とある昼下がり。いつものごとく店内にお客さんが少なくなった頃、フラッとやってきた沖田さんはこれまたいつものごとく表に出した緋毛氈の椅子にどっかりと腰掛けてみたらし団子を食べて居た。
私はと言えば、ほかのお客さんも居なくて暇だったので彼の斜め後ろに立って道行く人を眺めながら沖田さんとお話し中だ。決してサボりではない。
「あ。そうだ。沖田さんに謝らなければならないことが。」
「何でィ」
「沖田さんがくれた電話番号の紙、レシートと一緒に捨てちゃいました」
「馬鹿だろ」
他愛ない話の合間にずっと謝らなければと思っていたことをさりげなく切り出せば沖田さんはこちらを
振り返る事なく馬鹿だろと吐き捨てた。
先週の木曜日まではちゃんとエプロンのポケットに入っていたのに気づいたらなくなっていたあの白い紙きれはいったいどこに行ったのか。魔法のように在るものが突然消えることはふつうに考えてありえない。考えられる事と言えば一緒にポケットに入れていたレシートと共にゴミ箱の中に捨ててしまったくらいだ。
反省はしている。だからもうレシートいらないですと言われた時に発行してしまったそれをとりあえずポケットに入れるのはやめようと誓った。
「ごめんなさい。あっ、でも馬鹿とかそういう事は仕事サボって団子ばっかり食べている愚か者の沖田さんにだけは言われたくないです。」
「ハァ?何言ってやがんでィ、こないだ助けてやっただろ。」
みたらし団子をもっちもっちと咀嚼しながら沖田さんは斜め後ろに立ったわたしを見上げる。くっ、上目遣いやめろ。無駄に顔だけはいいのだから。
団子を全て抜き去られた裸の串の先でブスブスと私の膝を執拗に攻撃してくる。容れ物が綺麗でも中身がこれではしょうがない。
ただ、彼がなけなしの親切心からわたしにくれたあの電話番号の紙を捨ててしまった罪悪感はあるので何も言わずににこりと微笑んでおいた。
あっ舌打ちされた。
「…こないだ、ね、」
「感謝しろよ」
こないだ、というのは先週の木曜日に起こった例の発砲事件の事だ。
坂田さんがお気に入りの木の棒でお咲ちゃんの彼氏(仮)を追い詰め、同時に意味深なセリフでわたしの心臓をぶっ叩いたその後の出来事である。
*
尻餅をついて動けないまま、坂田さんの冷たい視線に耐えかねた彼はしくしくとお先ちゃんへの愛を語り出した。
お咲ちゃんは天使だった。
自分なんかが一生かかっても手に入れられないくらい綺麗な生き物だった。
世界中で一番、清らかな女性だった。
と、まあとにかくべた褒めである。泣きながら。鼻水までたらしている。寧ろ穴という穴からいろんな液体が垂れ流しである。そんな大の男の情けない姿に坂田さんと一緒に困惑を隠せないでいると、聞こえて来たのはパトカーのサイレン。
おそらくは最初の発砲を聞いたご近所さんが通報してくれたのだろう。武装警察真選組の到着である。
『あ、あー、聞こえますかィ?…なんだこれ、スイッチ入ってんの?…あ、これ?違うか。チッめんどくせーな』
耳障りな共鳴音の後に間延びしたやる気のない沖田さんの声が拡声器を通して大きく店内に響く。拡声してはいけない悪態までバッチリと聴こえて、後ろの方で誰かが隊長ォ!!と騒いでいるのもかすかに聞こえたが、そんな事はどうでもいい。
『えーと、お前は完全に包囲されている、無駄な抵抗はやめなせェ』
全く感情のこもっていない声の後ろにガチャガチャと何かを弄っている音が聞こえる。ああきっとこの音は彼が大好きなバズーカの音だ。山崎さんがよく吹っ飛ばされてるアレだ。
ヒヤリとした汗が背中を伝った。
大泣きしながらお咲ちゃんへの愛を語る彼の耳にはパトカーのサイレンも、拡声器越しの沖田さんのやる気のない声も、こちらに向けられたであろうバズーカの音も届かないようだ。
「坂田さん。」
「チッめんどくせーことになったな。俺いちごパフェ食いに来ただけなんだけど。」
