綺麗な着物を着せられて、お社の前に作られた祭壇へと向かう。何枚も重ね着したから歩くのすら億劫になるほど重たくて、でも父の「儀式だからちゃんとするんだよ」という言葉に素直に従った。参道を背筋を伸ばして歩く間、真っ白な着物を汚さないように裾は叔父が握ってくれていた。山の上にあるというのに、見物に来た人はたくさんいた。儀式が終われば、屋台が解禁される。それを楽しみに待つ私と同い年くらいの子供が母親らしき女性と手を繋いで、私を見つめていた。羨ましさから目を逸らすように、私はその子から目を離した。
 豊田祭ほうてんさい──私の家、ひいては地域で行われる神様に豊穣を願う祭り。毎年、地域から一人7歳の女の子が選ばれて、儀式の巫女役となる。本来なら神職である私の家から選ばれるらしいけど、私の家は昔から女の子が生まれにくい家系らしい。だから年が経つにつれて、"地域の女の子"も巫女役に選ばれるようになったとか。お父さんが言っていた。そして、私は久しぶりの"この神社の娘"で、今年は特別なのだという。これも、お父さんが言っていた。
 巫女役だなんて大層な名前があるけど、実際は綺麗な着物を着て、儀式の形を取るだけだ。お酒(といってるけど、実際は"甘酒"ってものらしい)を飲むだけの、簡単なお仕事。でもその儀式も、やっぱり形は大事なんだって。私は当日までお父さんに流れをこれでもかというほど教え込まれた。まず、お父さんが祝詞をあげる。神様と私に交互にお酒を注いで、私だけ飲む。神様は実態がなくてお酒を飲むことはできないから、けんじょう……?という形で、飲んでもらうらしい。
 三度、お酒に口をつける。「あまり美味しいものではないからたくさん飲まなくてもいい、最後の一口だけでいいから」という父の言葉に従って、最後の一口だけお酒を飲んだ。飲み物なのにざらざらしていてあまり美味しくない。あとで屋台のベビーカステラか大判焼きのカスタードを買ってもらおう、と心に決めた。こんなに重い服を着てヘトヘトなんだから、それくらいのわがままは許して欲しいな。
 小さい私は、綺麗な着物を着れて憧れていた。みんなが祭りに浮かれている。私だって例外じゃなくて、祭りの雰囲気と普段食べないようなお菓子たちに心躍らせていた。私の家は普通じゃないことを、私は七歳にして知っていた。母は私を産んだ時に亡くなり、父も叔父も神主。兄もその跡を継ぐ、神職の一家。それでも、私だけは普通だって信じていた。親が神主でも、巫女役でも、変なのが見えても、祭りに浮かれてしまうただの女の子だと──ずっと、信じていた。
 建人くんは私の話を聞き、「ええ、普通ではないですね」と言った。

「呪術師で普通な人がいますか?」
「い……るかも、しれないよ」
「いないんですね」

 呪術師と聞くと、私は一個上の五条先輩を思い出す。特級術師・五条悟。私たちの中で最も普通から離れた、とんでもモンスターだ。術師としての腕の話ではない、性格のことを言っている。
 それから身近なところだと、同じく一個上の家入先輩。大変貴重な反転術式の使い手だ。あの人ももまともかと言われるとそうではないけど、五条先輩と比べてしまえばみんなまともになってしまう。不思議なことだ。

「私も普通じゃないってこと?」
「術師としてはまともです。でも、一般人にはいないと思います。そういう点では普通ではない」
「建人くん、手厳しい」
「まあ、私も普通ではないので」

 「一緒だね」と言うと、彼は照れたのか何も言わなかった。私よりうんと高い位置にある顔は一見変わらなかったが、少しだけ耳が赤くなっている。
 建人くんは私の恋人で、お互い17歳だけど将来を誓い合った仲だった。五条先輩には「高校生の恋愛なんて遊びだろ、どうせすぐ別れるに決まってる。馬鹿じゃねーの」と言われたが、珍しく建人くんが言い返していた──私たちは高専生です、と。……あ、そっちなんだと思ったけど言わなかった。彼も大概普通ではない。

「17歳で両親に結婚の挨拶なんて、普通じゃない?」
「ええ、まあ。普通ではないでしょうね」
「五条先輩にも笑われちゃったしね」
「あの人こそ、もう結婚しなければならないはずなんですけどね」
「うん。でもずっとお見合い断ってるみたい」

 御三家も大変だ、なんて話しながら山道を歩く。私の家はこの山の上の神社だ。いくら術師で体力があるとはいえ、この道を歩くのは少しだけ辛い。なんでこんな山の上に神社なんて作ったんだろう。小さい頃はそう思っていたが、呪術を祓うようになってわかったことがある。この山は神社の影響か、土地神の影響か、どちらにせよ少し他とは隔離された場所であるらしい。一種の帳のようなもの。神様的に言うと神域、結界なのだと、父は言っていた。

