「どう考えても、1年に務まる任務じゃない」
「僕は燃えてるよ!!夏油さんにいいとこ見せたいからね!!」

 いつも通り溌剌な、いつも以上にやる気のある灰原くんに対して、七海くんはいつも以上に不満そうな表情を浮かべた。──私たちは今、沖縄・那覇空港に来ている。五条先輩と夏油先輩が星漿体護衛任務のために沖縄に赴き、敵対組織が空港を占拠する可能性があるとのことで私たちもそのあとすぐに呼び出された次第であった。星漿体が同化をするのは明日の日没後。沖縄という陸の孤島に閉じ込めて同化の時が過ぎるまで天元様の元から星漿体を離す……というのが敵の目的だろうと夏油先輩は言っていた。非術師の集まりである盤星教ではあるが、それなりに数も多いと聞く。懸賞金目当ての呪詛師も厄介だが、我々呪術師では手出しできない非術師も十分厄介だ。七海くんの言う通り、たしかに1年には難しい任務であることに違いはない。

「それに、いたいけな少女のために先輩たちが身を粉にして頑張ってるんだ!!僕たちが頑張らないわけにはいかないよ!!」
「台風が来て空港が閉鎖されたら頑張り損でしょう」
「それは……祈るしかないね!!」
「頑張りどころが違うよ、灰原くん……」

 任務だと言うのに灰原くんの纏う空気は相変わらず明るいものだった。初めて任務をした時だって、戸惑いつつも明るさを忘れなかった彼である。最近は慣れてきたことと等級が上がったこともあって、この3人が一緒になる任務も少なくなりつつあったが、相変わらずの彼に私は早くも懐かしさを感じていた。

「でも、私も灰原くんに賛成かな」
「……みょうじまで」
「夏油先輩にいいところを見せたいってわけではないけど、いたいけな少女のためにってところは共感できるから」

 星漿体の少女はまだ14歳の中学生だと言う。天元様とこの世界のためとはいえ、運命に翻弄され、もう二度と人としての生を歩めないのだと思うとやりきれない。その上命を狙われるなど恐怖以外の何者でもないだろう。そんな彼女の最期を、尊厳を守るためだ。
 私の言葉に七海くんはため息を吐く。「あなたも灰原も甘い」と小さく呟かれた言葉に、思わず灰原くんと顔を見合わせた。そして互いにクスリと笑うと、七海くんは不思議そうに私たちを見る。どうやら、私たちの言いたい事が全くわかっていないらしい──甘いのは、七海くんの方だ。そんなに言うなら引き受けなければよかったのに。2人でも大丈夫だと先輩には言われていたのに、彼は3人で行くと言った。何より、14歳の少女が命を狙われていると聞いて真っ先に怒っていたのは七海くんだった。言葉には現れていなかったものの、硬く握られた拳が物語っている。だから私たちもやる気になっているのだと、彼は微塵も知らないのだろう。
 彼は私が笑ったのが気に食わなかったらしく、じっと私の顔を見つめてきた。ごめんね、と笑いながら謝るが許してもらえそうにない。灰原くんに助けを求めようかと思ったのに、灰原くんは知らぬ間に誰かと電話していた。彼の嬉しそうな顔を見るあたり、相手は夏油さんで間違いないだろう。

「任務なのに楽しそうですね、灰原もみょうじも」
「彼はいつもだから」
「あなたは違うんですか」
「私は……その、」
「なんです、歯切れが悪い」

 チラリと七海くんの顔を少しだけ見て、すぐに地面に視線を落とす。お腹のあたりで両手を合わせて組んだり擦り合わせたりしてると、とうとう七海くんは痺れを切らして「笑わないので教えてください」と言った。

「ほ、本当に笑わない?」
「五条さんならともかく、私は笑いませんよ」
「本当?」
「ええ」
「……海が」
「海?」
「海が綺麗で、その、思ってる以上に綺麗で……嬉しくて」

