「みょうじが一人でここ来るなんて、珍しいね」
「そうですか?」
「うん。いつも高専来る時は旦那の送迎付きか、同伴でしょ」
「……」
「さては七海と喧嘩したな?」

 五条さんはそこらへんの人より鋭い。目敏いというのが正しいのかもしれないが、その六眼は人の気持ちまで見透かしているのかと聞きたくなることもある。
 五条さんの言う通り、今朝、建人くんと喧嘩した。本当に些細なことだったかもしれないが、私にとっては重要だった。建人くんにも譲れないものがあるのはわかっていたが、私にだって譲れないものがある。結局、啖呵を切るように私は家を出てきてしまった。建人くんは今日おやすみだから、きっと今は家にいるはずだ。家を出る前、彼の作ってくれた朝食を置いて来てしまったことを思い出す。綺麗に盛り付けられたオープンサンドやサラダ──建人くんは二人分の朝ごはんを食べ切ったのだろうか。

「一人で電車乗ってここ来たの?」
「タクシー使って」
「通報されたらどーすんだよ」

 帰りは伊地知に送ってもらえ、と言われたが、首を振っておいた。伊地知くんに任務以外のことで迷惑をかけるわけにはいかない。ただでさえこの人にこき使われているだろう彼の心労を思うと、私ぐらいは労ってあげたかった。今度ご飯でも奢ってあげなきゃな、と思いつつ、今日の授業で使う呪符を一枚一枚確認する。丹精込めて作っていても、不備があることだってある。五条さんは横から茶々を入れるだけで手伝ってはくれないから、結局私一人で点検するしかない。私の仕事だから手伝ってくれなくてもいいけど、邪魔だけはしないでほしい。
 私は教職ではないが、五条さんに呼ばれて高専で授業を行うことが稀にある。神職の家系で育った私は、幼少期から呪物、呪具、呪符の扱いに手慣れていた。本職は神器や神具なのだが、まあ、神も呪霊も変わらないということだ。今日は1年生の子たちに呪具の取り扱いについて教えてほしいのだと言われ、私はここに訪れた。なんでも呪具使いの生徒がいるらしい。

「真希は呪力がないんだよね。その代わり、身体能力はピカイチ」
「天与呪縛ですか?」
「そ」
「へぇ……珍しい」

 今年の1年は、なかなかに粒揃いの曲者揃いだと五条さんは言った。天与呪縛持ち、呪言師、突然変異呪骸、そして途中転入の特級術師。私たちの一つ上の学年もなかなかだったが、今年も凄い子たちが入学してきたものだ、と思った。

「見た目は子供、中身は大人のみょうじが言う?それ」
「名探偵みたいに言わないでください」

 よく言われることだけど、逆コナンくんみたいな人にだけは言われたくない。なんかムカつくから。





「封印は必ず手順を踏むこと。呪霊が周りにいる場合は祓ってから行ってください。封印が弱まっているとき、呪物は大変繊細です。呪霊にあてられて起こしてしまったら元も子もない」

 私の言葉に生徒たちはそれぞれ返事や、相槌を返してくれる。毎年思うが、五条さんの受け持ちクラスの生徒たちは、それなりに素直だ。五条さん曰く反抗期らしいけど、私にはそのような態度を一切見せない。担任がチャランポランだと生徒がまともになるのいい例かもしれない。
 五条さんはやっぱり生徒たちに何も説明をしていなかったらしく、生徒たちは私を見て"いつもの"反応をした。しかも五条さんが隣にいるせいで「こんな子供を連れてくるなんて」という非難の声と、哀れみの目も追加された。説明すればわかってくれたが、そのときの彼らの瞳は忘れられない。どれだけ信用がないんだ、この先輩は。

「俺らも普通じゃないけど、なまえさんも普通じゃないよな」

 パンダくんが地面をザクザクと掘りながら言う。地面に埋まった1級呪物の再封印が今回の任務だ。だいぶ奥深くまで埋められているらしく、私一人ではきっと掘り起こせなかっただろう。しかし、この学年はかなり腕力に自信のある者が多いし、油断し切っていた。

「結婚してるしな」
「真希さん、それ関係あるの?」
「術師で恋愛結婚するやつは少ねぇんだよ。政略結婚ばっかだぞ」
「術師の世界は封建的かつ前時代的ってわけだ。ま、全員が全員そうってわけじゃないけどな」
「しゃけしゃけ」
「へぇ……」

