3日目

補習3日目。
今日も、国語準備室に私は居た。


何となく気まずいかも、なんて思いながら扉をノックしたけれど、私を出迎えた銀八はいつもと何ら変わらなくてやっぱり大人は卑怯だと思う。



職員室に忘れ物をしたと、先生が出ていってから数分。テストの用紙とか、成績表とか、きっとみてはいけないものがたくさんあるこんな部屋に生徒だけを残して行くなんて、
こんなところ見つかったら絶対銀八は大目玉を食らうに違いない。



ここは一階。
そしてグラウンドに面した窓際に銀八の席がある。
窓のカーテンは、開いている。



丸見えだ。
必死に白球を追いかける野球部は別として、万が一にも校長が通りでもしたら大変だ。


仕方ない。
閉めてやるか。
先生のために。


そう思って古びたパイプ椅子から腰を上げた、その時である。


バチリ、
そういう効果音がぴったりなくらい見事に、窓の外に居た人間と、わたしの視線がかち合う。



あ。まずい。




「あれ、なまえじゃねーか」



窓の向こう側からこちらを見つめ返すのは、歴史担当の服部だ。
パクパクと口が動いて、別に読唇術なんて心得てないわたしでもなにを言っているかわかる。なまえ、と確実にわたしの名前を口にした。


…いやでも勘違いかも。
似たような言葉なんてたくさんあるし。うん。ていうかこっちみてんのかなほんとに。前髪長すぎてどこみてるかわからないけど。みてないんじゃない?気のせいじゃない?



そんな現実逃避も虚しく、窓辺に歩いて近寄ってきた服部先生は、たとえ前髪で目が見えなかったとしても疑う余地がないくらいしっかりわたしを見据えていた。




「こんにちは」



仕方なくガラリと窓を開けて、近づいてきた先生に挨拶。まあ別に、校長じゃなければ良いや。何だかんだ言って服部は銀八と仲が良さそうだ。なんか2人ともいつもジャンプ読んでるし。



「え?なにお前、なにやってんのそんなとこで」
「涼んでます」
「涼んでるってお前そこ、え?なにやってんの?」
「涼んでます」
「国語準備室だよねそこ、え?なにやってんの?」
「先生うるさいしつこい近いですあんまり近寄らないでください感染るから」
「感染る?感染るって何だまさか痔か?痔の事いってんのか?え?感染るの?まじで?」
「補習してるんですよ、ここで。涼しいから。」



適当に相手していただけなのに、だとしたら俺は誰に感染されたんだよ…なんて言いながら何かを数えて指を折はじめる服部。なんとも面倒な男だ。



「感染りませんから、嘘ですから」
「知ってるよ大人舐めんなよ」
「先生はなにしてるんですか」
「仕事だよ、一昨日も昨日も今日もそして明日も明後日も。良いよなお前ら学生は夏休みがあって。適当に学校来て適当に授業受けて適当に学生生活を満喫してるだけで一ヶ月も休みもらえるんだから。なんの褒美だ?なんの褒美でそんな休みが貰えんだ?どんな良い事してんだお前らは」
「先生めんどくさい。第一わたしは勉強しにきてますよ」
「どうだかな、どうせ銀八に会いにきてんだろ」




どうせ、銀八に。
会いに。


突然投下された爆弾発言にどきりと心臓が不穏に脈打つ。
何の気なしに言った言葉かもしれない。ほんとに真面目にただ補習を受けにきていたなら、やだもー先生キモーイって受け流せるくらい自然な流れで。



でもその言葉を聞いた瞬間、確実にわたしは、何故それを…?という顔をしてしまった。
そして、気づくのだ。教師というのはこういう微妙な表情の変化に。
意外にもこの服部という男はそういう生徒の表情の変化に敏いという噂がよくきこえてくる。


動揺を悟られないように。
真意を突き止めようと先生をじっと見るけれど長い前髪が邪魔で表情がイマイチわからない。



「冗談やめてくださいよなんで私がこんな暑い中、余計暑くなる暑苦しい天パ見に来なきゃいけないんですか」
「いやいやだってこんな、国語準備室まで押しかけといてそれはないだろ」



よかった…どうやらわたしの気持ちがバレているわけではなさそうだ。
先生はわたしが国語準備室にいるのを見て、銀八に会うために押しかけたんだと勘違いし、そしてあんな発言をしたのだと、そう解釈してもよさそうだ。


