ch2.密林の白昼夢



「待って下さい。 俺がいつ、ガロンと関わったって言うんですか……!?」

ルカが隠し切れないで動揺する様を見て、デニスは驚いたような表情を浮かべた。

「いつってお前さん、前の任務の時に決まってんだろ?」

そこまで言って、デニスは困ったような表情を浮かべて黒いあごひげを少し撫で、ははあ、と何かしら納得のいったように呟いた。

「ああ、そういやガロンの人相は知らなかったかもなぁ。……お前さん会ったんだろ、白髪の物騒な帝国軍人によぉ。ソイツが帝国の暗殺部隊の現隊長、ガロンだ」

ルカは眩暈がするのを感じた。自分の母親を殺したガロンという男。その憎き男に、またしても自分の大切な人間であったルイドが殺されたのだ。
激情がルカの全身を包み込み、堪えるように両手の拳を強く握り締めた。リーダーの手前、感情を怒りのままに爆発させることも出来ず、ルカはただ荒れ狂う感情の波を一心に押さえ込もうとばかりに唇を強く噛み締める。そんな彼の全身は、まるで極寒の地に薄着で佇んでいるかのように真っ青で、小刻みに震えていた。

「おい、キツいなら報告はいつでも構わねぇぞ?」

ルカの異変に気付いたデニスが、怪訝そうに片方の眉を吊り上げてそう言った。その言葉からは、能天気で楽観的な彼にしては珍しく、焦りの色が含まれているように感じられた。それに気付いたルカは微妙な恥ずかしさを覚えて小さく首を横に振り、全身に込められた力を抜くように深呼吸を何度かして、自身の気持ちの昂ぶりを幾分か落ち着ける。それでも体の震は止まらなかったが、構わず、ルカはゆっくりと口を開いた。

「……すみません、大丈夫です」

ルカは事務的に、ありのままをデニスに伝えた。小さなスエ族の少年は殺され、自分は殺されなかったこと。<RED LUNA>の一構成員でしかない自分の名前が、ガロンに知られていたこと。R細胞によって人間から作られたという緑色の奇妙な生物のこと。その生物が使った魔術、バリアで攻撃を防がれたこと。そして、R生物の正体が、帝国の実験に使われて失敗した人間だったということ。

全てを語り終えた後には、静寂だけが残っていた。不思議な緊張感が、その場を包む。
そして、やはりというべきか、その重苦しい静寂を破ったのは、デニスだった。彼の深い溜め息一つが、テントという小さな空間に淋しく反響した。次いで、デニスは普段とは比べ物にならないくらい真剣な表情を浮かべて、ゆっくりと口を開いた。

「……成る程なぁ、そりゃあ全くもって可笑しな話だぜ。俺が知る限りじゃあガロンってぇ男は帝国に忠実で、しかも快楽殺人犯に近いタイプの男だった筈だがなぁ」

デニスの呟きをしっかりと聞きながらも、ルカは無表情だった。そんなルカの様子を一瞬だけチラリと見やったデニスは、更に言葉を続けた。

「まぁルカが嘘を吐いてるワケもねえしよぉ、ガロンの話は保留にするぜ。問題は次だ、R生物の多様化。俺が把握した中だけでも、帝国の馬鹿どもは大きく分けて三種類のR生物を作るつもりみてぇだな。
一つは数年前から続く、赤月の日に降ってくるR生物。あとの二つは前回の件で明らかになったが、女神や神獣っていう能力値の未知数なヤツらにR細胞を投入したR生物、そしてR生物を超える新型の魔力付きR生物」

デニスは一旦言葉を区切り、再び大きな溜め息を吐いたが、今度は先程よりも長い長い溜め息だった。アルコールによって赤みが差すデニスの表情に、一瞬だけ疲労の色が浮かんだのを見て、ルカは戸惑った。いつも飄々として余裕そうなデニスの表情の、裏側を見たような気がしたのだ。

「帝国の奴等、レジスタンスやら俺達やらを相手にするのに、軍隊だけじゃなくR生物を生物兵器として利用する気でいやがるな。しかもそのR生物の元が、人間だっつーからタチが悪ぃじゃねえか、なあ?」

誰にともなく問いかけるようにそう言って皮肉な笑みを零したデニスは、ふっと表情を変えると、鋭く目を細めた。それもまたルカが滅多に見ることの無い、普段からは想像も出来ないデニスの憤怒の表情だった。恐ろしいほどの殺気を肌で感じ、ルカはどことなく身の危険を感じて汗ばむ手を無意識に握りしめ、詰まる呼吸に唾液を飲み込んだ。

ルカが息を呑む音が、その緊迫した空間に響いた。

それに少しばかり我を取り戻したのか、デニスは怒りに細めていた目を閉ざし、ゆっくりとまた目蓋を開いた。再び開かれたデニスの瞳は、怒りと悲嘆の色が入り混じったような、途方にくれたような色を映していた。

「お前には、人殺し紛いのことは、させるつもりじゃなかったんだがなぁ」

静かにそう言いながら、彼は哀しげに苦笑する。落ち着いた様子のデニスが向けてきた言葉に、ルカは心臓を鷲掴みにされたような、切ない胸の痛みを覚える。これまで生きてきた二十一年間もの間、人殺しを一切望んでこなかったルカにとって、R生物を何体も、ひいてはR生物と化した人間を何人も殺してきたのかと思うと、自分の罪深さを感じずにはいられなかった。

噛み締めっぱなしのルカの唇が、ビリビリと痺れるような熱を持ち始めた。まともにデニスの表情を見ることが出来ないルカは視線をフラフラと宙に泳がせ、最終的には辺りに散らばる青い酒瓶たちにその視線は集中した。しばらく口を閉ざしていたデニスがやっと口を開くと、口内に張り付いていた舌が離れたせいだと思われるが、チッと小さく舌打ちの音が鳴った。

「ルカ=モンテサント。お前には以後、R生物討伐の任務は回さないことにする。今までのことは全て忘れろ……いいな?」

ルカは一瞬、思考回路が固まってしまったかのように感じた。この<RED LUNA>という組織において、R生物討伐の任務がなくなるということは、ただの雑用でしかなりえないのだ。たしかに買い出しやら何やらと雑用は雑用なりに仕事も多くあるだろうが、今まで死に物狂いでやってきた実戦とは、全く縁がなくなってしまうのだ。それらの全てを、ルカは知っていた。

知っていたが、ルカにはデニスのこの申し出を断ることが出来なかった。
その理由は、先日のスエ族の一件で、ルカには戦う気力というものが大きく欠落してしまっていたからだ。殺す、殺される、生きる、死ぬ。戦場にはそういった単語だけが徘徊しているのは当たり前だと受け入れてはいても、それら単語の相手が化物ではなく人間になったというだけで、ルカの心は容易く折れてしまったのだ。忘れることなど出来やしない罪悪に蓋をすることが出来るなら、もう何だって構わない。

「……了解です」

長い沈黙の後、ようやくルカは普段より少し上ずったような声で、そう返事をした。
だが、そう答えたルカの胸に安らぎはなく、不思議な罪悪感のような感情だけが、彼の胃に重く沈み込むばかりだった。




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