「坂田さん、このまま呼びかけに対して無視を貫くのは危険です。何か返事してください」
「…なんで俺が。お前がしろよ。」
「ええ?嫌ですよ!だって沖田さん私しかいないと分かったら絶対撃ってくるお咲ちゃんとか店長がいればまだしも私と犯人しか居なかったら絶対撃たれる。早く!坂田さん返事して!」
「残念だったな。そのメンツにおれが追加されたところで爆撃は回避できねーよ。大体誰が居ても撃つよアイツはそういうやつだよ。つーか俺はいちごパフェ食いに来ただけだってさっきから何回もいってんだろーが。」
「この状況でよくパフェとか言ってられますね。無理ですよパフェなんて作れない」
「あそう、じゃあ俺は裏口から帰るから。あとは頑張れ。」
「エッやだやだ困ります!そばにいて!」
じゃ、と手をひらひら振ったかと思えば、カウンターを軽々と飛び越えてバックヤードを目指す坂田さんの腕に慌ててしがみつく。
逃してなるものか。私も坂田さんも返事を返さないのであればあとはもうこの泣いている彼を宥めて事の顛末を話してもらうしかない。私一人で彼を宥めてるなんて無理だ。だって彼がお咲ちゃんから振られたのは私のせいみたいだし。
「うるせーななんだよ」
「煩くないです煩いとすればあそこでわんわん大泣きしている彼のせいです。お願い。行かないで坂田さん。責任持って最後まで助けて…」
行かないでください…と涙ながらに訴えて、抵抗を続ける坂田さんの腕に必死でしがみつく。なりふり構ってられない。全身全霊をかけて彼の退店を邪魔してやる。だいたいこの状況で私を一人で残して帰るなんてそんな薄情な話があるだろうか。いや、ない。
「ちょ、関係ないだろーが俺は。離せって、マジで…あ、ちょっと待ってまじ離してくんない?」
「離したら帰るから離しません」
「帰らないからまじ離してくんないまじで」
「嫌です坂田さんは嘘つきだから帰っちゃう」
「いやそう言うんじゃなくてまじで帰らないから本当に」
「帰るって顔に書いてあります」
「え?まじで?」
「ほらやっぱり!」
「いだだだだだ!もげる!腕もげる!その細腕のどこにそんな力が?!」
「おいお前らなにイチャイチャしてるんだ!俺のお咲ちゃんへの愛の深さ聞いていたのか?!」
「うっわすいません聞いてませんでした」
私が坂田さんとギャーギャー争っている間に少し立ち直ったのか、お咲ちゃんの彼氏(仮)はいつのまにか立ち上がって涙目のまま私と坂田さんの間に割って入ってきた。
涙と鼻水で顔がドロドロである。
私は慌ててそんな鼻水にまみれた手で触られてたまるかと坂田さんの後ろに隠れた。
「幸せそうにしやがって!」
カウンターに乗り上げて私たち、というか坂田さんに詰め寄る彼氏(仮)。
その手から流れるように後ずさる坂田さんに押されてあっという間に壁に押し付けられた私は彼の背中と壁の間にサンドされてしまった。苦しい。
甘いものばかり過剰に摂取しているくせに坂田さんの背中はとっても硬い。あと貧乏人のくせにいい匂いがした。お日様の匂いだ。
「いやいやー、おたくも十分幸せそうだけど?」
「幸せなわけないだろ!ふざけるな!」
そのからかうような口調に再び怒りに火がついたのか、ふざけるな!と叫んだ彼が坂田さんの胸ぐらをその鼻水の手で掴むのがショーケースの反射で見えた。かなりの勢いで掴みかかったように見えたが私を押しつぶす目の前の強靭な背中はびくともしなかった。
「幸せだろーが。相手の気持ちも考えずに勝手に盛り上がって、挙げ句の果てにフラれたら全部他人のせいって、充分幸せなオツムしてるじゃねーか」
「なっ!」
別に嗅ぐつもりはないのだが、呼吸をすると自然と鼻孔に広がる坂田さんの匂いにおばあちゃんの家のような懐かしさを感じながら、坂田さんと彼氏のやり取りを人ごとのように聞き流す。なんでもいいから早く沖田さんの方に返事をしてほしい。あと坂田さん重い。