07

ボトリボトリと大粒の雨を降らせる空は真っ黒い雲に覆われている。今日はたしか満月だったはずだが、一面真っ黒で月なんて影も形もない。
しかも雨は一向にやむ気配がないときた。


傘なんて持ってこなかった。予報は雨じゃなかったし。ていうかほんとはもっと早く家に帰っているはずだったのに。服部先生に雑用押し付けられたせいで色々と時間を食ってしまった。



「ちくしょーが…」



スカートのポケットに入っている携帯がブルブルと震えているが無視だ。
母には今日は遅いと先ほど連絡したし、家からではない。
そうでないとするならこんな立て続けに電話をかけてくる相手なんて心当たりがあるのはもう一人しかいない。



先生だ。



今は話したくない。
なんの用か想像に難くないから。
きっと先ほどのやりとりで自分と月詠先生の間にある感情に私が気づいた事を悟った先生が、弁明もしくは、お別れを告げるためにかけてきたに違いない。はたまた、もともと勘違いして居た私を諭すための電話かもしれない。もう色々と思考が吹っ飛びすぎて何が真実なのかわからなくなってる。
あれ?わたしって告白したんだっけ。


「先生うるさい。」


スカートの上から携帯を握りしめて電源を落とす。ギィと音を立てて軋んだブランコの鎖を握ってゆらゆらと揺れてみるが、もやもやした気持ちも相まってとても不快な気分になった。こんな終わり方ってありか。



時刻は8:40。
びしょびしょに濡れた腕時計で時間を確認したら思って居たよりも時間が経って居て、ため息が漏れる。このままだと携帯も水没しそうだ。

鞄は教室に置いてきてしまった。

定期も財布もあの中だ。取りに戻らねば家にも帰れない。しかしこの時間では門はとっくにしまってしまっただろう。
どうしたもんか。と見上げるがごろごろと低く不吉な音を立て始めた空は変わらずぼとぼとと大粒の雨を降らす。


寒くないから良いけど。濡れて気持ち悪いな。
沖田くんか山崎くんにでも助けを求めようか。確か彼らの家は学校から近かったはずだ。


沖田くんならきっと一週間くらいお昼を奢らされるだろうが、助けてくれるに違いない。馬鹿なんですかィ?と呆れたように言う彼の声が脳内で再生されてああ、馬鹿だよわたしは。と今までの自分の行動を鼻で笑ってしまった。



「あーあ。」



こんな雨の中、しかもこんな時間だ。わたし以外誰も居ない公園で、キコキコとブランコが揺れる音がむなしく響く。
こんな終わり方ってありか。ともう一度心の中で呟いた。
一体何が本当なんだ。
最初はあれ、あの二人ってお似合いじゃね?くらいの微かな疑いだったのに。
仲よさそうに駐車場で肩を並べてタバコを吸う姿も、前日の飲み会の話を騒がしく語る姿も、月詠先生が顔を真っ赤にして先生に詰め寄る様子も、同じような服をきて寄り添う姿も、全部全部。わたしの正常な思考を奪い去るのだ。
もう何が本当なのかわからない。

でも、補習の最終日、ぎゅっと私を抱き寄せたあの先生の熱は、夢じゃなかったはずなのに。




「先生の馬鹿」
「馬鹿はオメーだよ」
「っ!」


ごろごろと響くカミナリの音にかき消されるくらい小さな声だったと思ったが。
聞きたくなかった声がすぐ目の前から聴こえて顔をあげれば、いつのまにそこに居たのか、ビニール傘をさしてアイデンティティだと言っていた白衣の裾に泥をつけた先生が立っていた。



