目が覚めた時、私の身体はすでに変化を遂げていた。

「お前10日起きなかったんだよ。寝てる間毎日身体が縮んでくもんだからビビったわ。びっくりドッキリ人間ショーかっての。硝子の反転術式も全く効かねぇし」

 身体の痛みも熱さも、起きたところで消えていなかった。小さくなった私を見て、五条先輩は引いたような顔を浮かべている。わざわざお見舞いに来てくれたとは思えない。暇を持て余して私を笑いに来たのかもしれないな、と思ったが言わなかった。

「おいそがしいなか、わざわざおみまいにきてくださってありがとうございます」

 私の口から、私のものとは思えない高く幼い声が出た。上手く口が回らないせいで噛みそうになった私を見て、五条先輩はいつもみたいに馬鹿にするように笑った。
 あの呪いは対象を幼児の姿に変えてしまう呪いだったらしい。頭に響いた骨を軋む音は、骨格を変えられたせいで鳴っていたのだろう。ぺたぺたと自分の体のあちこちを触ってみたが、どこもかしこも元の体よりだいぶ小さい。小学校に入りたてくらいの姿だろうか。サイズが合わないのに無理矢理着せられた病衣をめくれば、皮膚に鱗のような真っ赤な痕がびっちりと身体を這っていた。鱗のようなと言ったが、鱗だ。しかし魚のような重なりのある鱗ではなく、粒状のそれは爬虫類のものと酷似している。
 そんなことより──私の身体よりも大事なのはあの時一緒にいた建人くんや家族の方だ。あの時、建人くんは腕が上げれないようだった。手に残された赤い痕は、思い返せば私の身体にあるものとよく似ている。同じ呪いに当てられたことは間違いないだろう。いくらあの時呪いに触れたのが片手といえど、私のように全身に回ってしまう可能性もあるのではないか。ならば早く建人くんを助けないと。
 五条先輩は私の考えを読んでいるのだろうか、「七海なら隣で寝てんぞ」と言った。その言葉にカーテンを引くと苦しそうに顔を顰めて眠る彼の姿があった。

「建人くん」

 私を救ってくれた右腕は変わらず鱗状の痕がびっちりと残っている。その手を握ると、たしかに身体はとんでもない高熱を発していた。息は短く荒く、ただの風邪症状にしてはあまりにも重い。
 家に行くなどと、一緒に境内に入るなどと言わなければよかったのだ。私がそんな提案をしなければ彼は今ごろ……後悔はしてもしきれなかったが、後悔している暇などない。まだ、私にはやるべきことがある。

「熱が引かなくて、寝て起きてを繰り返してる。腕はお前と一緒、反転術式でも治らなかった」
「げねつざいは?」
「飲ませてるよ。でも効かねーって」
「そうですか……」
「お前ら、一体何を"怒らせた"?」

 五条先輩の言葉はほとんど正解だった。私と建人くんはあのとき怒らせたのだろう。身体に纏わりつく鱗状の痕、境内を埋め尽くす白い何か。私はあれを知っている。小さい頃からほとんど一緒にいたようなものなのだ。つまりこれは、呪いではなく祟りというのが正しいのだろう。もはや呪霊なんか比にならない──神の領域だった。
 根本を断たなければ建人くんは衰弱して死んでしまうだろう。境内に取り残された家族も、あのまま呪い殺されてしまう。だから私が何とかしなければならない。

「……ごじょうせんぱい、おねがいが」
「なに。俺にお願いとか高くつくよ」
「めいさんみたいなこといわないでください」

 起きあがろうとするだけで頭がキツく縛られたように痛む。痛みに耐えて、ようやく起き上がれた私の背中を五条先輩は支えてくれた。口や態度は横暴で乱暴な人だが、それなりに優しい面があることは知っている。そういえば、禪院に売られそうになったを子供を助けたと言っていたな。例の星漿体のことといい、五条先輩は意外と子供には優しいのかもしれない。この身体になって、唯一得をしたなと思った。

「わたしのいえにいっしょにきてほしいんです」
「えー、七海の次は俺?乗り換えはっや。でもごめん、俺お前とは結婚したくないわ。七海に怒られるし。あとつるぺたに興味ない、元の姿ならまだワンチャンあったかもなー」
「そういうことじゃないです」

 前言撤回。やっぱ最低だ、この先輩。

「のろいを、たたりを、はらうのをてつだってください」
「特級様をこき使うなよ」

 まー俺は優しい先輩だから?行ってやらんこともない。と五条先輩は言う。ああ、これは一生このネタで強請られるんだろうなとすぐにわかった。事あるごとに「あの時誰が助けたんだっけ?」というに違いない。五条先輩はそういう人なのだ。高くつくと本人は言ったが、これなら金を取られた方がまだマシだ。冥さんに頼んだ方が良かっただろうか……いや、いくら冥さんが強くても、アレに太刀打ちはできないだろうから、やっぱり五条先輩に借りを作るしかない。

