五条先生に「今七海とみょうじが来てるよ。挨拶してきたら?」と言われ、みょうじさんが誰かもわからずに廊下を歩いていると、目の前から七海さんを抱いたナナミンが歩いてくるのが見えた。大きめの声で二人の名前を呼んで駆け寄ると、七海さんが小さく笑った。

「お久しぶり、虎杖くん。元気そうだね」
「うん。七海さんも元気?」
「あれから変わりなく」
「ナナミンは?」
「私も変わりないです」
「そっか、ならよかった」

 あの時の任務──神社の掃除からそう日は経っていないはずなのに、なんだかすごく懐かしく感じる。ナナミンはたまに高専に報告書を出しに来たりするからそんなに久しぶりの感じはしないけど、七海さんに関してはあれから一度も会っていなかった。
 二人が夫婦だと知ったときは大層驚いたが、こうして二人揃っている姿を見るとなんだかとてもしっくり来る。何も事情を知らなければ親子と見紛うだろうけど、空気感は明らかに夫婦のそれだった。

「そうだ、虎杖くん。私のことは名前でいいよ」
「え?でも……」

 ちらり、とナナミンを見つめる。俺の視線に気づいたらしく、ナナミンは俺の顔を見てため息をついた。え?いま、ため息つくところだった?

「そういう気遣いは不要です」
「いやでも、五条先生が、」

 俺がそこまで言うと、ナナミンは小さく舌打ちをし、七海さんはなんとも言えない顔で笑った。五条先生の名前を出しただけでこの様子なのだから、普段から二人は五条先生に迷惑をかけられてるだろうということはすぐにわかった。
 前に七海さんに会った次の日、つまり、俺がナナミンに「覗き見は良くない」と釘を刺された日のことだ。ナナミンの言葉に落ち込んでいると、五条先生は俺の姿を見て笑っていた。そんなに笑わなくてもいいのに、と思っていたが、五条先生が笑っていたのは俺ではないらしい。「相変わらずの愛妻家!」と、ナナミンのことを笑っていたらしかった。──アイツは昔から嫁大好きで、嫉妬深いんだよ。五条先生の言っていたことを伝えると、ナナミンは思い切り顔を顰めた。

「あの人の言葉は間に受けなくていい。妻を名前で呼ばれたぐらいで嫉妬するような人間ではありませんので」
「でもさ、名前呼びってちょっと特別じゃん?だから、好きな人が異性に名前で呼ばれてるの見たら、俺なら不安になるかもって思うんだよね」
「……」
「まあ五条先生みたいにナチュラルに名前で呼んでくる人もいるし。ナナミンからしたら俺のはガキの恋愛観かもしれねーけど」

 俺の言葉にナナミンは「なるほど」と頷いてから、考え込む。何気なく言った言葉をここまで考えてくれるとは思っておらず、俺は思わず七海さんを見つめた。

「本当に気にしなくていいよ。それに、術師の世界って同じ名字の人って多いから、名前呼びも普通だし」
「そうなん?じゃあ、なまえさんって呼ぶね」

 そういえば──五条先生で思い出した。五条先生は俺たちのことは名前で呼んでいるけど、なまえさんのことは何と呼んでいるんだろう。そう思い尋ねるとなまえさんが「五条さんはずっと旧姓で呼んでる」と言った。そこでようやく、五条先生の言っていた「みょうじ」がなまえさんだと理解した。

「……なんで?」
「さあ」
「五条さんのは単なる嫌がらせです」
「え、なんの?どういう?なにに対する?」
「常人にあの人の思考なんて分かりません。ただ、絶対的なのは"アレ"に対する嫌がらせだということです」

 ますますが意味がわからなくて首を傾げると、なんとなまえさんまで同じようにしていた。ナナミンは「わからなくていいんですよ。なまえも、虎杖くんも」と言う。やはり顔は顰めっ面だが、その口調はきついものではない。結局、ナナミンは俺に優しいのだ。なんでここいるの、どうしてなまえさんと、という俺の質問責めにも二人は嫌な顔することなく答えてくれた。なんでもなまえさんは再び高専に呼ばれ、ナナミンは自分の報告書を提出するためだという。何のために呼ばれたのだろうと思って聞こうとすると、なまえさんがナナミンのスーツを少し引っ張った。ナナミンは「すみません、そろそろ時間ですので」と頭を下げる。なまえさんは小さく手を振ってくれて、俺も思わず手を手を振り返した。二人の背中が遠くなって、角を曲がったところで見えなくなってしまった。
 そういえば、なまえさんは休職中ではなかったのだろうか。俺からしてみれば、なまえさんと会う時は大体なまえさんの任務なんだけど……休職中といえど、術師は忙しいものなのだろうか。俺はまだこの世界に足を突っ込んだばかりだから、良くわからなかった。あとで五条先生にでも聞いてみようかな。





