「今日はちょっと特別!学外授業でーす!」
「へー」
「テンションが低ーい!!」
「任務なら学外授業になって当然でしょ」
「チッチ!今日のは任務であって任務にあらず!」
「任務じゃないですか」

 いつもに増してテンションの高い五条先生に伏黒も釘崎も顔を顰めている。先生のテンションが高いのはいつものことだけど、それにしたって今日はどこか浮かれているような。ふんふんと鼻歌を歌う先生に、伏黒がため息をつく。

「そうそう、今日はゲストもいるからね」

 あ、そのせいか。この場にいる全員がなんとなく察した。
 先生に連れられてやってきたのは、高専の周りとそう変わらないような田舎の、小さな寂れた神社だった。山の中に位置しているせいかあたりの草木は生い茂り、手水舎の水は綺麗とは言い難い。社は埃が積もっているのか、少し色が鈍って見える。

「山登りならそう言いなさいよ……!」
「ずいぶん登ったよなー俺たち」

 山の中と言ったが、正しくは山頂にその神社はあった。俺たち三人とも一般人より体力があるとはいえ、それなりに歩いたせいでもうヘトヘトだった。水分が欲しい。三人で当たりを見渡したが、当たり前のように自販機なんてものは存在しない。周りにあるのは、木、木、木、だ。

「なーにしてんの、みんな。じゃ、紹介するよ」
「え?」
「休職中の2級術師、ナナミちゃんでーす!」
「いきなり?」

 ゲストもまさか、そんな適当に紹介されるとは思ってなかっただろう。しかし全く気にすることなく出てきたのは──一人の子供、少女だった。

「え、子供?」
「ナナミさん」
「伏黒知り合いなの?」
「ああ、同じ2級だから」
「なるほど……え、でも子供……」

 どう見ても俺らより10歳ほど年下の彼女を見下げる。まとめられててもわかる柔らかそうな黒髪、くりくりの大きい瞳、小さな唇。袖や裾から伸びる手も足も全部が細くて、どこからどう見ても可愛らしい子供だった。背負っているリュックサックは大した大きさじゃないはずなのに、彼女が持つだけでとんでもなく大きく見える。五条先生と並ぶと巨人と小人みたいだった。
 でも2級術師ってことは、子供だとしても術師としてはこの子の方が先輩なんだよな。こんな小さい子でも働かなければならない事実に胸が痛んだ。

「お久しぶり、伏黒くん。そしてはじめまして、虎杖くん、釘崎さん」

 俺らを見上げ、子供特有の高い声で舌足らずさ、しかし凛とした声で彼女は言った。

「2級術師のナナミです、よろしく」
「よろしくお願いしまーす」
「よろしくお願いします……ナナミ先生?」
「教職じゃないから、先生はやめてちょうだい」
「うす!じゃあナナミちゃん!!」

 そう言うと、後ろの方で五条先生が吹き出してお腹を抱えて笑いはじめた。涙まで流して笑っているけど、俺なんかしちゃったんかな。頭を傾げると、伏黒が後ろから俺の肩を叩く。

「お前、せめてナナミさんって呼べよ」
「いやでも、こども……」
「子供じゃないっての。五条先生も、笑ってないで説明くらいしたらどうですか」
「いやー、ごめんごめん!悠仁ってば、予想通りの反応だったんだもん」

 五条先生は目元を拭うと、屈んでナナミちゃん……さん?と肩を組んで言った。

「こう見えても、彼女は君らより年上だから」
「ん?んん?」
「僕の一個下の後輩だよ。年齢は27歳」

 先生の言葉に俺と釘崎の叫び声が山に響き渡り、五条先生は爆笑し、伏黒は呆れたようにため息をついた。



 俺たちがナナミちゃん……ナナミさんと五条先生に手渡されたのは、雑巾、箒、ポリバケツ、その他もろもろの掃除道具だった。

「ねえ、これ私たちがやる必要ある?」
「奉仕活動も立派な学校生活の一つだよ」
「呪霊祓いに来たんじゃないのって聞いてんのよ」
「さあ?」
「さあじゃないのよ。この適当教師め……」

 とか文句を言いつつ、釘崎の手にはしっかりと箒が握られている。俺は周辺の草取り、伏黒は高いところの拭き掃除、そしてナナミさんは建物の雑巾掛けをしている。五条先生はと言うと、クッキー缶を片手にレジャーシートに座りこんでいた。

「先生だけズルくね?」
「ほら、僕ここまで引率してきたし」
「うわ屁理屈」
「サイテー」

 あのクッキー全部ナナミさんの手作りだぞ。という伏黒の言葉に釘崎が声を漏らす。遠くから見ても見るからに手の込んだそれは、店で売ってるものとなんら遜色はない。釘崎もどこかで買ったものだと思っていたらしく「料理上手なのね、あの人」とナナミさんに目をやる。
 当の本人は、ものすごいスピードで掃除を進めていた。毎日家事をこなしているのだろうということがわかる手際の良さだ、俺たちも負けてらんない。釘崎も同じように思ったのか、それともクッキー缶目当てかはさておき、途端にアクセルを駆け出す。伏黒だけが淡々と掃除をしていた。俺は上の学ランを脱ぎ捨てて草むしりに励んだ。
 掃除が終わり、俺たちが来た時よりも綺麗になった、気がする。木は以前生い茂ったままだし社の劣化はどうしようもないが、先ほどよりその場が明るくなったように見える。三人でクッキー缶を目指して五条先生の座るレジャーシートに駆け寄ると、中身は既に空っぽだった。