「で?祓うって言っても無理に祓ったらお前ら死ぬぞ。仮にも神相手なんだし、蛇はおっかないし」
「したてにでて、おねがいするしかないですかね」
「あー、どうだかな。お前の命差し出したら七海くらいなら助けてくれそうなもんだけど。どうする?」

 彼の問いに、私は迷わず頷いた。別に良い、私の命程度で建人くんが生き延びるなら万々歳だ。でも、建人くんを置いて死んでしまったら、彼はとうとう一人になってしまう。灰原くんもいなくて、私もいなくて、一人でこの高専を卒業していくのだろう──それは、なんか嫌だなぁ。
 五条先輩は私を見るとにやっと笑って、立ち上がった。

「じゃあ今すぐ行くぞ」
「まってください、せんぱい」
「なに?」

 振り返った五条先輩を引き止める。生き生きとしている先輩は誰にも止められない。止めてはいけないというのが、呪術高専東京校生の暗黙の了解だった。しかし、言わなければならないことがあった。

「まずからだをきよめなきゃ。あとできるだけきれいなふくを。せんぱい、ごさんけなんだからぎしきのためのせいそうぐらいもってますよね?あと、きょうのひるごはんはなんでした?うちのぎしきのまえは、よつあしのどうぶつとおさかなはたべちゃだめなんです。それからさけとこめ、きよめたみずとしお、あとたまごがひつようですね。ありますか?」
「よし、明日行くぞ」
「……」

 五条先輩が私から目を逸らす。あ、これめんどくせーって思ってる時のやつだ。





 次の日の早朝、五条先輩は五条家の正服をきっちり着込んでやって来た。衣冠だ──頭に冠もかぶっており、私の予想以上にしっかりと準備してきた先輩に驚きを隠せずにいる。いつものサングラスも外しているし、彼の元の容姿と相まって、認めたくないが雰囲気すらある。この人、黙ってれば容姿端麗なんだよなぁと思った瞬間、先輩は口を開いた。

「今日の学食のA定食、生姜焼きだってよ。あーあ、食いたかったなー」
「……おわったら、ご飯、おごります」
「てかお前も正装?馬子にも衣装だな」
「あくまでぎしきなので、まあ」

 高専の前に停められた補助監督の車に乗り込む。私が寝ている間にこの件は「特級案件」となっていたらしく、正式な任務として私たちは祓除することとなった。たかが2級術師である私が五条先輩と同行できたのは、私が被呪者だからだ。そして、同じく被呪者である建人くんは未だに医務室で眠っている。
 ようやく訪れた我が家の境内は、変わらず禍々しい空気を漂わせていた。あたりは無数の蛇が彷徨いており、鳥居を境に明らかに匂いが変わっていた。

「これフカコーリョクだから。七海には内緒しとけよ」

 五条先輩に手を握られ、二人で足を踏み入れた。
 社殿の中でまず見つけたのは、倒れている父たちだった。熱がある状態で10日放置されていたというのに、建人くんより軽症に見える。五条先輩の「信仰が身を助けたな」という言葉に思わず安堵のため息をつく。鳥居のすぐ近く、境界の外側に待機してもらった補助監督に引き渡して、私たちは再び社殿に向かうこととなった。
 蛇たちは五条先輩の髪にも負けず劣らずの白さをしている。私の身体の痛みは社に近づくにつれて増していくが、構わず社の前にしゃがみ込んだ。祝詞をあげて、酒を飲む。前の儀式と同じような手順を着々と進めていく。途中、周りの蛇がざわめきこちらに迫って来たが、五条先輩の無下限呪術のおかげでことなきを得た。彼がいなかったら、この時点で死んでいたかもしれない。
 私は神にお願いをしなければならない──許してください、建人くんたちを解放してください、と。しかし、それより前に、私には謝らなければならないことがある。だってこの祟りは、神様を怒らせてしまったことで引き起こされたのだから。私は地面に手をついて、頭を垂れて、言った。

