの時僕と七海が逆の立場でも、みょうじは七海のことを好きになってたと思うから」
「……うん。私も、そう思う」
「だから僕に遠慮なんてしないで。七海の気持ちをちゃんと受け止めて。それから、みょうじ自身の気持ちも──」

 膝から少しだけ、視線を上げる。水平線に、ものすごいスピードでオレンジ色が吸い込まれていく。昼間はあんなに暑かったのに、夜はこんなにも肌寒い。もうすぐ夏が終わる。明日から新学期だ。まあ、夏休みも任務任務であってないような物だったけど、新学期が始まればまた忙しくなるだろう。七海くんも灰原くんも、明後日には遠方の任務に行ってしまう。その前に、伝えなければならない。
 彼のことをずいぶん待たせてしまったと思う。その間に嫌われてないかな、待たせる女に愛想をつかせたんじゃないか、とか、余計なことを考えた。でもそんなことよりも、彼に対する愛しさが喉の奥から迫り上げてきて、しょうがなかった。肌寒いのに内側の熱はおさまることを知らない。
 ──七海くんが好き。一度でも口に出して仕舞えば、もっともっと、言いたくなる。灰原くんは、そんな私を見てくすりと笑った。

「……結婚式は呼んでね!!」
「けっ……気が早い……!」
「え?でも僕、七海のこと任せられるのはみょうじくらいだと思ってるから!」
「いやでも、七海くんに相応しい人なんて……もっと、他にも」
「七海のこと、任せたよ!!」
「任されました……じゃなくて!」

 灰原くんとのやりとりに、後ろから聞き慣れたため息が聞こえた。噂の彼が「何してるんですか」と呆れたような声で言う。私は早まる心臓を押さえつけて至って平静を努めたが、絞り出した声はうわずった物だった。

「次のバスどう?」
「あと10分後です。今から向かえばちょうど良い頃合いでしょう」
「電話で呼んでくれたらよかったのに。往復大変じゃなかった?」
「……ああ、いや、別に」

 彼が歯切れの悪い物言いをするのも、効率の悪いことをするのも珍しい。七海くんはただ行きますよと言って、私たちの前を大股で歩いて行く。灰原くんと顔を見合って、彼を追いかけて隣に並んだ。
 結局、帰りのバスも私は眠ってしまった。あのつまらない夢を見ることはなかったが、代わりに七海くんと灰原くんと三人で海に行く夢を見た。きっとこの夢は、私の願望の現れなのかもしれない。
 ──来年こそ、三人で泳げるといいね。





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