 真希さん(名前で呼んでくれと言われた)は、禪院家の人間らしい。おにぎりの具しか話せない狗巻くんも呪言師として有名な家系の出だ。二人とも、親に決められて結婚するのが当たり前の家なんだろう。この中だと乙骨くんだけが一般家系の出だ。なんでも彼は将来を決めた人がいるというのだから、最近の子は進んでいるなと思う。まあ、学生時代に実家に挨拶に行った私たちも似たようなものだけど。

「でも、術師同士の結婚生活って実際どうなんだ?」
「まあ、普通ではないけど……」
「やっぱりそうなんですか」
「建人くんは帰ってくるのが遅いですから」

 話しながら土掘りは継続中だ。みんなでやればすぐ終わるだろうと思っていたが、思ったより進んでいないのが現状だった。
 パンダくんはこう見えて恋バナ好きらしく、先ほどから質問は絶えない。狗巻くんもそういう会話は気になるようだった。呪術師ということを除けば、彼らも普通の学生と変わりない。

「じゃ、喧嘩することとかないのか?」
「喧嘩は──」

 朝のことを思い出してしまった。喧嘩なんて、丁度今朝してきたばかりだ。しかしそのまま伝えるわけにもいかずなんと言おうか考えあぐねていると、真希さんが何故かニヤリと笑った。

「ちょうど喧嘩してきたってとこだろ」
「えっ」
「図星だな」

 五条先生ばりの目敏さだった。気まずそうに顔を上げると、狗巻くんが呆れたように「おかかぁ」と呟く。その言葉になぜか真希さんは「はぁ!?」と叫んだ。

「責められることかよ!」
「ツナー」
「ま、棘の言う通りだな」

 初対面の私には狗巻くんの言葉はわからない。転入してきた乙骨くんはその気持ちがわかるらしく、私の顔を見て気まずそうに笑った。

「なんで喧嘩を?」
「些細なことですよ。任務と比べたらどうでもいいような」
「そういうものですか」
「ええ、そういうものです」

 どうでもよかっただろうか、本当に。先輩や、10も下の子達に気を遣わせるくらい落ち込んで、どうでも良いとは言えないのかもしれない。でも事実私には任務の方が大切で、学生に私の持ちうる知識を与えることはもっと大切だった。
 建人くんは基本的に、私が任務に赴くことを良しとしない。私がこの身体になってからずっと言われてきたことであり、今もなお言われ続けている。「危ないからやめてほしい、あなたの分の仕事は私がするので」術師の世界に出戻った彼はいつだって私にそう言う。今日だって「五条さんのお願いが断れないのであれば、私が断りますから」と仕切りに私を家から出したがらなかった。だから思わず、啖呵を切って出て来てしまったのだ。建人くんより私の方が術師としての経験はあるもん──なんて、ひどい言葉を残して。

「高菜!」

 狗巻くんの言葉で、飛ばしていた意識が戻ってくる。掘られた地面から小さな石の箱が顔を出していた。

「これが呪物か?」
「ええ。女神が残した小指」
「女神?ずいぶんファンシーだな。通り名か?」
「そう。正しくは、とある女性が想い人の男性を呪い殺すために送った小指」
「えっ、……ま、禍々しい、デスネ。なんでこんなところに埋められたんですか?」
「ここ、その男が死んだところなんです。一番ここが封印するのにちょうど良かったみたい」

 昔は、遊女が心中立てのために小指を送ることもあったとか。1級呪物にすらなるくらいだから、指の持ち主である女性の執念は時を超えてなお残り続けるというわけだ。男性を呪い殺しても残り続ける指はその証拠だろう。乙骨くんが引くのも無理はない。
 封印は滞りなく行われた。特に乙骨くんは慎重な性格らしく、三人に押し付けられた呪符を丁寧に、隙間なく貼り付けてくれた。これでまた数年は持つだろう。本当は何百年と続く呪符の方がいいかもしれないけど、雨風にさらされれば封印はそれなりに解けやすい。それなら力をより強固にする分、年数を犠牲にした方が私にとってはやりやすい。再び箱に入れて地面に戻し、綺麗に土を慣らしてから私たちは高専に帰宅した。

「なんで好きな人なのに呪ったんだろう」

 乙骨くんの言葉に、ひとつ瞬きをする。

「現在進行形で呪われてる憂太が言うか?」
「たしかに」
「そ、そうだけど……呪って、殺したいってのは意味がわからないっていうか……」

 すると、今まで黙り込んでいた狗巻くんが口を開いた。

「ツナマヨ……高菜、こんぶ」
「まあ、それもあるよな」
「狗巻くん、なんて言ったの?」

 乙骨くんの疑問に真希さんは振り返る。よくわからないといいたげな顔で、彼女は言う。

「手元に置いとかないと不安なんじゃないかってよ」
「……えーと、支配欲?」
「どっちかというと、心配ってやつだな。憂太、お前と一緒だよ」
「あはは……」
「好きだから相手を縛るなんて、意味わかんねぇ」

