目が覚めた時、そこに広がっていたのはよく見知った天井であった。

「あ、起きた?」
「……家入、さん」
「よかった。七海、3日も起きなかったんだよ」

 家入さんの言葉に、だからこんなに身体が重く感じるのか、と納得した。先ほどから身体を起こそうとしているのに、ぴくりとも動かせない。特に右腕なんかは、地面に縫い付けられたような、縛られたかのような感覚さえある。今にも千切られるのではないかと思うほどの痛みと全身の熱に思わず顔を顰めた。
 なぜこうなってしまったのか、どうして自分がここにいるのか思い出す──いや、まず聞かねばならないのは自分の体のことではない。あの時一緒にいたはずのなまえの無事を私は確かめなければならない。"あんなこと"が起こって、彼女は無事なのだろうか。「なまえは、」という私の言葉に、家入さんはため息をつく。「まあ、七海なら起きて真っ先に聞くよね」と言って、仕切るためのカーテンを引っ張った。隣のベッドを横目で見ると、そこに横たわっていたのは紛れもなくなまえだった。

「なまえ……?」

 たしかになまえだ、間違いない。しかしその姿は私の知っているものと大きく異なっている。たしかに私より小さな身体をしていたが、こんなに小さくはなかったはずだ。たしかに17歳にしてはあどけなく、幼さを残す顔立ちをしていたが──これでは本当に子供の顔ではないか。明らかに容貌の変わっている彼女に手を伸ばそうとしたが、やはり腕は動かなかった。

「なまえね、なんかよくわからないけど、小さくなってるの」
「ちいさく、……なぜ、」
「わからないよ、私が聞きたい」

 家入さん曰く、反転術式も効かなかったという。ここに運ばれてから毎日、なまえの身体からミシミシと無理やり何かを押し込めたかのような音が聞こえ、それから毎日縮んでいるらしい。「1日経つごとに1年分くらい若返ってるよ」と家入さんは言ったが、若返りと呼ぶにはあまりにも強引で力づくではないだろうか。現に、なまえの寝顔は穏やかとは言えない。苦痛に歪んでいて、息も荒々しく感じる。その顔の赤さに私と同じく熱でもあると思ったのだが、赤く見えるのは熱のせいではない。よく見るとその赤みは何かの痕のようだったのだが、熱で目が霞んでよく見えなかった。

「おい七海ぃ、起きて早々嫁のこと見つめてんなー」

 目を凝らしていると、明らかに家入さんのものではないからかいの声が聞こえた。ああ、めんどくさいのがきたな……という私の思いは顔に出ていたらしく、五条さんが私の頭をぺちりと叩く。しかし熱のおかげか「うお、あっち」と、この傍若無人な先輩はすぐに手を離したのだった。

「嫁って」
「嫁だろ。実家に挨拶行ったらしいじゃん」
「いって、ないですよ……行く前に、あんなことが、あったので、挨拶なんてできなかった……」

 "あんなこと"という私の言葉に、五条さんはピクリと反応した。いつもかけているサングラスを外して、私となまえを交互に見つめる。真っ青な瞳が射抜くように私たちを──何かを睨んでいた。

「なるほど」
「なにか、見えますか」
「おう、やっぱ蛇ってキモい」
「へび、ですか」

 ああ、そうだ。あそこにいたのは、たしかに蛇だった。
 あの時、なまえが私を呼ぶ声がして思い切り押し出されて、まず見えたのは夥しい量の蛇だった。無数の白蛇がなまえに襲いかかり、飲み込み、全身を覆い尽くしていた。その中でなまえは苦しげに白蛇を丸呑みしていた。いや、あれは丸呑みさせられていたと言うのが正しいのだろうか。身体を無理やり縛り付けられて、まるで罰だとでも言うかのごとき光景だった。そんな中で彼女の目が助けを求めている気がして──私は思わず手を伸ばしてしまった。呪いに対してなんの対策もなく手を出すなど、悪手だ。人質を取られ、明らかに格上の敵に単騎で乗り込むなど、馬鹿のすることだ。術師を初めて二年目にもなるのに、そんな簡単なことすらあの時の私には分かっていなかった。それでも私は手を伸ばすしかなかったのだ。このままではなまえを失ってしまう。灰原だけでなく、なまえまで──そんなの、あんまりではないか。そう思ったときにはすでに身体は動いていた。
 山道を出来るだけ早く降りて、高専に運び込まれたときには「助かった」と思った。しかし、現状はなまえを助けられたとは言い難い。高専に運ばれた私たちはそのまま倒れたのだろう。そこから起きることなく、ずっと床に臥していた。明らかに呪いに当てられている。それも、とんでもない呪いに違いない。それは弱い私にもわかることだった。そのとんでもない呪いを五条さんは蛇だという。蛇といえば──いま隣に眠る彼女こそ、蛇神遣いである。そして、彼女の家の祭神も蛇神だった。

「みょうじの術式は、降霊術だよな」
「ええ……蛇神の、降霊だと」
「降霊術って、本当は割と不便なんだよ。自分より格上を下すってなったらそれなりの代償か縛りが要る。最悪、乗っ取られたり、暴走する」
「……ええ」
「あいつ、依代もなしに蛇を下ろしてただろ。見た感じ、特に何か縛りがあった様子もなかった。おかしくないか、それ」