 後日、再び出会ったなまえさんはなんと一人だった。いや、正しくは一人というわけではない。隣には五条先生がいて、その代わりにいつも一緒のはずのナナミンがいなかった。
 俺はいま理数科目の補習中だった。小テストで悪い点数を取って(mol計算とか、よくわからん)、五条先生に「今日は訓練なし!悠仁はこれを解いてくださーい」とプリントを渡され解いていた最中である。五条先生は急にどこかに行ってしまったと思ったら、なまえさんを引き連れてやってきた。五条先生に呼ばれて呪符を持ってきたらしい。しかも急いで持ってこい、と言われた割には急ぎではなかったとか。五条先生は人使いが荒いのだ。

「なまえさん、休職中とか言っていつも働いてんね」
「そう?建人くんと比べたら全然働いてないよ」
「1級ってやっぱ仕事多いの?」
「それなりにね。等級が上がるほど術師の数は減るから」
「じゃあ2級も忙しいんじゃない?」
「でも休職中だから、虎杖くんより任務の数は少ないと思う」

 なまえさんは物静かそうな見た目に反して結構話好きらしく、すごく会話が弾む。手を止めて話し込んでいると、隣に座ってきた五条先生が「悠仁ィ、早く解いてー」とプリントをトントンと人差し指で叩いた。早くって言っても、理数科目が苦手な俺には早く解くことなんてできない。化学なんて将来何に使うんだ。

「あと悠仁、勘違いしてそうだけど、高専所属の術師に休職とかいう制度ないからね」
「そーなん!?」
「七海みたいに辞職はあるけど。ま、そこらへんは僕が上をちょちょっとごまかして──」
「五条さん」
「別に内緒にしてるわけじゃないし、話してもよくない?」
「誰が聞いてるかわからないでしょう」

 なんか術師の世界の裏の面を見た気がするが、なまえさんの顔を見て聞くのは辞めておいた。多分これ、タブーだ。触れちゃいけないやつ。

「てか僕になんか言える立場じゃないでしょ、みょうじは」
「あ、なまえさんも先生に助けられた感じ?」
「一応。呪いのことで、ちょっとね」
「……てかさ、なまえさんの呪いってどんな感じなの?俺は宿儺の指飲んでこうなったんだけど」
「指を?」

 なまえさんは信じられないと言いたげな顔(具体的には、釘崎がそのことを知った時みたいな顔だった)で、俺を見る。そして一つため息を落として、口を開いた。
 なまえさんは「昔の話でもしようかな」と言って、彼女の身に起こった話をしてくれた。ナナミンと付き合っていてなまえさんの実家に挨拶に行ったこと。そして、その場で蛇の神に呪われたこと。同じく呪われたナナミンと自分の家族を助けるために、先輩である五条先生に助けを求めたらしい。

「宿儺も大概だけど、その、ウカ……?ナントカ神も厄介だね」
「神も呪いも、昔から横暴に違いはないってことです。そして、あなたの隣にいるその先生も同じくらい横暴かつ厄介」
「命の恩人にそんな口の利き方して良いのかな〜?」
「……その節は感謝してます」

 説明の間、五条先生はさまざまな茶々を入れていた。なまえさんを呪ったという蛇神はなまえさんの家が代々祀っていた祭神で、蛇神は儀式で捧げられたなまえさんのことを気に入っているのだという。"お願い"によってナナミンらにかけられた呪いは解かれたが、それでも、未だ虎視眈々となまえさんのことを狙っているのだとか。なんでもなまえさんのことを名字で呼ぶたび、蛇はざわめきを隠せず、怒りからかのたうち回っている。と、五条先生はその目で見えているものを詳細に教えてくれた。まあ、俺たちには全く見えないけど。