 私がそう言うと七海くんは一瞬ぽかんとした顔を浮かべて、ふいっと顔を横に向けた。表情は変わらないが、よく見ると少し肩を震わせている。

「わ、笑ってる……!」
「いえ、笑いたいわけではなく」
「笑わないって言ったのに!」
「沖縄の海は綺麗ですよね」
「やっぱり笑ってるでしょ七海くん!」

 だから言いたくなかったのだ、こんな子供じみた考え。でも山育ちだもの、海に憧れがあってもいいじゃない。私が知っている海なんて東京湾とかだし、日本国内でこんなに綺麗な海があるなんて思ってもみなかった。知識として本やテレビで見たことはあっても、実物を見ると全然違う。どこも青くて透明で、空をそのまま写したかのようで……昔から想像していた海がそこにはあった。童話を実体験したかのような感動を味わったのだ、嬉しくなってなにが悪いと言うのだ。もちろん任務だということは分かっているし、それなりに準備だってしている。地面を這いずる蛇たちがその証で、私はここにきてから一度だって術を解いたことはない。
 大人気なく不貞腐れていると、七海くんは今度こそ口角をあげて笑った。五条先輩が以前「七海もっと笑えよ〜」とだる絡みしていたことがあったが、彼は私たちの前だと結構笑うと思う。灰原くんが一番ゲラなのはたしかだが、七海くんも意外とわかりやすい。そんな噂の灰原くんは電話口で「えっ」と大きな声をあげると、私たちに向かって叫んだ。

「七海!!みょうじ!!滞在1日延ばすって!!」

 何かあったのかな、という灰原に私たちは固まる。どうせ五条先輩がもうちょっと観光しようぜとか俺たちなら余裕だろとか言ったに違いない。夏油先輩はそれを承諾したということだろう。あの人は五条先輩の手綱を握っている飼い主のようで、その実2人揃って狂犬なのだ。

「五条さんには落ち着きというものを学んでいただきたい」
「でも浮かれる気持ちはわかるよ」
「みょうじもそうですもんね」
「そっ……それは──」

 あの人の傍若無人に比べたら私はまだちゃんと任務に携わってるよ、と言おうと思ったが、瞬間、私は口を噤んだ。

「……七海くん、灰原くん」
「ええ」
「うん」

 這いずる蛇たちが、あたりを伺うように舌をチラつかせる。七海くんは持ってきていた鉈に手をかけ、灰原くんは夏油さん仕込みの構えの姿勢をとった。
 あたりは普通だった。一般的な空港の風景に、人が多く集まっている。ただ少し違うのは、その多くの人たちが空港にもかかわらず荷物を持っていない事、そして、異様な空気を漂わせている事──私たちは全員がそれを感じ取り、すぐさま臨戦態勢に入る。呪詛師なら呪力が練れないほどに痛めつける、非術師ならばそれなりに拘束する。ただ、それだけだ。





「おう、お前らお疲れさん」
「……やっぱり1年に務まる任務じゃなかったですよね」
「でも務めたんだろ、上出来じゃん」

 翌朝、両手いっぱいにお土産やらなんやらを抱えた五条さんが空港にやってきた時、私たちはすでに息も絶え絶えであった。あれ以降非術師の集団も、呪詛師と思われる人間も大量にこの那覇空港に訪れた。その度に私たちは追い払い、痛めつけ、拘束していたわけだが、非術師ともなるとそれなりに手加減をしなければならない。フラストレーションと疲れが溜まる一方で不完全燃焼なのに燃え尽きてしまった今、明らかに楽しんできたであろう五条先輩の姿は目に毒であった。
 彼の隣には、例の少女──天内理子が立っている。これから天元様との同化のために高専に向かうという彼女の顔は、少々寂しげだった。しかし、私の姿を見るや否や「お前らの学校、女子もおるのか!!」と明るく近づいてきた。

「はじめまして……えっと、天内さん」
「妾の名前を知っておるのか!お前、名はなんという!」
「みょうじです、みょうじなまえ。そこにいる五条先輩と夏油先輩の後輩です」
「みょうじ……」

 天内さんはぐりんと五条先輩の方へ振り返ると「妾の護衛みょうじが良かった!!」と叫んだ。……はい?

