「イェーイ!卒業おめでとう!」
「ありがとうございます」
「……ありがとうございます」
「テンション低くない?ほら飲めよ、僕の奢りだぞ〜」

 五条先輩──いや、もう先輩ではないのか。五条さんはそう言って、私と建人くんのグラスに並々とジュースを注いだ。五条さんがよく飲んでいる、着色料も糖分もたっぷりのメロンソーダは、下戸の彼が買ってきたものだ。成人したとはいえ一応まだ学生だし、というか学校内だししょうがない。
 2011年3月1日。今日は私たちの卒業式だ。式典を先ほど終えたばかりで早々に帰ろうと思っていたところ、高専教師となった五条さんに「卒業祝いパーティーしよ」と言われて引っ張られ今に至る。会場(私たちが使っていた教室だ)には、五条さんだけでなく家入さんと伊地知くんもいた。他のみんなは任務だから来れなかったらしい。伊地知くんは次が5年生だから他より余裕がある……とはいえ、補助監督へと進路変更した彼は覚えることも多く忙しそうではあった。それでも来てくれたのは、彼の優しさと五条さんの無理強いによるものかもしれない。

「七海さん、みょうじさん。ご卒業おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「ありがとう、伊地知くん」
「みょうじさんとはまた高専で会えるとはいえ……七海さんは大学編入ですもんね。寂しくなります」

 そう、建人くんはこの度、大学編入を果たすこととなった。呪術高専は表向きには宗教系の私立校を装ってはいるが、その実態は呪術師の教育機関。カリキュラムには当然実技と称した任務が組み込まれる。建人くんは大学受験の勉強と並行してその任務をこなし、無事試験に合格したわけで──相変わらずの努力家、と感心してしまった。

「伊地知君は補助監督に転向、でしたよね」
「はい。自分にはセンスがなかったもので……」
「補助監督とはいえ、危険が伴うのも事実です。私が言うことではありませんがお気をつけて。それから、なまえのことをよろしくお願いします」
「……ええ、七海さんも。みょうじさんのことはしっかり送迎しますのでお任せください」

 私はというと、卒業後、術師として細々とやっていくことに決めた。この体型になって等級は全く上がらないし(身体能力が下がったからしょうがない、そして呪われた身は上にとって都合が悪いらしい)、とはいえ術師以外に自分にできることなど思い浮かばなかったからだ。ずっと呪いの祓い方しか学んでこなかった上に、こんな見た目では一般企業への就職なんて難しい。
 建人くんが伊地知くんに私のことを頼んだのはまあ、納得できる。できるけど、子供扱いみたいでなんだか複雑だ。そういうやりとりは私のいないところでやってほしい。ぷくりと頬を膨らませるが、建人くんは全く気づいてくれなかった。

「なぁーーにしんみりしてんだよ!辛気臭い!」
「してませんけど」
「てか伊地知、もうみょうじはみょうじじゃないでしょ。もう"七海"ってこと知らないのー?」
「えっ……そ、そうだったんですか?」
「いえ、まだですが。適当言うのやめてもらえますか、五条さん」
「でもこのあと役所行く予定だったろ」

 五条さんの言葉に建人くんが黙り込む。「図星?」とケタケタ笑う五条さんにはため息しか出ない。この人は本当になんでも、それこそ未来まで見えてるんじゃないかと思わされることがあるから怖いのだ。
 すると、端の方で料理を摘んでいた家入さんが「お前ら本当に結婚するんだな」と言った。その顔には少しの驚きが滲んでいる。

「ええ、悪いですか」
「いや?七海は手が早いなって思って」
「あ、それ僕も言った。伊地知もそう思うだろ?」
「い、いえ……私は別に……」
「そう思うって言えよ〜」
「五条さん、それパワハラですよ」
「お?言うようになったじゃん、みょうじ」
「……というか、五条さんはみょうじさんのこと苗字で呼ぶんですね」
「うん、嫌がらせだから」

