ch1.黒髪の兄弟




「無事だよな?」

自身が投げ飛ばした少年に声をかけると、少年は驚いたように目を丸くしたまま、唇を金魚のようにパクパクさせて、言葉が出ないと悟ると大人しく口を閉ざした。

「君、村の子?」

ルカが続けて近くの村の子供かと尋ねると、少年は頷く。

「何やってんだ、危ないだろ」

呆れたようにルカが言うと、少年は申し訳なさそうにうつむいた。

「赤月が始まった瞬間、僕は村の人たちに生贄にされたから……。追い出されて、さっき、ここに置いていかれたんです……」

聞いて、ルカは目を丸くした。
生贄。R生物の実態すら知らない人々が作り出した一つの迷信だ。R生物の来襲は何かその地の民が神の怒りに触れるような罪を犯したからであって、生贄を捧げるか、あるいは地域住民すべての命を持って罪を償うかしかない、というイカれた考え。

まさか実在する迷信だったとは……。そう思いながら、ルカは少し戸惑っていた。この少年に、何を言ってあげるべきなのだろうか。
迷っていたルカの視界に映ったのは、びくびくと痙攣するR生物の姿だった。一見、瀕死の状態に見えるその痙攣は、実はR生物の進化の前兆だ。R生物の生命力は本当に計り知れない。それを知っているルカは大きく舌打ちする。

面倒な事になってきたなと思った。早くこの事態を何とかしなければ、この少年の命も危なくなる。そんな考えばかりがよぎり、視界の端にはルカを急くようにチラチラうつる痙攣する触手。そして、目の前で不安そうに震える少年。

何とかしなければ。まず、この少年を落ちつかせなければ。
脳内で警報が鳴り響き続けるルカの頭ではまともに思考回路も機能せず、この時、考えるよりも先にその唇が動いてしまっていた。


「俺はルカ=モンテサント。R生物討伐のために活動する<RED LUNA>の構成員だ。
……君の名前は?」

言った瞬間、ルカは自分の喉が絞まるように苦しくなる気がした。
<RED LUNA>、その存在を洩らしてはいけない。組織の絶対なルールの一つを、今、自分は破ってしまったのだ。
ルカは血の気が引くのを感じた。

「あ、あの<RED LUNA>? あの、噂だけの、組織……?」

<RED LUNA>。その言葉を聞いた瞬間、少年の目が大きく見開かれた。
ルカは何とか誤魔化さなければいけないと、必死に笑顔を作る。


「噂だけだと思ってたのは、お互い様だな。俺も、生贄なんて考える地域がある、なんてのは、噂だけだと思ってた」
ルカが少年にそう返事すれば、少年は唇をきゅっとかみ締めた。そんな少年の様子には見向きもせず、ルカは視界の端でR生物の痙攣が治まっていくのを見ていた。

――そろそろ、か。やばいな、間に合わなかった……っ!
ルカは手のひらの汗を、自身の服で拭き取った。

「僕、ルイドです。ルイド=バグウェル……いや、そうじゃなくて……ルイド、です」

少年はルカと同じようにR生物の姿を眺め、どこかボンヤリして言った。

名乗った少年をチラリと見やる。ファミリーネームを言い直したということは、親に捨てられたということだろうか? そこまで考えて、ルカは気分が重くなるのを感じた。親から捨てられるって辛いんだろうな、とボンヤリ思う。

「ルイド、村に帰って、生贄なんてものは全く意味のない迷信だと伝えて来い。
……もっとも、この地には数十年はR生物も来ないだろうけど。一度R生物が降りた地には、ほぼ100%R生物は降りてこなくなるって、知ってるか?」

親に捨てられたという悲劇の少年の扱い方が分からない、この面倒さ。速攻で仕留められるはずだったR生物の進化。<RED LUNA>の存在を口外してしまったこと。
まともに任務が進まない状況に、ルカはたまらない不快感を感じていた。

「……もう、帰れる訳がないんだ。僕、いいんです。居場所、無いんです。だから、僕は、もう死にたいんです」

少年の嗚咽が小さく聞こえ、ルカは泣きたくなった。
あぁ、どうしたらいいんだ。何で泣くんだよコイツ。本当にもう面倒なんだけど。そういう感情しか、この時のルカには存在していなかった。

「ルイド、頼むからしっかりしてくれ。とにかく今は死にたくても我慢してくれないか? アイツは俺が倒すから、その……何ていうか、あのR生物さえ倒せば、お前が心配する事は何もなくなるんだから、な?」

ルカは困ったような、情けない顔しか出来なかった。その顔を見たからかどうかは知らないが、ルイドはコクリ、と小さく頷いた。
それを確認してルカが少しホッとした瞬間、咆哮するR生物。ビクリと萎縮したルイドの気配を感じ、ルカは首をかしげた。
死にたいって言った割には、ちゃんと怖がってる。ちゃんと、生きたがってるじゃないか。そう思ってルカはますます意味が分からない少年、ルイドのことを面倒に感じた。

気にせずR生物を見ると、姿形さえ変わってはいないが、赤かった体はさらに充血したように真紅に染まり、無数にあった細い触手は八本の太い触手に変わっていた。跳ね上がった殺気は、ルカ達が敵であると認識された明らかな証拠だった。








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