※かなり下世話な話。カッコいい七海はいません。五条先生が最低。ご注意ください。









「……ただいま帰りました」

 建人くんが帰宅の挨拶を忘れたことはないが、その日のコンディションによっては蚊の鳴くような小さい声になることもある。連勤明けは特に話す元気もないらしくて、帰ってきたらまっすぐお風呂に行き、そのままベッドに入ってしまうことも少なくはない。今日はそういう日だった。
 私は卒業後、建人くんが術師に出戻るまで術師の仕事を続けていた。とはいえこんな身体だし、等級も下がってしまった私に回ってくる仕事はほとんど誰かの補助か、封印作業の手伝いくらいだった。たまに五条さんに呼ばれて高専で教鞭を取ることはあったが、およそ肉体労働と呼ばれるものは既に縁遠い。術師の世界は慢性的な人手不足のため、私のような半端者でもそれなりに仕事が回ってくる。その仕事すら受けなくなり主婦業に専念したきっかけは、出戻った建人くんの「私が貴方の分まで働くから、家で待っていて欲しい」という言葉だった。その時の彼があまりにも切実だったから、私は頷くほかなく、術師の仕事を休職することとなった。私が仕事を辞めると、彼は少しだけ晴れやかな顔をするようになった。そして宣言通り、彼は私の分の仕事も行うようになった。どころか、ブランクをものとも言わずすぐに一級に上り詰め、私の分以上の仕事をするようになった。
 その結果がこれだ。連勤に続く連勤は、彼の肉体と精神を蝕んでいる。一級術師が忙しいとは言え、建人くんは特に多忙を極め、生活のほとんどを仕事に捧げていた。
 玄関で出迎えると、建人くんは何をするでもなくぼーっとそこに立っていた。駆け寄って腰に抱き付けば、いつも通り頭を撫でてくれたが、いつもより動きが鈍い。見上げた彼の顔には隈が深く刻まれている。彼が屈んで頬を差し出してきたからいつも通り唇を落として、私も頬を差し出す。かさついた唇が頬に押し付けられた。疲れていても習慣というのは辞められないらしい。

「おかえりなさい」
「ええ」
「ご飯食べる?」
「ええ」
「お風呂が先?お湯張ってあるよ」
「ええ」

 これは……だいぶ重症だ。返事も歩行もおぼつかない彼の手を引いて歩く。ダイニングチェアに座らせれば、彼は素直に項垂れたように座り込んだ。
 本当は私も術師に戻った方がいいのではないかと思う。彼は私との生活を支えるために仕事を余計に請け負っている。その上で私の体の事、呪いのことを調べているのだから、休める時は少ないだろう。憔悴した彼を見るたびに、あのとき「術師はやめない」と言えば良かったと後悔する。

「建人くん……きゃっ」

 彼の名前を呼ぶと、建人くんは私の手を引き寄せて抱き締めた。珍しく乱れた彼の髪の毛がくすぐったい。逞しい彼の首に手を回すと、抱きしめる力がさらに増した。

「建人くん、お疲れさま」
「ええ……つかれた、今日は特に……」
「今日のは厄介だったの?」
「ええ、厄介だった……」
「そっかぁ」
「……五条さんとの仕事は、精神が擦り切れそうだ……」

 彼の言葉に、私は納得した。いくら優秀有能術師の建人くんとは言え、五条さんを相手にしたらこのように疲弊し切るのもしょうがない。五条さんは私たちの先輩に当たる特級術師だが、いかんせん性格が面倒くさい。性格は食えない、飄々として掴みどころがない、悪ノリをする……などなど面倒くさい要因はあげたらキリがないが、とにかく彼の仕事は疲れる。特級らしく腕は確かなのだが、当たり前のように振り回され、学生時代は私も苦労させられた。

「ロリコンだと、言われた」

 五条さんのいつものからかい文句だった。

「いつもなら別に気にしない。あの人がああ言うのはいつものことだから。でも……今日はダメだった」
「連勤明けだもんね」
「挙句、お前あれで勃つの?とか聞かれたから、我慢ならなくて……」

 ハァーーー、と長めの溜息を吐かれる。きっとヤケになって言い返してしまったのだろうな。五条さんは上手いこと流さないと(例えば無視するとか)さらにつけ上がって面倒くさくなる。建人くんは珍しく、余計なことを言ってしまったのだろう。ていうか五条さんはいい加減にしてほしい。人のデリケートな部分に土足どころか、車で時速100キロで突っ込むし。火にガソリンを撒いて打ち上げ花火をするし、地雷の上でタップダンスをする。しかし自分だけは無傷、それが五条さんだ。連勤最終日に五条さんの相手なんて、不幸中の不幸に違いなかった。

「そっか」
「……べつに、普通に勃つ」
「そ、そっか」
「あの人にとってなまえはただの子供なんでしょうが、私にとっては妻なんです。抱きたいと思うのが普通でしょう」
「ウン、ソッカ」

 もしかして、もしかしなくとも、それそのまま五条さんに言ったんじゃあるまいな。それはロリコンって言われてもしょうがないと思うけど……なんてぼーっと彼の頭を撫でていると、なんだか建人くんの雰囲気が変わったことに気づいて"しまった"。私のうなじに顔を埋めてスンスンと息を吸い込む彼の空気は、その、なんというか……あやしい。私を抱きしめる手も私の体を撫でるような動きになって、すりすりと私の腰のあたりを触っている。

「っ、建人くん!!お風呂!!お風呂入りましょう!!」

 咄嗟に彼の肩を掴んで距離を取ると、建人くんは「邪魔しないでくれ」と言いたげな不満そうな顔で私を見つめた。術師、中でも死地で戦う近接戦闘型の術師によくあることだが、戦闘後にアドレナリンが過剰分泌されて、その上生存本能が働き性欲が増す……なんてことがよくある。らしい。建人くんも例に漏れずそう言うタイプで、連勤後はたまに理性のタガが外れがちだ。まあ、外れたところで常識人の範疇なのだが、流石に今日は寝てほしいと言うのが本音だった。見るからに疲れた顔をしているし。

「一緒に……」
「でも私、さっき入っちゃっ……」
「……」
「嘘!あーっなんか建人くんのお背中流したい気分かも!」
「入りましょう、すぐに」

 目が座ってるよ……なんて言っても、意味はないだろう。先程までの緩慢な動きとは打って変わって、そそくさと入浴準備を進める彼の後ろ姿に、私の方がため息をつきたくなった。結局、私は彼のわがままに弱い。





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