「ぶっぶー残念ハズレ。押しかけたんじゃないです、先生に連れて来られたんですよーだ。」
「…え何、連れ込まれてんの?それはそれで問題だろ」
「内緒にしててくださいね、だってあの灼熱の教室で補習なんて絶対できない」
「別にいいけど、え?まじで連れ込まれてんの?」
「…連れ込むって言いかたなんか嫌なんですけど。」
「連れて来られたんだろ、だって。」
「ええまあ。連れて来られましたけど。」
「じゃあ連れ込まれてんじゃねーか。別にいいけどこんな誰も来ない準備室なんかにのこのこついて着て取って食われないように気をつけろよ。男なんて結局みんな狼なんだからよ。」
「ちょっと、俺の可愛い生徒に余計な事吹き込むのやめてくんない?」




銀八にそんな気があるようには見えない。
お前と一緒にするなこのエロ教師。
そう思いながら、はぁ。と曖昧な返事を返す私の頭に、そんなセリフとともに突然ずしっと重みが乗った。
見上げれば、いつの間にか銀八が背後に立って右腕をしっかりと私の頭に乗せて居る。




「あ、先生」
「お前もさァ、はぁ。じゃねーよ。もっとこう、銀八先生はそんな人じゃありません!とか言えないの?」
「そういう人かもって思ったって事だろ。」
「そんな事思うワケねーだろ」
「こんなところに連れ込んでおいてよく言うぜ。可愛い生徒にナニする気だ」
「ちょっとお前マジで黙っててくんない300円あげるから」
「300円で誰が動くんだよ」
「いーや動くよお前はそういうヤツだよ俺ァ知ってるよ300円で動く男だお前は」
「動かねーよ、ななまえ」
「いや知りませんけど」
「動くだろ、ななまえ」
「だから知らないって、ていうか頭に腕載せるのやめてください重たい」



重たいっていうか近くてドキドキするから。
軽く頭を振って腕から逃れようとする。
心臓がもたない。



「だってちょうどいいところにあるから。逃げんなよ。」


自分の腕で先生の腕を払いのけて大きく右にずれて距離を取ると銀八は不服そうな顔。


「…なんですかその顔」
「別にィ、なまえちゃんがこの切れ痔の言う事信じて先生のことめちゃめちゃ警戒してるから」
「警戒なんてしてません」
「嘘こけめちゃめちゃ距離はかってんじゃねーか」
「は、はかってません」
「はかってんだろーが、戻ってこい」


じっとやる気のない目で見つめられて、無言の圧力。仕方なしにじりじりと開いた距離を詰めると再びたくましい腕が頭の上にズシリと乗った。
惚れた弱みだ。これは。
そんな風にじっと見つめられたら断れるわけがない。


重いなぁなんて思いながら、鼻から吸い込む空気はすぐ隣にいる銀八の匂いでいっぱいだ。
きゅうっと胸が痛くなる。
ああ。もう。早くどけてくれ。



「ほらセクハラしてんじゃねーか」
「ハァ?どこがセクハラだよ」
「嫌がってる女子生徒の頭を触りまくって、立派なセクハラだぞ気をつけろなまえコイツはとんでもない変態だからな」
「だからそう言う事言うのをやめろっつってんだろーがだいたいお前人のこと言えんのか変態はどっちだコノヤローなまえ気をつけた方がいいのはコイツの方がたらな」
「俺は抵抗できないの女生徒の身体を無理やり触ったりしない、俺は合意がない相手とはしないから、ななまえ」
「その言いかたやめてくれません気持ち悪いんですけど。ななまえとか言われても知らないんですけど。服部先生の性癖なんて微塵も興味ないです気持ち悪いです近づかないで。」
「ほれみろ。これはただのスキンシップですゥ、いちいちそう言うエロい目で見てるお前の方がよっぽど変態だろ、なーなまえ」
「知らないですってもう。どっちが変態でもどうでもいいですていうかどっちも変態ですよ男なんてみんな変態なんでしょ」



心臓がもたないから、早くどいてほしいなぁ。とか思いながら。
でもきっとこの腕が離れてしまったら、わたしは残念な気持ちになるのだ。

触っていてほしいけど、触らないでほしい。
近くに居たくないけど、遠くには行かないでほしい。
わがままなのはきっとわたしがこどもだから。


頭の上で言い合う大人の馬鹿らしい喧嘩を聴きながら、
もうちょっとだけならこの体制のままでも良いかもなんて、思う私は適当に相槌をうってグラウンドの野球部を眺めた。