2月ともなると世間はまさにバレンタイン一色である。チョコレートの催事場、恋人たちのためのイベント……浮かれに浮かれたこの季節は、術師にとっては最悪だった。想いが集まれば呪いになる──年中忙しいとはいえ、こういうイベント時は特に呪いの被害が多発しやすい。しかも、恋愛絡みとなるとめんどくさくなるというのが、術師にとっての共通認識だった。
 しかし、今年に関してはその件とは別で忙しくなった。完全に先月我が家で起きた事件のせいである。身体がこのようになってしまったので降級になり、私は再び4級術師となった。だから他人との任務によく駆り出されることとなったのだが、そんなことはいい。2級の時と比べたら全くもって忙しくない。私にとっての問題は、我が家にある件の神様のことだった。

「遷宮?」
「うん。御神体を移す必要があるみたいで……それを手伝いに来なさいって、父が」

 私の言葉に建人くんは眉を顰める。下から眺めていてもわかるくらいの大変嫌そうな顔……というか、軽蔑の籠った表情をしていた。これは私や、今テレビに映っている大して面白くない番組に対してではなくきっと神様に対してだろう。
 あの日、私たちは神に呪われ神は私たちを呪った。本来清浄な気が流れる山を含めた社殿は、その呪いに巻き込まれて呪霊の吹き溜まりと化してしまった。しかし御神体そのものが不浄に染まったわけではない。今すぐに御神体をどこか他の場所に移し、再び祀ることで神に敬意を払おうというのが、今回の遷宮の経緯であった。

「荒御魂になっても祀るんですか。自身を呪ったのに?」
「それはそうなんだけど……だからこそ祀る必要があるんだって」
「やはり神道は理解し難い」

 建人くんは元より特定の神を信仰していない。ある意味無宗教だと本人は言っていたが、灰原くんと私の件を経て、建人くんは"神嫌い"へと変わってしまった。まあ、この業界にいたら嫌でも嫌いになりそうなものではあるけど(神職の娘が言ってはいけないかもしれない)、それにしたって建人くんの神嫌いは加速している。今も私のすぐそばにいるであろう蛇を睨み、建人くんは小さくため息をついた。

「それにしたって、あなたが行く意味がわからないんですよ。私は」
「人手が足りないの」
「相手の本拠地に乗り込んで、もし今度こそ身体がなくなってしまったら、それこそ……"終わり"だ」

 後ろから抱きすくめられて、肩に頭を乗せられる。彼の表情はよく見えないが、なるべく不安が軽くなればいいと思ってその頭に頬擦りしておいた。身近な誰かが消えてしまう怖さを、私たちはよくわかっていた。建人くんは満足したのか、突然顔を上げたかと思うと「直近の休みはいつですか」と私に聞く。4級の私より2級の建人くんの方が忙しいと思うのだが(今日だって、久しぶりに被った休みだった)、「今度の土日、どっちも」と言えば建人くんは携帯を開いた。

「ご家族に挨拶に行きましょう」
「えっ」
「ただしあの地に乗り込むのはまずい。どこか別の場所を設けるしかありません」
「あの、えっと、」
「ご家族も病み上がりかと思いますが、早いに越したことは──」
「ちょっと待って、建人くん」
「なんです」
「その、大変言いづらいんだけど」

 建人くんの膝から降りて、隣に座る。ソファーの上に正座をして、建人くんの顔を見上げた。

「お父さん、建人くんとの結婚をやめてほしいって」





 あの日蛇に呪われてから、父は建人くんのことを認めていない──いや、建人くんに非があるというわけではなく、私の結婚を認めていない。事件後に父が目を覚ましてから、電話口で言われたことだった。曰く、これ以上神様を怒らせではいけない、なまえの希望を殴り捨てるようで悪い結婚は認められない、と。現代において、かつてのような「巫女は穢れのない、未婚で処女の女性であるべき」という考え方は廃れていっている。父もそのように言っていたし、「なまえは自由に恋愛し、結婚しなさい」と言われてきた。今は亡き母と恋愛結婚をした父だからこそ、しきたりや慣習に縛られて欲しくないと思っていたのだろう。しかし、事情が完全に変わってしまった。あの神は──怒る。気に入った人間が自分の元から離れたことを知り、強硬手段に走る神だ。丁重に慎重に、逆鱗に触れることなく奉らねばならない。だからこそ私の恋愛を、結婚を父は反対していた。
 建人くんは私の話を聞いて、それでも父と会わせて欲しい言った。建人くんのことだから「話せばわかる」とは思っていないようだが、何か考えがあるらしい。彼は結構頑固なところがあるから私は父に連絡し、反対する父を押し切りなんとか席を取り付けた。来たる日──2月14日土曜日。私、父、建人くんは三人で食事の席についていた。