 彼の発言にその場にいた全員が頭を傾げる。嫌がらせ?なんの?私や建人くんに対する……にしては、ダメージがないのだけど。五条さんは変わらず笑って「分からなくていいよ」と言いながら、私の頭をぽんぽんと叩いた。撫でると言うにはあまりにも乱暴で、建人くんが見兼ねて私を抱き上げる。ボサボサになった髪の毛を手で直してくれて「大丈夫ですか」と彼は言った。

「見せつけてくれちゃってぇ!」
「別に見せつけてません」
「はーやだやだ、これだからバカップルは。僕たち独り身はこのまま二次会してるから、お前らは婚姻届でも出してきなよ」
「ですから、まだ出しませんと言ってるでしょう」
「え?出さないの?逆に何で?」
「なぜって……」

 建人くんは一瞬黙り込む。しかし、五条さんが執拗に煽り、半ば強制的に建人くんはその理由を話すこととなった。そしてその理由を聞いて、五条さんは──爆笑した。

「あーーっっはっはっ!!ひ、面白すぎるでしょ、お前!!」
「……笑い事じゃないんですが」
「え?じゃあ何?書いてもらう人を探してたら、誰が適任かわからなくなっ……はっはっは!揃いも揃って友達いないのお前ら!!はは!!」
「ぶん殴りますよ」
「じゃあ五条さんは友達いるんですか?」
「はははっ……おい、僕の心が傷ついたんだけど?」

 先に傷つけたのはどっちだと言いたくなったが、オレンジジュースを飲み込んだ。先程は流石にムカついて思った事を口に出してしまったが、本来私は言わなくていいことは言わない主義なのだ。
 ──婚姻届の証人欄を書いてもらう人がいない。五条さんはそれを笑ったが、これは由々しき事態なのだ。私たちは親を頼れない。絶縁した私の両親を頼るわけにいかない。建人くんのご両親に書いてもらうことも考えたが、彼はそれを否定した。建人くんも高専に来た時点で、ご両親となるべく関わりを持たないようにしていたし、私がこんな体だから(ちなみに彼のご両親の中で、私は"重い病により面会謝絶中の彼女"という事になっている。雑な誤魔化しだ)結婚の挨拶すらまともにしていないのに婚姻届の証人を頼むわけにもいかなかった。
 まあだから、証人欄に書いてもらう人がいなかった。同級生はいないし、身近な人となると高専の人間しかいないのだけど……私たちは互いに同じ主張をした。五条さんにだけは証人欄を書かれたくない、と。

「しょうがないな。可愛い後輩のためだからね、僕が一肌脱いであげ……」
「ちょいまち」

 家入さんは一口コップの中身を呷り、それからなんでもない顔で「というわけで、はい」と言って私たちに1枚の紙を私たちに見せびらかす。何かわからずに二人で眺めていると、家入さんはそれを卒業祝いだと言った──二つ折りのそれに「家入硝子」「夜蛾正道」という名前が書かれているのが見えて、私は目を見開いた。

「えっと、これは……なんですか?」
「言ったでしょ、卒業祝い。私と学長からね」
「あ、硝子ずる!なんで僕呼んでくれなかったの?」
「五条が書いたら縁起悪いかなって思って」
「なんの根拠があんの、それ。僕の色こそ縁起良くない?白は花嫁の色!!」
「五条が花嫁なわけじゃないのに何言ってんの」
「たしかに?」

 二人のやり取りに反して、私も建人くんも何も言えずにいた。なんせ、家入さんや夜蛾学長に頼もうか、と相談したのが昨日のことであったのだ。
 卒業証書を受け取るようにそれを両手で受け取って、シワにならないように胸に抱きとめた。思わぬ卒業祝いに戸惑いも、喜びも隠せない。その姿を見たからなのか、家入さんはくすりと小さく笑う。

