同期に七海くんという人がいる──ちょっと目つきは悪いけど日本人離れした整った顔立ちをしており、手足もすらりと長い。鍛えているのか逆三角形の体型をしており、柔らかげな金髪は海外の俳優のようで、遠巻きに見ても目を引く容姿をしている。そればかりか仕事もできて、他者へのフォローも完璧。ぶっきらぼうに見えてその実優しいというギャップから、女性社員だけでなく男性社員、先輩方からもそれなりに人気だった。たまに彼を嫌う人はいたが、その人が彼より仕事ができるかと言われたらそうでもない。どうせ妬み嫉み、僻みだと本人も周りも気にしていなかった。
 私はというと、周りの人と同じく七海くんのことを入社当時から気に入っていた。辛い研修中も彼がいたから頑張れたと言っても過言ではない。入社1年目にしてもはや中堅を超えてベテランの風貌すらある彼に、何度お世話になったことだろう。そして何より、たまに一緒にご飯を食べた時の彼の表情──美味しいものを食べる時だけ、彼の顔は穏やかになる。最初はデカイし表情はカタいしとっつきにくくて怖い人だと思っていたのに、そんな顔もできるんだと思ったらなんだか急に彼のことが可愛く見えた。つまり、私は同僚の七海くんに淡い恋心を抱いていた。
 私たちもまだまだ新人だ。入社して2年目だというのに、色恋にかまけている場合ではない。とはいえ、私としては彼と何とかしてお近づきになりたかった。忙しくとも、部署が変わって接点がなくなろうとも、"同僚"というポジションを使えばなんとか話しかけるくらいはできるだろう。あわよくば、ご飯に行ったり。2年目になってすでに後輩を任されている七海くんはたいそう忙しそうであったが、同期会として飲み会とか誘えないかな、と考えていたのがつい先日のことであった。
 そしてそのチャンスは、今まさに巡ってきた。

「七海くん残業?」
「……ええ、まあ」
「あんまり無理しない方がいいんじゃない?顔色悪いよ」
「お気遣いありがとうございます」

 夜、すでに業務時間は終わり、オフィスにはほとんど人がいない。しかし一人、営業部にポツンと残っている七海くんを見つけ、私は嬉しさを隠しながら彼に話しかけた。がっついちゃダメだ。まずは労って、世間話から。

「最近仕事どう?」
「可もなく不可もなく、といったところです」
「またまた〜!七海くん優秀だって、うちの部署でも話題だよ!」
「そうですか、それは知らなかった」
「七海くん、噂とかどうでも良さそうだもんね」
「ええ。そんな暇があるなら仕事をすべきなので」

 「さすが、変わらないねー」と言いながら、先程買ったコンビニのコーヒーを手渡す。七海くんは食にこだわりがあるタイプで普段自分から缶コーヒーを買う様子は滅多に見たことがない。たまたまコンビニに行ってたまたま買っておいてよかった、と先程の自分の行動を誉めたくなった。

「■■さんも残業ですか」
「あー、そうなの。仕事溜まってて」
「お互い大変ですね」
「まあきついけど……私は仕事嫌いじゃないかな。あ、でも上司はちょっと」

 私の言葉に七海くんは少し遠い目をする。……やば、なんか地雷踏んだ?と思ったが「どこも同じですね」という言葉に、思わず安堵のため息を吐く。なんだ、地雷原は上司か。たしかに、営業部の上司もそれなりにやばい人だったような。それならば同意したくなるようなあるある上司エピソードでも話せばいいだろう。そう思って前にうちの部署であった飲み会のことを話す。七海くんは変わらず相槌を打ってくれて、つかみはバッチリだった。あとは「今度飲みに行こうよー」と誘えれば、今日はもういい。忙しいときに乗ってきてくれるとは思えないけど、約束したという事実が大事なのだ。
 シミュレーションはバッチリで、あとは口に出すだけ──そんな折、通知音が私たちの会話を遮った。

「……すみません、ちょっと」
「あ、うん」

 私のではない、ということは七海くんの携帯から発されたもので間違いはないだろう。彼は私に断りを入れると、すぐにスマホに目を遣る。例の上司かな、だとしたらエスパー?と心臓を落ち着けるためにふざけたことを考えていると、七海くんは突然立ち上がった。

「な、七海くん?」
「……、は、いえ、すみません」

 普段冷静で大人っぽい七海くんとは思えぬ動揺具合に、私の方が狼狽える。彼は一度考え込んでデスクに視線を移すと、再びスマホの画面を見つめた。数回タップして、それから再び考え込む。そしてすぐに、「すみません、少し電話しますので席を外します」と言って廊下へと向かっていった。
 電話を終えたらしい七海くんは戻ってくると、突然帰り支度を始めた。先ほどまで行っていた仕事はいいのかと思い尋ねると、どうやら急ぎではないらしい。……急ぎじゃないのにこんな時間までやってたの?などとと聞ける空気ではなく、七海くんは足早に退社してしまった。
 私は一人、七海くんのいなくなったオフィスで佇む。「せっかくいただきましたが」と返されてしまったコーヒーに口付けた。一口でも飲んでくれたら、と思ったけど、七海くんはそうする間もなく帰ってしまった。あーあ、せっかく飲みに誘えるチャンスだったのにな。そのときは、まあまた今度誘えばいっか、と楽観的に考えていた。





 それから一週間も経たないくらいだっただろうか。先輩から「営業部の七海、辞めるらしいよ」と言われ私は目の前が真っ暗になったように感じた。

「な、なんで、そんな突然」
「さあ?でもなんか、急に辞めるって……」

 どうせ噂だろうと思ったのだが、他の先輩方に聞いても同じようなことを言われた。流石に我慢ならない、本人に聞きに行こうと思って部署を出て歩いていると、自販機の前のソファーで七海くんが座り込んでいるのが見えた。よかった、ちょうどいい。噂の真偽を確かめるべく彼の名前を呼ぼうとしたところで、彼から発された言葉に、私の体は固まった。