「五条さんの言っていたことですが、」
「高校生の恋愛は遊びってやつ?」
「私は遊びのつもりはないですが、高校生の恋愛が長続きするとは思わない」

 建人くんはロマンチストではない。現実主義で、思ったことはハッキリと言う性格だった。悲しきかな、仮にも彼女の前で「長続きするとは思わない」なんてハッキリ言ってしまえるのが建人くんである。

「でも私はなまえとの未来が想像できましたし、だから結婚したいと思いました」
「どういうこと?」
「この人とはこれまでの縁だな、とかあるでしょう。卒業したら話さなくなりそうな人とか」
「悲しいことにあるかも」
「でしょう」

 高校行っても忘れないからね、なんて言葉はだいたい嘘だ。人は忘れてしまう。私は彼女の言葉覚えていても、もう名前も思い出せない。ああ、これは私が薄情者なだけだろうけど。
 それでも人は忘れる。大事なものだったはずのことも、事実というものにどんどん埋もれて本当に大事なのかわからなくなって、大事の"枠"からはみ出す時がいつか来る。人はそれをキャパシティーと呼ぶのだろう。人が抱えられる荷物に限度があるように、大事といえる記憶、いわゆる思い出だって限りがあるのだ。

「でも貴方とはなんとなく、ずっと一緒にいるような気がするんですよ」
「そ、そういうもの?」
「ええ。そういうものです」

 きゅっと、握られた手に力が入る。なんとなく建人くんの顔を見れなくなって、目を逸らした。目の前にはまだまだ階段が続いている。

「私も……建人くんとこれからも過ごしたいって、思ってるよ」
「そうですか。一緒ですね」
「うん、一緒」

 私が握る手を強くすれば、建人くんも強く握り返してくれる。でも痛くはない。彼はいつだって私に優しい。
 それとなく、彼との未来を想像するようになったのはいつからだろう。灰原くんが亡くなり、夏油先輩は離反し呪詛師になった。建人くんはそれに絶望してしまった、のだと思う。彼の心中はわからないが、最近の彼が裏切られたような悲しげな目をしていたのを私は知っていた。
 いつだったか「呪術師を辞めたい」と彼から小さく放たれた言葉を、私はたまたま聞いてしまった。逃げかもしれない、私だけ普通の生活を享受するのは狡いだろう、と彼は言った。彼はそう言ったが、私は建人くんが術師を辞めることに賛成だった。だって、もうこれ以上、好きな人に死んでほしくない。

「持論ですが、努力なしに人は共に生きることはできない」
「……うん」
「私はなまえと一緒にいられる努力をします。別れないために。それから、死なないように」
「うん」

 できるなら、私だって彼とずっと一緒にいたい。高専の寮でいつもするみたいに、彼の選んだ映画を二人で見たり、談話室でお互いのおすすめのパンを食べたり。そういう、なんでもない彼との生活を私は望んでいる。術師は短命であると言われているけど、それでもできるだけ長く──私も彼と共に生きることを決意したのだ。だからこうして、我が家に挨拶に来たわけだけど。

「ここだよ」

 階段を登り続け、ようやく辿り着いた先に我が家はあった。規模は小さいながら、石でできた大きな鳥居を構えている。建人くんは鳥居の大きさに圧倒されるように見上げていた。彼だって身長は高いはずなのに、こうして鳥居と比べると小さく見えるから不思議だ。

「貴方の家は産土神信仰でしたか」
「うん。 宇賀々御霊命うかがみたまのみことっていう蛇神様」
「ウカ……蛇神なんですか?狐ではなく?」
「名前がよく似てるから、ウカノミタマと混同されがちなの」
「でも豊穣の神なんでしょう?弁財天でもないんですよね?」
「どっちもうちとは別の神様だよ」
「貴方の術式が蛇なのはそういうことでしたか」
「そういうことです」

 ウカノミタマはかの有名な稲荷神のことである。お稲荷さんと呼ばれる稲荷神社は全国各地に広まっており、たしかに豊穣の神様だ。だから遣いが狐ではないことを疑問に思ったらしい。術師とはいえ、その知識がぱっと出てくるなんて建人くんは博識だ。彼の言う通り、よく似た名前だし豊穣の神となれば稲荷神や宇賀弁財天と間違われるのも無理はない。「昔の人も同じように間違えて、同じように間違って伝わってしまった」というのが父の見解だった。
 神というと古事記や日本書紀と言ったいわゆる日本神話を想像しがちだけど、八百万の神がいる日本では、出自がよくわからない神は多くいる。我が家が祀る蛇神も、そういう意味ではよくわからない存在だ。ご利益はあるし信仰もたしかなはずなのだが、色々な神と混ざりに混ざって伝わっている。

「参拝作法は二礼二拍手一礼で間違い無いですか」
「うん。うちも例に漏れず……建人くんなら間違えることはなさそうだけど」
「出雲が四拍手なのを知らず、以前恥を晒したことがあります」
「そうなの?意外だ」
「私にだって知らないことはあります」
「ウカノミタマを知ってるのに?」
「それはたまたまです。神道のことなら、確実になまえの方が詳しいでしょう」
「んー、それはまあ、神主の娘だし……」
「……」
「……緊張してる?」
「まあ、少しは」