「あ、ありがとう、ございます……」
「いいよ。まあ、入籍したら報告くらいちょうだいね」

 結婚祝いもあげるから。家入さんはやっぱりなんでもないようにそう言って、食事を再開する。五条さんの悪ふざけの声と、伊地知くんの困ったような表情。ひたすらに食事を楽しむ家入さんの姿。それらを見ながら、私と建人くんは食事すら取らず、ただ無言でそこに立っていた。





 私たちのために開かれた卒業祝いのパーティーは、早々に幕を下ろすこととなった。五条さんが間違って家入さんの飲み物を飲んだらしく、一口でベロベロに酔っ払ってしまったからである。やっぱりあれ酒だったんだと思うと同時に、あの最強の五条さんもアルコールには弱いのだと知って少し得をした気分だった。
 卒業生である私たちは片付けの任を免除され、二人で高専の周りを歩いていた。術師を辞める建人くんにとっては最後の景色だ。みんなで特訓をしたグラウンドも、任務のせいであまり使うことのなかった教室。使ったことのない施設もたくさんあって、結局私たちが辿り着いたのは──みんなで過ごした寮だった。

「もう何もないね」
「まあ、もう引っ越すので。そういうなまえは荷造りしたんですか」
「……ぼちぼち?」
「明日手伝います」

 建人くんの部屋はすでにがらんとしてもの寂しかった。荷物は全部段ボールに詰められ、私たちが入学してきたときと変わらない姿がそこにはある。何も敷いていないベッドに座ると、建人くんも自然と隣に座ってきた。彼は何も言わない。無言に耐えかねてチラチラと彼の方を見たが、何かを懐かしんでいるかのように、彼はぼうっと部屋を眺めていた。私が「あのさ」と言えば、建人くんはゆっくりとこちらを見た。

「5年間短かったね」
「私は長く感じました」
「ほんと?任務ばっかりだったから、あっという間だった気がする」
「こればかりは感じ方の違いですから」
「大変なことばっかりだった」
「本当に」
「でも、楽しいこともあったよね」
「ええ……楽しいことの方があっという間でした」
「海、もう一回くらいは行きたかったな」
「結局あれから行けずじまいでしたね」
「うん。結局、お互い夏は忙しかったし……それに、」

 ──本当は、三人で行きたかったよね。
 口には出さなかったが、私の言いたい事を建人くんは理解したようで、小さく頷くだけだった。

「私、建人くんたちと同級生でよかったって思うの」
「私もです」
「家入先輩っていう素敵な先輩とか、伊地知くんっていう優しい後輩とか。五条先輩も、術師的には頼りになるし……あと、あと……」

 私はそこまで言って、やはり黙り込んでしまう。思い出を語るには、今の私たちには欠けたものが多すぎた。
 せっかくの卒業式でお祝いの席なのに、別に建人くんとの生活が終わるわけじゃないのに、なぜか悲しくなって私は彼の首元に抱きついた。

「建人くん」
「なんですか?」

 優しい口調でそう言って、私の背中をあやすように叩く。

「私、建人くんと同級生でよかった」
「ええ、私もです」
「私と、結婚してくれてありがとう」
「いえ、私の方こそ」
「あのとき、私を助けてくれてありがとう」
「……それも、私のセリフですよ」

 2011年3月1日。私たちは、二人だけの卒業式を迎えた。
 目を閉じれば、三人だったり二人だったりの思い出がたくさん蘇る。あの日々を確かに過ごしたはずなのに全て失われてしまったようで、少し涙が出そうになった。
 周りの環境が変わって、大事な人がいなくなって、私も彼も呪い呪われた。それでも彼を一人で卒業させることなく、二人で生きて卒業できた事実は変わりない。ずっと望んでいたのだ、この日を。彼が亡くなった時と、そして呪われた時からこのことを考えて生きていた。

「卒業おめでとう、建人くん」
「ええ。なまえも卒業おめでとうございます。……明日からも、よろしくお願いします」

 ──だからもう、泣くのはおしまいにしよう。
 優しい同級生がそう言っているような気がして、私はぐっと涙を飲み込んだ。






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