「そうは言っても、なまえは無茶をするでしょう。今日は残業せず帰ります。まだ安静にしてください」
「いいですか。安静というのは、ベッドの上で寝ることです。今日ばかりは家事なんて放っておいてください。私が言えたことではありませんが、なまえは働きすぎです」
「ほしいものがあるなら買って帰りますから、メールしてください」

 七海くんは「ええ、おやすみなさい」と言ってスマホを耳から離した。……なまえさん、というのは、明らかに女性の名前で、離している内容に至っては明らかに親しげで。何より、話している時の態度が明らかに私や、会社の人と話す時とは違った。親しげ、というよりは愛おしげなその表情に私は冷や汗をかく。自分にとって最悪のパターンを想像してしまい、思わず七海くんに話しかけた。

「七海くん!」
「■■さん、お疲れ様です」
「あ、うん……聞いたよ、ここ辞めるんでしょ?」
「ええ。噂が回るのは早いですね」
「それだけ七海くんが人気者ってことだよ」
「どうだか」

 七海くんは至って普通の態度で私に返答をした。先ほどまでの電話の時とは打って変わった態度に拍子抜けする。デリカシーなど考えずズケズケと聞ける性格ならどれだけよかっただろう。私の上司や七海くんの上司みたいな人なら、きっと聞けたのだろうか。いや、そもそもなまえさん(ちゃん?)が七海くんの……彼女さんであるというのは私の勘違いかもしれない。きょうだいとか親戚、友達の可能性もまだある。そう思って「私も寂しいかも」と伝えれば、七海くんは小さく礼を言ってくれた。

「そうだ、最後に同期会ってことで飲みに行かない?退社祝いってことで……」

 ずっと言いたかった言葉も、勢いでやっと言えた。どうせ最後なんだから、悪あがきかもしれないけど、と頭の中で勝手に言い訳をする。来てくれたら、彼女さんがいなければ、という淡い期待も抱いていると、七海くんは何でもない顔で、さらりと言って退けた。

「すみません。飲み会は少し遠慮しておきます」
「えっ」
「誘ってくださってありがとうございます、それでは」
「あ、いや、……うん」

 え、これで最後?終わり?断られて?ぐるぐると胸の奥から何かが競り上がってくる。気づいた時には、立ち上がってその場を去ろうとする七海くんの手を思い切り引っ張っていた。

「……■■さん?」
「あ、あのさ……同期会、じゃなくて、私が七海くんと二人で飲みに行きたかったの」
「……」
「その、ずっと……七海くんのこと──」
「すみません」

 七海くんは私の言葉を否定する。しかし掴まれた手を振り解かないことは彼の優しさで、そんなちぐはぐさに思わず涙が出そうになった。
 結局、そのまま七海くんの退社まで私が彼に話しかけることはなかった。同様に七海くんの方から話しかけられることもなく、きっとこれまでの縁だったのだろうと思う。あーあ、七海くんみたいな素敵な人とはもう二度と会えないだろうな。というか、いつまでもうじうじしないで新しい恋でも……いや、もう恋愛はしばらくいい。適当にぱーっと散財しよ、と思って街に繰り出す。久しぶりの休みに一人虚しく、と自嘲気味に歩いていると、少し前までよく見かけた姿を遠くに見つけてしまった。

「……七海くん?」

 あの金髪、あの身長。間違いない、七海くんだ。普段見ていたスーツ姿とは違い、ラフな格好に眼鏡をかけている。私服だ、彼が会社にいたままなら絶対に見ることがなかったであろう姿に思わず胸がときめく。壁の近くに立っているだけだというのにオーラがあるせいで、道ゆく人もちらちらと彼を見ている。それくらい、かっこよかった。少し前に優しく、やんわりと断られてしまったというのに、その瞬間、私は再び彼に声をかけようとしていた。しかし、それはやはり未遂に終わる──七海くんが、突如やってきた子供を抱き抱えた。

「え、」

 ランドセルが似合いそうな6、7歳ぐらいの黒髪の女の子だ。トイレから出てきて、真っ先に七海くんに近寄って、そのまま彼の腕に抱かれている。二人はそのまま仲良さげに話しながらどこかへと行ってしまった。私はそれをただ呆然と眺める。誘おうと思ってたら帰ってしまった時や、告白染みた言葉に「すみません」と言われた時よりももっと衝撃を受けていた。

「七海くん、子供いるの……?」

 ああなんだ、そういうことね。と納得させる。きっと例のなまえさんとのお子さんなんだろう。そう考えると、飲み会も断って当然だ。お子さんがいるならできる限り、早く帰りたいものだろう。普段残業続きなのだから、帰れる時くらい帰りたい。そんなのは子供がいない私でも想像に容易いことだった。
 ショックに打ちひしがれながら、まだ明るいというのに昼から開いている居酒屋に駆け込んで、やけ酒した。そりゃそうだ、七海くんぐらい素敵な人なら恋人をすっ飛ばして結婚しててもおかしくない。指輪してなかったのはまわりに聞かれるのを避けるためだろう。あそこの上司はめんどくさいし。それにしても、私と同い年でもう結婚して子供もいるのか、早いな、と思った。
 そして次の日、二日酔いに頭を抱えながら私はとんでもないことに気がつく。……私と同い年、つまり24歳なのに、すでに6、7歳の子供がいるって──そこまで考えたが、頭がずんと重くなって私は考えることをやめた。





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