「なまえさんを私にください」
「お断りします」

 修羅場だった、完全に。隣に座る建人くんも、目の前に座る父も両者一歩も譲らない。建人くんは言わずもがなだが、父だって怒ると怖い。私にとっては気心知れた二人なのに、こうして対立した姿を見るとどうしていいのか分からなくて、私はただ目の前の料理を見つめるだけだった。
 父は私たちが席に座るや否や「結婚は許せません」と断言した。それから小さくなった私の身体を見て「なまえ、随分懐かしい姿だね。しかしダメだ」と言った。……お父さん、文脈がおかしいと思うんだけど。

「なまえにもお伝えしましたが、これ以上神を怒らせてはなりません。結婚は認められません。お帰りください」
「だから家に縛りつけると?それが最善だというんですか」
「この子が家にいるとわかれば宇賀々様はこれ以上何もしない。神は寛大ですから、一度は許してくださります。しかし、二度はないでしょう」
「あれで許されたと?互いに殺されかけた身でしょう。何よりなまえはもっと酷い目に遭っている」
「命あるだけで許されているのですよ。それに、なまえも人の形をとどめている。まだ恩情があるでしょう」
「人の成長を……時間を奪っておいて恩情があるとは思えませんが」
「君は神を知らないからそんなことを言えるんだ」
「ええ、知りませんよ。分かりたくもない」

 沈黙が走る。父も建人くんも似たもの同士だ。お互いに意志は固く、譲れぬものがあって──私のために喧嘩をしているのはわかる。どんどんヒートアップする言い争いに、食事を持ってきた店員さんすら怖気付いて逃げ出してしまった。どうにか止めなくてはならないが、ただ「私のために争わないで」などとふざけたことを言える空気ではない。あるいは、五条先輩ならば言えたのかも知れない。いや五条先輩だったら、こんなことにはなっていなかっただろうけど。あの人なら、きっと神すら跳ね除ける。事実灰原くんを殺した産土神の事件や今回の件も、五条先輩が後処理を行なったのだから。
 それにしても、自分より20歳以上の年上相手にここまで堂々と渡り合う建人くんに恐れ入った。しかも相手は私の父だ。普通恋人の家族って遠慮するものではないのだろうか。まあ、術師が普通じゃないなんて今に始まった事ではないけど。
 そんなことを考えていると、父が沈黙を破るようにため息をついた。呆れたというより、重たい空気に耐えかねたようなため息だった。

「神が嫌いなんだね、君は」
「ええ。神職の方に言うべきではありませんが、断言できます。私は神が嫌いです」
「理由を聞いても?」
「……理由がないから嫌いです」
「問答かい」
「いえ。理由もなく施し、理由もなく奪う。神は気まぐれにも程があります」
「ちょっと違うな、七海くん」
「何がですか」
「理由も道理もある。ただしそれを、我々人間が理解できないだけだ」

 父は少し落ち着いたようで、先ほどより穏やかなトーンで言った。

「今回の件は僕にも想像できなかった。当たり前だね、そもそも神様のことをわかった気になろうとするのは烏滸がましい」
「しかし、儀式について真実がわかっていればこうはならなかったと思うんですが」
「ああ……いや、あれは、……元より契約のための儀式だとはわかっていた。他の家の子供がやる分にはただの行事だが、みょうじ家の娘が参加するとなれば、降霊術のための契約儀式となる。あれがなければ、我が家の相伝術式は途絶えてしまうからね。しかし、……そうだな、なまえのことを気に入ったのは……」

 歯切れの悪い言い方をする父に、私も建人くんも頭を傾げ、顔を見合った。今までの態度とは打って変わってしまった父は、とうとう黙り込んでしまった。しかしすぐにパッと顔を上げて、気まずそうに言った。

「あの神は元々、人好きの男神なんだ。僕の妻を気に入ったように、なまえのことを気にいるのも、無理はない」

 ──その言葉に写真の中の母を思い出してしまったのは、きっと気のせいなんかではなかった。
 建人くんは父の言葉を最後まで聞いて、しかし表情を変えずに口を開いた。怒りを含んだ顔は、ずっと変わらない。それはやはり父でも私でもなく、神に対しての怒りだった。

「あの神のことはやはり私には知りません。どうでも良いと言い切れたらいいですが、呪いのこともあります」
「建人くん……」
「しかし、結婚しなければ怒らないという確約があるわけでもないでしょう。それならば、私はなまえさんと結婚したい」
「しかし七海くん、それでは」
「これ以上アレに好き勝手はさせません、常世に連れていかれるなどもってのほかだ。私は、呪いを解く術を探し続けますよ」
「……」
「そして、私の気持ちは変わらない」