 建人くんにしては口数が多いと思ったが、そういうわけだった。彼は先ほどから変わらず鳥居を眺めるだけで、動く気配がない。

「別に、帰ってもいいんだよ。お父さんたちには急用が出来たって言えばいいだけだし……」
「いえ、ここまで来たからには行きます」

 「任務で死ぬことよりは怖くない」と言って、建人くんは社殿に向かってお辞儀をする。こんな彼でも緊張したり、怖いものがあるんだなと思うと愛おしさが込み上げてきて、それを押さえ込むように私も彼に続いて深くお辞儀をした。
 「せーので入ろう」と言う私の言葉に彼が頷く。それを見て、私は小さい声で「せーの」と言った。子供みたいだけど一緒に入れば恐怖なんて忘れるだろう。そう思って一歩、右足を出して、境内に足を踏み入れたところで──全身を何かが這うような感覚がした、気がした。

「──建人くん!!」

 嫌な気配が全身を襲って、私は咄嗟に彼を敷地外へ思い切り突き飛ばした。その瞬間、全身を這うような感覚は確かなものとなり、私は蛇に睨まれたかのように身体が弛緩する。1ミリも動かせない、どころか、動かしたら死んでしまいそうだ。単なる体を動かせなくなる術式ではない。縄で縛り付けられて押さえつけられたような──それでいて毒に犯されたように身体が痺れて動かせない。

「っ、なまえ!!」

 建人くんの声が聞こえる、私の名前を呼んでいる。しかし、それに応えられるはずもない。体同様口の中を何かが這っていて、気管を塞ぐ。私は気付けば声すら出せなくなっていた。

「なまえ!!っ、なんだ、これは、」

 骨の軋む音、肉が締め付けられる音、建人くんが私を呼ぶ声、何かの叫び声、頭の中で全ての音が反響する。敷地外に突き飛ばした彼に手を伸ばそうとしたが、何かに弾かれたように手が届かなかった。
 働かない頭で理解した。これは呪いだ。なんで、どうして呪いが、なんでここに、なんで私が、息ができない、手足が動かない、助けて、助けて欲しい、あつい、いたい、いたくて、死んじゃう、このままじゃ、私死んじゃ……たすけて、たすけて、だれか、建人くん──!

「ぐぁ──!!」
「っ、かはっっぁっ……!!」

 意識が飛びそうになって、ああもうだめだと思ったところで、私は階段の方に引っ張り出された。その途端に口の中を這っていた無数の子蛇を吐き出す。私の伸ばした手は外側に届かなかったが、建人くんの伸ばした手は私に届いたようで、彼が私を引っ張ってくれたらしい。彼はそのまま引っ張り出した私を胸に抱き止めた。

「はっ、ぁ、けんと、くん、」
「クソッ…!!なんでこんなところに呪いが……!?」
「けんとく、ん……うで、……」
「っそんなことどうでも良い!!」

 建人くんの片腕には締め付けられたかのような痕を残しており、力が入れられないのかだらりとぶら下がっていた。私を引っ張った時の反動か、境内に入り込んだ片腕だけ呪いに当てられたのだろう。
 建人くんは無事だった片腕で私を抱き止めて、凄い勢いで階段を駆け降りた。あそこにいてはまずいと本能で察したらしい。できるだけ早く、できるだけ遠く、あそこから逃げなければ私たちは今度こそ殺される。あれは私たちではどうにもならない。特級術師である五条先輩じゃないとどうにもならない。
 呪いの気配なんて一切なかった。来た当初、そこにあったのは変わらず私の家で神社だったはずだ。いつだって清浄な空気をまとった、神様を祀るための場所。しかし私が建人くんに引っ張り出された時、外側から見た境内はまるで白く蠢く"何か"で埋め尽くされていた。あそこが、一瞬であんな特級呪霊の領域のごときになるなんて誰が思っていただろう。
 山道を降りたあと、彼は着ていた学ランを地面に敷いて私をそこに寝かせた。身体は変わらず痛い。全身が熱を帯びており、体のあちこちがミシミシと軋む。痛みに身を捩れば、さらに痛みが増していく。息をしているだけで地獄のような時間だった。

「いま高専の者を呼びます!気をしっかり持ってください……!!」
「う、ん……」

 境内にいたはずの父や兄は無事だろうか。少なくともあの瞬間、境内は入った者を全て攻撃する結界へと変貌していた。いつからそのようになったかはわからない。少なくとも、私たちが山道を登っている間は全く嫌な気配は感じなかったはずだ。
 建人くんの声を聞きながら私の意識は薄れていく。五条先輩と夏油先輩と手合わせをして伸された時もこんな感じだったな、と思った。建人くんは変わらず私の名前を呼ぶ。薄れゆく意識の中で、ただ彼と家族の無事だけを願っていた。





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