 本当に好きなら自由にさせたいけどな、と真希さんは呟く。乙骨くんも、小さく頷いていた。





「何か言うことは?」
「……ただいま」
「はい、おかえりなさい」

 結局、帰りは電車で帰って来た。私たちの家は駅から少し歩く必要がある。もうだいぶ暗いけど電灯もあるし許されるだろうと思って足を踏み出したところで、建人くんは駅の前で私を待ち構えていた。
 彼は何も言わずに私の片手を取って握った。建人くんは身長が高いから、手を繋ぐと顔が遠すぎて話しづらい。だからお互いにあまりこの姿勢は好きじゃないけど、喧嘩している時はこのくらいの距離が丁度よかった。
 歩いてる時はお互いずっと無言だった。彼の歩幅なら半分の時間でたどり着くところを、私の歩幅で歩く。この道こんなに遠かったかなとか考えていたら、ようやく我が家にたどり着いた。

「今朝はすみませんでした」

 ようやくたどり着いた我が家の玄関で、彼は靴も脱がずにしゃがみこんで、言った。

「あれは私のわがままでした、完全に」
「うん」

 私の相槌に、建人くんの目が少し揺らぐ。生徒たちは知らないんだろうけど、建人くんは意外と凹みやすい。お気に入りのパンが店頭から消えた時とか、枕元に抜け毛を見つけてしまった時とか。表情は変えず、しかしなんとも悲しそうな目をする。私は意外と彼のその目が好きだった。普通の人間とは外れて、心をすり減らして仕事をしていようとも、人間らしさは絶対に失わない。そういうところが好きだった。

「もうすぐ冬だから、気にしてたんでしょ」
「気付いてましたか」
「うん」

 10年前の今頃、私の身体は小さくなり、私は普通じゃなくなった。建人くんはずっとそのことを気にしている。原因は私の家であり、もっと根本的な原因は例の"神"にあるのだが、建人くんはあの時からずっと責任を感じている。だから私と結婚してくれたのかと思ったくらいだった。
 私の行動を制限したいわけじゃないなんてわかってる。私が元に戻ることこそ、私の自由だと彼は信じて疑わない。再び神に何かされて仕舞えば、本当に自由ではなくなるだろう。建人くんの行動は、いつだって私のためだった。

「いつもこの時期になると、任務行かせてくれないもんね」
「ええ、すみません」
「でも今年はあまりにも強引だった」
「神と名のつく呪物と聞いたので」
「通り名だって言ったのに」
「すみません」

 神によって死んだ灰原くんと、神によって姿を変えられた私を目撃している建人くんは、神のことが嫌いだった。私の仕事も、神関連は入れないようにとあの時からよく言われている。事実私も神様が関わる案件は入れたくない。これ以上変な嫉妬を招き起こしたら、次こそ体そのものが無くなって可能性が無きにしも非ず。余計な心配は避けるに限る。
 私は建人くんに近づいて、少し痩けた頬を両手で包んで、彼の首元に手を回した。

「ごめんね。心配かけて、酷いことを言って……ごめんなさい」
「いえ、」
「建人くんだって……ううん、建人くんの方が強いのに、酷いこと言っちゃった」
「でも、呪物のことなら貴方の方が詳しいのに変わりないので」
「でも、」

 建人くんは私の腕をそっと解くと、私の肩を両手で掴んだ。おでこをこつりと付き合わせて、私たちは互いに互いの目を見つめ合った。視線が絡み合う。

「仲直り、しましょう」
「……うん。ごめんね、建人くん」
「いいえ。私の方こそすみませんでした」

 そう言って建人くんは私に小さく口付けを落とした。お返しに私の方からキスすると、彼は私を抱き上げた。手を繋ぐより、彼の表情がよく見えるこっちの方が私は好きだ。
 建人くんも、私と同じことを思っていてくれたらいいな。そう思ってきゅ、と彼の首に回した手の力を強くした。

「夕食は一緒に食べましょう」
「朝ごはん残しちゃってごめんね」
「いえ。……あれは失敗作だったので、むしろ食べなくてよかった」
「でも建人くんが作ってくれたのは全部食べたい」
「夕食はうまくできたので、全部食べてください」
「もちろん」

 失敗作だなんて嘘をつく彼を、愛しく思う。きっと私のこれも、呪いとそう大差ない。





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