「ない!!」
「普通全部食べる!?」
「大人気ない」

 ていうか、あの量を短時間で食べ切る五条先生って胃袋ブラックホールなんかな……俺たちの抗議を五条先生は全く気にしていない。どころか、なんで怒られてるのわからないらしく、頭を傾げていた。

「全部食べたんですか、五条さん」
「うん。お前、相変わらず料理とお菓子作りはうまいよね」
「生徒たちにもあげるから全部食べないでって言いましたよね」
「言ったっけ?ごめんごめん」

 ナナミさんははあ、と呆れたようなため息を漏らすと、持ってきたリュックサックからもう一つ似たような缶を取り出して、俺たちに差し出してきた。少しだけ屈んでそれを見つめると、蓋が開かれて、ぎっしりと詰められたクッキーたちが姿を表す。先ほど同様お店で見たようなクッキーだったが、五条先生が食べていたものとは少し種類が違っていた。

「ごめんね、三人とも。これ三人で分けていいよ」
「いいんすか!」
「これ全部手作りなんですか?」
「うん、料理が趣味なの」
「ありがとうございます、ナナミさん」
「えー、僕も食べる」
「あなたさっき一缶食べたでしょう」

 お茶にしましょう、とレジャーシートに誘われる。ポットから紙コップにお茶が注がれて、一人一人手渡される。キンと冷えたお茶(紅茶?)を一気に呷ると、じわじわと体に染み渡るような感覚が気持ちよかった。オアシスだ、自販機がない中のオアシス。クッキーもサクサクで甘さもちょうどいい、疲れている今だから更においしく感じる。

「これ美味しい!」
「そう、よかった」

 ナナミさんはそう言って小さく微笑んだ。子供の体とはいえ、たしかに笑い方は大人びていて所作も大人そのものだ。ちょっとこわ……クールすぎるし、あまり表情を出す方でもないらしい。先生の言葉を疑ってたわけじゃないけど、本当に27歳なんだ、と思った。

「僕はもうちょっと甘い方が好き」
「全部食べておいて何文句言ってるんですか……」
「ねね」
「どうしました」
「ナナミさんは、なんでその姿になったの?」

 疑問をそのまま口に出すと、伏黒は信じられないものを見るような顔で俺を見て、釘崎は嫌悪感にあふれた顔で俺を見た。五条先生は笑っている。

「え、俺なんか言った?」
「フツー、聞かないでしょ。女性に容姿のこと聞く?これだからアンタはモテないのよ」
「ひっど」

 俺たちの掛け合いにナナミさんは口に手を当ててクスクス笑った。さっきまでの控えめな笑い方より、少し崩れた笑み──お淑やかな見た目に反して、結構大胆に笑った。意外と笑い上戸なのかもしれない。

「呪いのせいなの。17歳までは普通だったんだけど、突然この身体に」
「そっか……じゃあ俺と一緒だ」
「うん。一緒です」
 
 そう言って、ナナミさんは笑った。そうやって談笑できるようになったころには缶の中身は空になっていた。そういえば任務って本当に掃除だけなのか?そう思って周りを見渡すが、あたりに呪霊らしい呪霊は見当たらない。すると、伏黒が社の方を指さした。中央にはよくわからない模様と字が刻まれたお札が貼られている。

「お札貼るのが任務ってこと?」
「そう。捨てられた祠や社にはよくないものが集まりやすい、だから呪符を貼るのよ」
「ナナミさんは呪具とか呪物とか、呪符の取り扱いに詳しいんだよ」
「真希さんみたいな?」
「扱えなくはないけど、どっちかというと管理の方かな。私は」
「ナナミは実家が神社だからね。ま、神社で扱うのは神具や神器がメインだけど」

 ……というか、呪符貼るだけならやっぱり俺ら要らなかったんじゃ──。

「任務終了!帰るよ、みんな。明日も特訓だからね」
「ねー、五条先生」
「ん?」
「なんで俺たち連れてきたの?」
「んー……呪具、呪物の取り扱いは、術師なら知っておいて損はないでしょ」
「ふーん」

 またこの山道を降りると思うとちょっとだけだるい。整備はされていても段差はでかいし、距離も長いし、掃除の後となれば休んだとはいえ疲労も蓄積されている。そういえば、この山道はナナミさんにきついのではないだろうか。そう思って振り返ると、彼女はひとこと「じゃあまたね」と言った。

「一緒に帰らんの?」
「私、まだやることあるから」
「えーっ手伝いますよ、私たち」

 釘崎はあれだけ文句を言っていたのに、聞き上手でまともな大人っぽいナナミさんのことを一瞬で気に入ったらしい。普段俺たちにだったら絶対に言わないようなことを提案していたが、「ううん、いいの」と首を横に振られてしまった。