 おかしい、のだろうか。私は神道に詳しいわけではないからわからない。私は神に興味がない。特に熱心に何かを信仰をしているわけではないから、そういう意味では無宗教と言えるだろう。だから、彼女が「神様はたまに怖いの」と言っていた本当の意味を、私はよく考えなかったのだ。

「これは俺の考えだけど、みょうじとその蛇神はなんらかの"契約関係"にある」
「契約、ですか……なんの、」
「そこまでは俺も知らね。七海は?なんか知らないの」
「……そういえば、儀式が、あったとか」

 五条さんの言葉に、私が思い出したのはなまえの話していた儀式だった。彼女が7歳のときに行われたという地域の祭り、そしてそこで行われていた儀式もどきの話を思い出す。巫女役に選ばれたというなまえと、その儀式の内容。綺麗な着物を着せられて、祝詞の後に酒を飲んで──と説明したところで、五条さんは口を挟んだ。

「酒?」
「ええ……三度、神と交互に飲むとか、」
「おい、それって──」
「三々九度じゃん」

 「おい硝子、俺のセリフ奪うな」という五条さんの言葉を家入さんは軽くいなす。というか、この人いつから席を外していた?そんなことにすら気付かないほど、私の意識は朦朧としているらしい。……手に持っているなんらかの書類は、先程はなかった代物だった。家入さんはそれを五条さんに手渡して言った。

「これ。夜蛾先生から、五条にって」
「なに?任務?」
「うん。場所はなまえの家」
「マジ?」

 ベッドに横たわったままの私にその内容は見えない。しかし、神社、蛇、そして彼女の名前がチラリと見えて、私たちのことなのだと悟った。どうして彼女の家が──いや、それより。家入さんの言った"三々九度"の方が気になる。言われてみるとたしかにそうなのだ。彼女が儀式で行ったという行為は、神前式によく似ている。もしや、彼女のいう儀式というのは──。

「は?みょうじも連れてけってどういうことだよ」
「は、」
「ああ、なまえが起きたらでいいって」
「いや、起きても無理だろ。つーか起きんのか?こいつ」
「……五条」
「あー、ハイハイ」
「っ、それなら、私が代わりに……!」

 なんで彼女がもう一度、あの場所に行かないといけないのだ。あの場所はたしかに地獄だった。あたりは清浄さなんてかき消え、無数の蛇が地を這う光景が忘れられない。私はもう二度となまえにあんな地獄に行ってほしくない。今度こそ彼女が死んでしまうのではないかと、あんな思いはもうしたくないと思うと身体の熱が増していく。ただ、それだけだった。
 しかし五条さんは至って冷静に、起きあがろうとする私の額を手で軽く押さえつけた。

「みょうじがいかないと意味ないんだよ」
「でも!」
「特級の任務になんでたかが二級のみょうじがついていくのか、七海ならわかるだろ」
「……」
「蛇はみょうじの術式だ。それしかない」

 家の者だから、被呪者だから、2級だから──ではない。

「……っ、」
「まーまだ寝とけば?みょうじはしばらく起きないし」
「そうそう。七海もまだ熱高いんだから」

 お大事に。そう言って、彼らは出て行ってしまった。私はそれを見送ることなく、ただ静かに目を瞑った。
 ──灰原、私はまた間違ったのだろうか。あの時助けられたと思った彼女は、結局助かっていない。それどころか、またあの場所に送られるのだという。私はまた、それを一人指を咥えて待つだけだ。お前を助けられなかった時のように、自分の無力と不甲斐なさを思い知ることとなる。そしてあの最強の先輩が一人でなんとかするのだろう。彼女を助けるのは私ではない、彼女を助けるのは五条さんだ。私は何も、やれていない。私は何のために、術師になったのだろうな。友人も恋人も助けられず、私は一体誰を助けられるのだろう。
 記憶の中の灰原は、何も言わなかった。

「……なまえ、」

 蛇にがんじがらめにされた腕はやはり動かすことも叶わない。隣にいるはずのなまえにすら手が届かなくて、こんなに近いのに遠くに行ってしまったんじゃないかと思った。

「なまえ、すまなかった、……なまえ、すまない、本当に、……」

 何度謝っても私の後悔が晴れることはない。それでも今は、ただ謝るしかなかった。私にできることは何もないのだから。身体が重いのは、きっと熱のせいだけではない。
 それから、何度か私は寝て起きてを繰り返した。寝苦しさに目を覚まして、しかし倦怠感に起きていられなくなって水を飲んですぐに眠った。空腹を感じることはほとんどなかったが、それでも何か口にしろとあの先輩らがうるさいので(意外と世話焼き……いや、あれはただ私で遊んでるだけだろう)、ゼリーやプリンといった食事ともいえないものを食べた。その間、なまえが起きたところを見たことがない。ただ毎日小さくなり続ける身体を見続け、骨が軋むような音を隣でずっと聞いていた。
 そんな生活を何日続けたのかは、定かではない。少し身体が楽になり動けるようになって、このままでは体力が落ちてしまうと思って、軽いストレッチをした日だ。調子に乗ったのが悪かったのか、私はその後またすぐに熱が上がって動けなくなった……のだと思う。倒れ込むようにベッドに横たわり、そのまま泥のように眠った。それからどのくらい眠っていたのだろう。目が覚めて、すっかり習慣になったように、仕切りとなるカーテンを引く。隣のベッドにいるなまえの顔を見ようとして、気付く──そこはすでにもぬけの殻だった。






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