「…何しにきたんですか」
「お前こそ何してんだなまえこんなとこでこんな時間に、雨ン中傘もささずに。」



スタスタと近寄ってきた先生は、襲われっぞ。と言いながら私を傘の下に引き込んだ。
濡れた二の腕を大きな手が掴んで、わずかに抵抗をしてみるものの、離す気配もない。



「痛い」
「…悪かったよ、沖田との事。疑ったりして。だから、もう機嫌直せ。」


痛いと言いながらも視線を合わせないように俯いた私の頭に腕を掴んでいた手がぽんと乗った。
沖田くんとの事疑ったってなんだ。
そんなの私知らない。
二の腕を離されたのをいいことに一歩後ろへ下がれば深追いする気もない先生の手はスッと自分の身体の脇に戻っていく。



「…なんですかソレ。どう言う意味ですか?」
「だからホラ、資料室で……え、何違ェの?じゃあなんでずっと無視してんだ」
「無視してない」
「してんだろーが。俺の電話全然出ねェし。鞄は教室に置きっぱなしで。あんまり心配させんなよ」
「…先生がそうやって私の事を心配するのは、私が生徒だから、ですか」



ポロッと漏れたその質問は予想外だったのだろうか。え?何?と間の抜けた声が頭上から降ってきた。何じゃねーよ。先生の馬鹿。

先生にとっては不可解極まりない私の行動の原因を、正直に行って仕舞えば幻滅するだろうか。
こんなクソガキに縛り付けられるのはごめんだと思うだろうか。
きっとそんな事を考えてしまうのはまだ自分にもチャンスがあると思っているからだ。月詠先生なんていう、強大な敵を目の前にしてもまだ自分にチャンスがあると思えるなんて私は思っていたよりも随分と図太い神経をしているようだ。


しがみついてなんてやるもんかと、思っていたのに。



「なまえ?」
「先生と、月詠先生が。仲いいのは知ってる。」
「急になんだよ」
「いつも、お似合いだなって思って見てたから。」


鼻の奥が痛い。じわじわ滲んだ視界の中で、先生の靴がじりっと動揺したように動いた。
ああ、その動揺は、図星だと言っているようなものですよ先生。




「私が、となりにいるより、よっぽど、様になってる。そんなことは最初からわかってるんです。」
「オイ、なまえ、」
「…でも、やっぱりやだ。他の人のとこに行っちゃ嫌です、先生。」




先生なんてあっさり切り捨ててやろうと思ったのに。
いざ目の前にしたらやっぱり好きすぎて、ぐずぐずと泣きながら未練タラタラに食い下がってしまった。
先生がどんな顔をしているかなんて確認する勇気もない。俯いた視界の端で先生が強く拳を握ったのだけが見えた。




「そう言うカワイー事言うのやめろって…」




どう言う意味で握られた拳だろうか。きつく握られた先生の手をぼやけた視界でじっと見つめていると、ため息とともに吐き出された先生の声。
生温い風に吹かれて揺れた、白衣を無意識にぎゅっと掴んだ。



「っ、なまえチャーン?俺の話聞いてた?」
「わ、かんな、いぃ」



ひぐりと喉が鳴って泣いているのがバレバレな情けない声で先生の冗談めいた声に返事をしたら私の頭を先生の大きな手が撫でる。



「泣くなって」
「無理、です。だって、私は、先生じゃなきゃ嫌だ…つりあわなくても、となりにいた「ちょっとストップなまえお前ほんっと、まじでさァ、」



まじでなんだろう。涙を流したせいでひりひりと痛み始めた目をしぱしぱとさせながら続きを待てば、先生はもごもごと何事か呟いた後、あ"ーと唸った。


ゆるゆると頭を撫でていた先生の手はするりと背中まで滑り、私が何かを考える間もなく、気づけば身をかがめた先生の腕の中に抱き寄せられていた。


え?なにこれ。


よくわからないまま、先生の肩の上に顎を乗せて丸まった先生の背中に手を回すとさらにぎゅうっと拘束が強まる。



…あれ、なにこれ。



「可愛いことばっか言うのやめてくれって。これでもすっげー我慢してんだから。」



え?なにそれ。