 だからどうか、と言って、建人くんは深く頭を下げる。

「なまえさんを私にください」

 真剣そのものであるその言葉に、父もそしてなぜか私まで思わず呼吸を止める。しかしふと我に返って、私も頭を下げた。ちらりと父を見ると、何かを堪えるように私たちを見つめていた。それから再びため息をついて、「頭を上げて」と言った。

「まだ高校生だから、遊びかロマンチストかのどちらかと思ってたんだ」
「それ、学校の先輩にも言われたよ」
「普通はそう思うよ。……七海くん」
「はい」
「結婚は許そう。未成年のうちはともかく、大人になれば何をしてもいい。たしかに息子の方は後継だから見合いをさせようと思っていたが、なまえまで見合いをさせるつもりはなかった」
「……」
「というか、それを危惧してこんなに早く挨拶をしに来たんだろう?手が早いね、君は」
「いえ……」

 手が早いというのは語弊があると思うのだけど、言わなかった。父の言葉に建人くんは気まずそうにした。つまり、図星だった。以前「なまえの家にお見合い結婚というものはありますか」と聞かれたことがあったが、まさかそのような意図だとは思わなかった。勘違いをしていたらしい建人くんを見て、父は小さく笑った。

「結婚は許す、だけど、条件がある」
「条件ですか」
「一つ、結婚は20になってから。一つ、術師でなくとも良いから仕事にちゃんと就くこと。そしてもう一つ──」

 父は指を立てて、顔から笑みを消して言った。

「なまえも七海くんも、二度とうちの敷居を跨がないでくれ」





 帰り道、私たちは二人で高専までの道を歩いていた。白い息は空気に溶けていく様を見て、私は肩を震わせる。繋いでいる手だけは温かくて、私は思わず建人くんの手を強く握りしめていた。

「私が言えたことではありませんが、なまえはあれでよかったですか」
「え?」
「私はあなたと一緒にいれればいいと思っていましたが……なまえが二度とご実家に帰れないとなれば、話は別です」
「そう、かな」
「家に帰れないのは、辛いでしょう」

 父は別に怒って私を勘当したわけではない。結婚により名前を変え、住まいを変え、我が家と完全に縁を絶つことで少しでも呪いを軽減しようという意図から「敷居を跨ぐな」と言ったのだ。何より神域に入れば再びあのような呪いの被害に遭う可能性もある。つまり、父の判断は正しい。理由がわかっていれば、辛いとは思えなかった。

「大丈夫だよ。辛くない」
「それならば、良いですが」

 何も死別したわけでもない。それに、呪いが解かれたらまた会えるかもしれない。二度と会えない人たちのことを思えば、これくらいはどうってことはない。それに──建人くんは一緒にいてくれるでしょ、とは言えなかった。
 遷宮に関しては、私がいなくとも大丈夫だと父は言った。それならば最初からいらなければと思ったが、本当ならば手を借りたくない最強のツテを頼るのだという。そう言った父は随分とゲンナリとしていたが、どれだけ頼りたくない相手なのだろう。私たちにとっての五条先輩のようなものなのだろう、きっとそうに違いない。……そしてふと、「五条先輩」という単語で思い出したことがあった。

「……チョコ、」
「はい?」
「建人くん、チョコいる?」
「文脈がわからないんですが」
「怒涛の一日だったから忘れてたけど、今日バレンタインだなって思い出して」
「なんで今思い出したんですか」

 五条先輩のことを思い出したから、とも言えなかった。疲れている建人くんの前であの人の名前を出すのは得策ではない。しかし、五条先輩の名前でバレンタインを思い出すのには少し理由がある。あの先輩は甘党で、お菓子を食べられる機会があれば逃さない。それでなくとも毎日食べているというのに、ハロウィンもクリスマスも誕生日もバレンタインも、あの人にとってはお菓子を食べるための行事なのだ。バレンタイン限定だという有名店の行列に並んでこい、と後輩の伊地知くんに頼んでいる(ほぼ命令だった)のを聞いて、私は2月14日がバレンタインであることを思い出したのだった。

「もうバレンタイン終わっちゃうけど、帰ったら作ろうかなって、思って……その……」
「いただきます」
「まだ作ってもないのに!」

 甘党ではない彼に何を作れば良いのだろうと思っていると、彼は私を抱き上げた。自然と目線が高くなり、思わず変な声が出て建人くんにしがみつく。普通の人より筋肉量が多いからか、彼の身体は温かかった。

「こうした方が早く帰れるでしょう」
「……うん」

 近くなった建人くんの顔を見て、思わず笑みが溢れる。張り切って作ろうと決心して、私は彼の首に手を回した。──その日の夜、私は張り切りすぎてとんでもなく大きいガトーショコラを作ってしまう。結局建人くんだけでは食べ切れず、五条先輩や家入先輩らを頼る羽目になったのであった。





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