「お前らよりみょうじの方が優しそうじゃ!」
「今まで護衛させておいてそんなこと言う?」
「みょうじなら妾の手足を引っ張って遊んだりなんかせん!」
「五条先輩そんなことしたんですか……?」
「傑もやってたもん」
「夏油先輩まで……!」
「悟がやりはじめたことだよ」

 罪のなすりつけ合いに頭がくらくらしてくる。星漿体ということを抜きにしても、中学生の女の子にそんなひどいことをするなんて。私は天内さんの方に向き合って少し屈む。彼女の顔を覗き込んで、優しさを努めて言葉を発した。

「天内さん、私たちの先輩が酷いことしてごめんなさい。痛くなかった?」
「……うん」
「ならよかった。この人たち、悪い人ではないんです。でもちょっと性格が悪くて」

 そうやって言うみょうじが一番性格悪いよ、私は五条さん以上に性格悪い人なんて知らないですけどね、という五条先輩と七海くんのやりとりは無視しておいた。天内さんはスカートを握りしめもじもじと下を向いている。"偉そうなガキ"と五条先輩からは聞いていたが、その実、14歳らしい女の子であった。

「沖縄、どうでした?」
「っ、た、楽しかったのじゃ!海が綺麗で、ナマコがキモ……気持ち悪くて、ソーキそばは辛かった!」
「辛い?」

 はて、ソーキそばって辛かったっけ。

「水族館も……楽しかったのじゃ」

 その声は少し震えていて、どこかに心残りがあるように聞こえた。これから天元様と同化する少女の最後の余暇──きっと、心からの言葉だった。
 私が彼女と話せるのはこれが最初で最後なのだと考えると、少しだけ虚しかった。これから消えてしまうに彼女といつ死んでもおかしくない私、生きて出会えたことを喜ぶべきなのか。間接的にでも彼女を守ったことで私たちは天元様の結界の安定というリターンを貰えるのか。彼女の意思はどこに行くのだろう。小さな命に全てを託して情けない──様々な感情が押し寄せては引いていくが、うまく一つにまとまらない。
 結局、天内さんと話せたのはその少しの時間だけだった。夏油先輩がすぐに「なるべく同じ場所に固まらない方がいい、私たちは目立つから」と言って天内さんらを連れて行ってしまった。天内さんは「此奴らにいじめられたら妾に申せよ!妾は天元様じゃからな!」と明るく言って立ち去っていく。その後ろ姿に手を振っていると、横で七海くんがいつものようにため息を吐いていた。

「あのような少女がいなければ、私たち術師は満足に力も振るえないなんて」
「……嘆かわしい?」
「いえ……嘆かわしいなどと言える立場ではありません。情けないとは思います。しょうがないとか、他に方法がないのか、とも。でも何よりやるせない」
「やるせない、かぁ」
「なんです?」
「いや、ピッタリだと思って」

 七海くんはすごいなぁ。自分の思ったことがよく分かっていて、ちゃんと言語化できて。私が感じていた、先程纏まらなかった気持ちはそれだ──やるせない。晴らすこともできない感情は、不完全燃焼によく似ている。
 デッキから彼らの乗っている飛行機を見上げる。よく見れば夏油先輩の手持ちの呪霊の何体かが飛行機の周りを漂っていた。あの五条先輩すらずっと寝ていないのだという。最強と謳われる彼らですらどうにもできないことを私たちができるわけがない。
 私たちが黙り込んだのを見計らったのかはわからないが、灰原くんは突然「あっ!!」と大きな声で叫んだ。

「七海!!みょうじ!!」
「なんです?」
「4階のレストラン行こうよ!!」

 灰原くんの言葉に、七海くんは顔を顰めた。

「遊びじゃないんですよ」
「でも、任務も終わったし!!」
「そうだとしても、」
「ハンバーガーとかパンもあるみたいだし、見晴らしのいいお店もあるみたいだよ!!海が見える席も今なら空いてないかな?」

 その言葉に私は惹かれる。海を見ながら食事なんて、今までしたことがない。きっと最高に気持ちがいいだろうと思って七海くんの顔をチラリと見つめると、彼は昨日から何度目かもわからないため息を吐いて踵を返した。

「フライトまで時間はありません。早く行って早く食べましょう」
「……うん!」
「そうこなくっちゃね!!」

 五条先輩だって楽しんでいたもの、私たちもできる範囲で楽しまなくては──だから、その後運命に翻弄された"彼女"がどうなるか、私たちは一瞬考えるのをやめてしまった。そのことを後悔する時が来るなんてのは、その時は思いもしなかったから。





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