「うらぎってしまって、もうしわけございませんでした」

 蛇は何も言わない。ただうねりにうねって、何も言わず、私を責めるかのように迫ってくる。濁流のようになった蛇の大群はまるで一匹の大蛇のようだった。
 この神がお怒りになられた原因は、すでにわかっているのだ。五条先輩は私が寝ているうちに、私の家、ひいては私の家の祭りについて調べたらしい。7歳の時に行われたあの祭りは、単なる"楽しいお祭り"ではなかったのだ。
 豊田祭ほうてんさい──この祭りの真意は"奉奠ほうてん"である。うやうやしく奉ること。神様だから何かを献上することは当たり前だと思うが、五条先輩曰く「だからって献上自体が祭りになるわけないじゃん」とのことだった。つまり何が言いたいのかと言うと「豊田祭は、元は人身供養の儀式である」というのが五条先輩の出した答えであった。
 ――おかしいと思ってお前んち調べたら、稲荷神と土地神と蛇神信仰がぐっちゃぐちゃに絡み合ってる。稲荷神もびっくりだろうな。生贄を捧げてた事実をねじ曲げられて、時代の移り変わりとともに人間に都合の良い神様に仕立て上げてさ。このブラック神社め。ま、どこもそんなようなもんだけど。
 五条先輩の全神社を敵に回すような発言はともかく、我が家に関しては間違っていないのだろう。時代の変遷とともに私たちは神を都合の良いものとして扱っていた。これはその罰だ。だから、神主の娘である私を──あのとき、儀式で献上された私を、神様は祟ったのだと思う。

「罰はすべて、わたしがうけます。ですからどうか、他のものをゆるしてはくれないでしょうか」

 蛇は何も言わない。

「ゆるさないというのなら、私の命をうばってかまいません。あなたをないがしろにした一族のせきにんは、わたしがせおいます、ですからどうか……」

 蛇は何も言わない。

「──よめいりのけんは、きちんと、改めておうけします。"あの者"がしんだら、私はあなたのもとにむかいます」
「おい、みょうじ」
「ですから、おねがいいたします」
「……」
「わたしの家族を、けんとくんを、たすけてください」

 それはだめだろ、という五条先輩の言葉を遮るように、大蛇は咆哮をあげる。その叫び声は耳に突き刺さり、木々を震えさせ、山を揺らした。その瞬間、一塊の蛇が一瞬にして崩れ落ち、バラバラになり、すべて山へと消えるように離散していく。その様を、私たちは最後の一匹が消え去るまで見つめていた。そして最後の一匹が消えた瞬間──体を這いずる熱と痛みも、消え去っていったのだった。

「お前……本物の馬鹿か!?」
「ばかとはなんですか、ばかとは」

 蛇が消えた瞬間に五条先輩が叫んだ。その言葉を無視するように私は儀式を終わらせる。片付けをして立ち上がり、境内を抜けたところで五条先輩が舌打ちをした。

「堂々と浮気宣言するとか。七海に言いつけちゃおっかなー」
「神様的には、さきに"うわき"したのは私ですよ。あと、建人くんにはいわないでください」
「えー」
「おねがいします、先輩」
「……わかったよ」

 人身供養の儀式とはいえ、神は何も人を食っていたわけではない。それは、この儀式に供養されるのが女の子供ばかりであること。そして、儀式の手順が婚姻の儀式と同様のものであることからすぐにわかった──あれは、嫁入りだったのだろう、と。
 神が怒った理由もそこにあった。7歳の時、儀式で嫁入りをした私が別の男を連れてきた。彼からしてみれば浮気で、不貞だったのだ。それは怒るに決まってる、私だって建人くんに浮気されたら怒るもの。

「相手が勝手に、お前を気に入っただけなのに?」
「……」
「神様の約束なんか、相手が勝手に取り付けただけだろ。儀式だって形骸化してた。違うか?」
「それでも、儀式は儀式ですし。さんかしたのも私ですから」

 私たち人間は儀式の意味を勝手に解釈していったわけだが、神様はずっと嫁入りの儀式だと認識していた。間違っていたのは私たちで、神は何も間違っていない。
 これは私たちが、神様を都合の良い存在に仕立て上げた罰である。

「七海は、お前の犠牲なんて望んでない。むしろ怒るぞ」
「犠牲なんて」
「犠牲だろ、献身的な自己犠牲精神。反吐が出るわ」
「じゅつしなんてみんな自己犠牲のかたまりですよ」
「……そんなん、意味ねーって」

 彼が今何を思っているかわからない。最強でも助けられなかったあの二人を思い出しているのだろうか、と勝手に彼の胸の内を想像していた。

「じゃあやっぱり、建人くんにはいわないでください」
「おう」
「もう神さまにじゅうぶんおこられたので。建人くんにまでおこられたくないです、わたし」
「ツッコミづらいボケ方するなよ」
「ボケてないです」

 先輩と山道を降りながら、後ろを振り返って境内を見る。一度祟りが発生したそこに清浄な空気はない。神がいる気配はするが、この神社はそのうち良くないものが溜まるだろう。この社殿は捨てるべきだ。父が起きたら早いうちに遷宮の相談をしなければならない。祟りは起こしたが、あの神は呪いに転じたわけではない。もう一度、今度は正しくお祀りしよう。もう二度と、間違わないように。
 私たちは階段を降りる。身体の痛みは消えていても、小さくなった身体は戻ることはなかった。





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