パァン…
長閑な午後、甘味屋の店内にはおよそ似合わない乾いた音が鳴り響く。
…
……
……………?
音がしてからだいぶ時間が経ったが覚悟していた衝撃はいつまで待っても襲ってこない。痛みも何もない。
ひょっとしてこんなものなのだろうか。
死んだことないからわからないけれど。
本当に撃たれたの?
モデルガンだったとかそういうオチ?
そういえばパァンというあの乾いた音の直後、顔の前で風が凪いで、カウンターの上に乗せてぎゅうっと握っていた拳と拳の間に、カランと何か小さくて硬いものか落ちたような音がした気がする。あれはなんだったんだろう。
長い長い沈黙に耐えられず、硬く閉じた目をうっすらと開けてみる。
「俺ァいちごパフェ食いに来ただけなんだけど。…随分とまァ、物騒な事になってんじゃねーか。」
視界に映ったのはふわふわの銀色に輝く髪の毛。
カウンターの上に振り下ろされたのは坂田さんがいつも腰にぶら下げている木の棒だ。その木の棒が大事な大事なカウンターに若干めり込んでいる。
そして強く握って白くなったわたしの拳のすぐ隣には、ひしゃげた弾丸が虚しく転がっていた。
「さか、た…さん…」
「何してんのお前」
小豆色の瞳がちろりとわたしを見下ろして、そんな事を言い放つ。
それはこちらのセリフである。なにをしたんだ坂田さん。もしかして彼氏(仮)のピストルと弾丸、それから坂田さんお気に入りの木の棒で野球的な事をやったのだろうか。
そんな事あり得るの?
え?宮本武蔵?宮本武蔵なの?
そんなことより「何してんのお前」ってどういうことだ。なぜこの状況をみて私がなにかけしかけたと思えるんだ。わたしは何もしてない。わたしがしていた事と言えばいつもと変わらない、ただの店番だ。何かしていたのはカウンターの向こうで唖然としているお咲ちゃんの彼氏(仮)であることは火を見るよりも明らかだ。
言い返したい事はいろいろあった。
だが恐怖と緊張で口の中はカラカラで、思い描いた言葉は音になる事なくパクパクと口を開いたり閉じたりするだけに終わってしまう。
そんなわたしの様子を見た坂田さんの目に、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ慈しむような、そんな色が混じったような気がして、ドクンと心臓が跳ねた。
えっ、なにその顔。
見たことない。
わたし坂田さんがそんな顔してるとこ見たことない。
じっと顔を見上げたまま動きを止めたわたしの頭の上に、大きくて暖かい、坂田さんの手がぽんと乗ったかと思えばそのまま三角巾に包まれた頭をぐりぐりと撫で回す。
「〜っ」
その力が強くて、
それからなぜがぽかぽかと熱くなり始めた赤い頬を隠したくて、ちょっとうつむいた。
なんだこれ。
なんだっけ、今なにしてたんだっけ。
なんでこんな事になってるんだっけ。
ていうか
坂田さんって、
こんなに、
「おい!な、なんだお前ら!イチャイチャしてんじゃねーぞ!!!」
しばしの沈黙の後、ごもっともとしか言いようがない主張を大声で叫んだお咲ちゃんの彼氏(仮)は、呆けていた顔を怒りで引きつらせて再び拳銃を構えた。
「チッ」
小さな舌打ちと共に私の頭から離れていった坂田さんの手は今度はガシガシと自分のふわふわの頭を掻いている。
なんて気怠げな態度だ。銃を私が銃を突きつけられているとわかっているのだろうか。
「オイオイちょっと落ち着けよ、何怒ってんだ?草餅売り切れだったのか?」
「違います坂田さん草餅売り切れてないです」
いつのまにか先程まではカウンターにめり込んでいた坂田さんお気に入りの木の棒はいつもの定位置、彼の腰に戻っている。
ええ、それしまったら私死んじゃう。お咲ちゃんの彼氏(仮)の銃口は未だにしっかりと私を捉えているのだから。
そういえば何なんだろうあの坂田さんが無駄に気に入っている木の棒は。いつも腰からぶら下げてるけど。よく見たら刀みたいな形してるし木刀なの?このご時世に?木刀?あっ、ライナス?ライナスなの?ライナスでいう毛布みたいなこと?精神安定剤なの?
緊張感のない坂田さんのせいで私まで余計なことを考えてしまう。銃口の先に立たされているのは私なのに。これでもし私が死んだら坂田さんを恨む。
「じゃあ何、なんで怒ってんのこの人。何が売り切れだったんだよ。」
「違います坂田さん何も売り切れじゃないです別に欲しい商品がなくてブチギレてるわけじゃないです。」
「そうじゃねーなら何したんだお前。でもはるこが失礼なのは今に始まった事じゃないだろ」
「違います坂田さん別に私が失礼な事したから彼はブチ切れてる訳じゃないです」
「チッじゃあなんなんだよめんどくせーな。めちゃめちゃキレてんじゃん。売り切れでもないならなんなんだよ。俺ァてっきりとうとうお前がやらかしたのかと思ったわ」
「ちょっと私の仕事ぶり舐めないでもらえます?めちゃめちゃ愛想良い看板娘ですけど。」
「エッ俺お前が愛想よくしてるとこなんて見たことないけど」
「エッだって坂田さんは愛想振りまかなくてもどうせまた来るからいいんです。甘味中毒ですもんね。甘味が切れると手が震えるんですよね。可哀想。」
「オイしばくぞ貧乳」
「黙れプー太郎」
「違いますゥ万事屋ですゥ」
「まじムカつくんですけど一発だけ殴らせてくださいおねがい」
「そんな事よりお客様をなんとかしろよほら見てみろめちゃめちゃ怒ってるぞ。俺はイチゴパフェひとつな。あんたは?草餅?よかったな草餅まだあったぞ」
「だから草餅じゃないっていってんでしょあんたが余計に怒らせてんですよ」
「お、おおおお前ら状況わかってんのか!!!」
叫び声にも近い声。
坂田さん越しにお咲ちゃんの彼氏(仮)の姿を視界に捉えた。ゆっくりと坂田さんに合わせていたピントが彼の後ろ、銃を握った男の手元に合っていく。
あっ、これ死んだ。
彼の指先に力が入るのを確とこの目で見届けた私は坂田さん呪ってやると思いながらぎゅうっと目をつむる。
次の瞬間、パンパンと立て続けに先程聞いたのと全く同じ破裂音が店内に響いた。続けてゴトッと何か硬くて重いものが床に落ちる音。
ただやはり、待てども暮らせど撃たれた痛みは襲ってこなくてうっすらと目を開けば、目の前には私を庇うように立ち位置をずらした坂田さんの広い背中。
「だから、落ち着けって。何だってそんなブチ切れてんのかは知らねーが、コイツ殺されると困るんだよ」
床には先程までお咲ちゃんの彼氏(仮)が手にしていた拳銃が叩き折られて転がって、腰に差していたはずの坂田さんの精神安定剤、お気に入りの木の棒は尻餅をついて唖然としている彼氏(仮)の鼻先にぴったりと突きつけられていた。
もう何が何だかよくわからない。
坂田さんのセリフもドキドキと鼓動を早めた私の心臓も全部含めてよくわからない。