「名字呼ぶだけで怒るとか、怖すぎるって」
「名前はそれだけ大事ってわけですよ、虎杖くん。旧姓の方がその人の本質に近いから」
「それに、一族が祀ってきたって点からすると名字の方が神様には聞き馴染みあるからね」
「んー、でも怒ってるんでしょ?大丈夫なん?」
「みょうじのお願いがあるからね。荒御魂といえど、信仰深い人間のお願いを反故するほど落ちてないよ」
「へぇ……」
「僕、蛇嫌いなんだよね。だから怒れるだけ怒って、何もできずに指咥えてるとかいい気味だよ。あ、咥える指もないか」

 ケラケラと笑う先生は大変楽しそうだったが、話を聞いているなまえさんと俺はほとんどドン引きだった。五条先生は俺にはだいぶ優しい先生だけど、敵対する者には容赦ない。あと自分の部下と後輩にもちょっとだけ厳しい。それはこの数ヶ月で分かったことだった。同時に、ナナミンの顰めっ面の意味も理解した。「"アレ"に対する嫌がらせ」というのは、神への嫌がらせってことだったのか。神にまで喧嘩を売る五条先生のメンタルに脱帽した。いや、俺は絶対しないけど!

「でも、お願いってそんな効力あんの?」
「あるある、神様相手なら超ある。命懸けてる分めちゃくちゃ強いから」
「なんで五条さんがドヤ顔するんですか」

 命を懸ける──文字通り、なまえさんが死んでしまうということなのだろう。話を聞いている限り、ナナミンが死ぬ時に死んでしまう呪い。しかしそんな対価を払った割になまえさんの身体が元に戻らなかったのは、裏切りに対する罰と──神様の嫌がらせなんだろうな。呪いはあくまで呪いであり、人の都合など考えないなどということを俺は知っている。俺の内側に巣食う呪いは、人のことを嘲笑うような奴だったのだから。
 なまえさんが死ぬことは、ナナミンには伝えられていないらしい。それはなまえさんが五条さんにしたお願いだと言う。

「あのさ、それ、俺に言ってよかったの?」
「建人くん以外には隠してないので」
「僕と硝子、学長、伊地知、……結構知ってるよね、実際」
「でもすぐ建人くんに話しそうな人には伝えてません。猪野くんとか」
「カワイソー」

 神様に勝手に気に入られて、逆恨みの如く呪われて、挙句誰かを助けるために死んでしまうと言うのは──正しい死なのだろうか。俺には全くわからない。なまえさんがナナミンのことを大切に思っていることはきっと、すごくいいことで……でも、自己犠牲のような形で死んでしまうなまえさんのことを思うと、正しさとは何か考えてしまう。でも俺がなまえさんの立場なら、誰かを助けるために同じことをするだろうということは確かだった。
 俺の顔を見たなまえさんは、気まずそうに「気にしないで、虎杖くん」と言った。

「これは私の責任だから」
「……」
「君が自ら宿儺を背負ったように、私の呪いは私が背負います。ただ、それだけ」

 その言葉と表情に俺は頷いた。納得はしきれていない。理不尽に死んでしまうことを肯定はしたくない。それでも、なまえさんの覚悟だけは理解できたのだから、そうする他なかった。
 しんみりした空気を打ち破るように、五条先生は「そうそう、悠仁は自分のことだけ考えな。みょうじみたいに」とあっけらかんと言った。

「命懸けるって割に"七海が死ぬまで待って"なんて、なかなか強かでしょ。悠仁もこんな風に、強気で挑んでほしいってわけ」
「たしかに……なまえさん、なんでそんな条件にしたの?」
「それは──」

 俺の質問に、なまえさんは少し狼狽える。そしてチラリと俺と先生に視線をやって、少しだけ俯きながら言った。

「建人くんと、高専卒業したかったから」

 その言葉に俺と先生は黙り込んでしまって、その空気に耐えかねたなまえさんは「虎杖くん、プリントやりましょう、私教えるから」と照れたように言った。そんななまえさんの姿に、俺は柄にもなく思う──俺もそういう恋愛がしたい。できれば、だけど。ナナミンを想い、この上なく幸せそうななまえさんの姿は少しだけ羨ましかった。しかし隣の五条先生は恨めしそうに「このバカップルが!これ以上幸せ自慢するなら七海の仕事増やすからな!」と喚いていた。……先生はそういう嫌がらせやめたら、モテると思うよ。





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