「でももう暗いよ?」
「子供じゃないから」

 ピシャリ。はっきりと言われて「あ、それは地雷なんかな」と理解する。まあこの人も2級術師で俺らより強いだろうし、いっか。五条先生はまったく気にしてないみたいでさっさと一人で降りてしまったし、俺たちも帰るか。三人で少し上の方にいるナナミさんにペコペコ頭を下げて、山道を降りていった。
 麓には伊地知さんの車が停まっていた。相変わらず五条先生だけ先に乗り込んでいて、俺たちは後ろに座りこんだ。

「で、どうだった?」
「ナナミさん優しかった!」
「お?悠仁はそうきたかぁ」

 ミラーに映る五条先生はニヤニヤ笑っている。すると釘崎が、至って不思議そうに「ねぇ、ナナミさんって結婚してるの?」と言った。

「え!?そうなん!?」
「指輪してたじゃない、薬指に。ブランドものだから気になっちゃって」
「うんうん、野薔薇は鋭いね」

 たしかに指輪してた……してたような、気がする。はっきりとは思い出せないけど、シルバーの大人っぽいやつが左手に嵌められていた。俺が思い出せなくてうんうん唸っていると、伏黒がため息をついた。

「あんた、もしかして虎杖にそれ気づかせたくてずっとナナミさんのこと名字で読んでたんですか」
「バレた?」
「性格悪いっすね」

 名字?先生、名字で呼んでたっけ……とさっきまでのことを思い出し、俺は「あっ!」と声を出す。俺は今、まずいことに気付いてしまった。

「悠仁も気づいた?」
「おう、学ラン神社に忘れてた!」
「そっち?」
「伊地知さん、車停めて、俺走って取ってくる!」

 伊地知さんが道路の端に車を停める。ここから神社はそう離れていないし、走ればすぐに取りに行けるだろう。またあの山道を往復しないといけないことを考えると気が重いが、学ランを買い替えることと比べたら安いもんだ。
 走って神社に戻ると、麓に一台、高そうな車が停まっていた。車に詳しくない学生の俺でもわかる高級車だ。捨てられた神社に来る人がいるだろうか、と考えたが、考えてる暇はない。その人に学ランを拾われる前に行かなきゃな、と思い階段を飛ばして登っていく。あと数段で山頂だ、といったところで、何やら話し声が聞こえた。

「迎えに来なくても良かったのに」

 この声はナナミさんだ。さっき聞いたばかりの、少し舌足らずだけど大人みたいな話し方。しかし、先ほどより幾分か柔らかい声色で彼女は言った。

「とはいえ、久しぶりの任務です。何かあったら困ります」
「ただの封印だってば」
「前もこの山道を登るのに苦労していたでしょう」

 待って、俺この声聞いたことある。そろり、そろりとゆっくり歩を進める。山頂からは見えないように、身をかがめて近づく。そうだ、この声に俺は聞き覚えがある。五条先生より低い男の人の声は、俺に術師としての在り方を教えてくれた大人の声だった。

「それは……そうだけど」
「ほら、帰りますよ」
「うん」

 ──やっぱり、ナナミンだ。七海建人。元サラリーマンの1級術師。この前任務を一緒に行ったばかりのナナミンが、腕にナナミさんを抱き上げている。抱き上げているから当たり前だが距離は近く、でもそれ以上に二人の世界が出来上がっている。

「どこも怪我してないですか」
「うん」

 労働時と比べるとナナミンの声は至極優しい。なぜか俺の方が恥ずかしくなるぐらい、恋愛映画みたいな雰囲気を醸し出している。そこで俺は車内での会話を思い出していた。名字、結婚指輪、そして今の二人の雰囲気。そうか、ナナミさんは七海さんなのか。それで、七海さんとナナミンが夫婦なのか──!そのことを五条先生は俺にこのことを気付かせたかったのだと気付く。なるほど、伏黒が「性格悪いっすね」と言った理由がようやくわかった。

「あれ?」
「どうしました」
「この学ラン、虎杖くんのかも」
「あとで高専に届けますか」
「ええ」

 俺の名前が出て、思わずどきりと胸が高鳴る。やべ、これ邪魔したら鹿に蹴られるんじゃ?いや馬か?まあいいや、ナナミンに蹴られるんじゃないだろうか。それはまずい、非常にまずい。俺はまだ死にたくない。
 そう思って、俺は迷わず踵を返して走り出した。来た時よりも早く、絶対に見つからないように三段飛ばしで駆け降りる。汗だくで戻ってきた俺を見て、釘崎がギョッとした顔で「近寄らないで」と言ったが、全く傷付かなかった。

「虎杖、学ランどうした」
「いや……命の方が大事かなって」
「は?」

 ナナミンと七海さんにバレてたらどうしようと思うと、車に乗り込んでも汗は止まらない。制服は明日買い直そうと心に決めた。
 次の日、高専にやってきたナナミンに「覗き見は趣味が悪いですよ」と言われて、謝り倒したのは言うまでもない。





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