5日目

「浴衣着たのか」



先生、と言いながら駆け寄る私を見た銀八は私の頭に鎮座するふわふわのお団子を指でつつきながらそう言った。


先生の動きに合わせてチャプン、と左手のあたりから液体が揺れる音が聞こえる。水…?と一瞬音の方に視線をやるけれど、暗くてよく見えなかった。何か持っているのはうっすらわかるが、何を持っているのかは分からなかった。
鳥目なのだ。
慣れるまでにだいぶ時間がかかる。
一階の国語準備室からここまで、暗い廊下を歩いてきた銀八はきっとすっかり暗闇に慣れているのであろう。お団子への正確で繊細な攻撃がそれを物語っている。



「妙ちゃんが持ってきてくれたんです、どうですか?」
袖を持って広げて見せるとあごに手を当てた銀八はその様子を見ながら「うんまあ、浴衣って寸胴の方が似合うからな」と言った。
「ホント最低先生セクハラですよ」
「ジョーダンだよジョーダン、似合ってるよ。よく見えねーけど」
「やっぱり服部先生の話いう通り、先生はそんなことしか考えてないセクハラ教師です」
「違う違う」
「違わないですよね」
「違うって俺が変態なんじゃなくて男はみんなそうだから」
「そんなことないです、山崎くんとか絶対違います。あ、ていうか臭!先生お酒臭い!」



チャプンと揺れた液体の正体はどうやらお酒だったようだ。違う違うと首を振った銀八から漂ってきたのはいつもとは違う匂い。
少しだけ暗さに慣れてきた視界にぼんやりと映ったのは良くコンビニなんかに陳列されているカップ酒の姿が見える。
まったく、校内で飲酒とはとんでもない教師である。



「いンだよ、勤務時間じゃねーから。大体なァ花火大会っつーもんは暗闇で男女がしっぽりしけ込むか、酒飲んでどんちゃんやるための祭りなんだから、飲まないでどーすんだ。」
「違うと思います先生最低です」
「違くねーよお前あれだよ?祭りの会場なんて行って見ろ、あそこは酔っ払いと発情期の男女しかいねーから」
「ほんと最低です先生、ほんとに最低です」
「おいそんな汚物を見るような目でみるな」
「汚物ですよね世間のゴミですよね」
「違うから、一応先生だから俺、聖職者だから。」
「ハッ、生殖者の間違いでしょ」



そう吐き捨ててそっぽをむけば、
なまえちゃーん、とふざけたように私の名前が呼ばれて目の前でひらひらと銀八の手が揺れた。




「怒んなって」
「怒ってないです別に」



そんなやりとりをしながらまた階段を登りだす銀八の後に続いて一緒に階段を登る。
屋上にいくのだろうか。何をしに?




「先生、どこ行くんですか」
「どこって、屋上に行くにきまってんだろーが」
「だって屋上はダメだってバカ校長が。」
「知ったこっちゃねーよ」



チャリと音をたてて先生が私の目の前で振ったのは小さな鍵。なんの鍵か知らないが、この状況で取り出したのだからきっと屋上の鍵なのだろう。



「鍵開けてやるから、あいつら呼んでこいよ」
「え…いいの?」
「へーきへーき、どうせ教室で見ようが屋上で見ようが何かあった時に責任とって腹切る役目はあのバカが背負ってるから」



私より一段高いところを歩いている先生は私を見下ろしてそう言って、チャリチャリと得意げに鍵を揺らす。
いや、だって。教室で見ると決まった時、全責任は銀八が負うって条件付だったと思うのだが。
確かに屋上で見られたらみんな喜ぶし、私も嬉しい。でもそれで銀八に迷惑がかかるのであれば、それは本意ではない。そう思うのはきっと私だけじゃなくて、Z組の誰もがそうだ。なんだかんだ言ったってみんな先生が好きだから。


うーん、と唸りながら一向にみんなを呼びに行く気配を見せない私にしびれを切らしたのか、立ち止まった先生は、誰が責任取るとか、そう言う事気にしすぎだオメーは。と言ってポンポンと私の頭を叩いた。



「痛っ」
「あ、やべ」



この頭ポンポンは銀八の必殺技だと私は思っている。
これをされるとときめきの嵐で私は確実に死ぬ。
でもそれはいつも、普通に学校生活を送っている中での話であって、今日みたいな日は違うのだ。



いつものように頭の上で跳ねようとした先生の手は、いや、手というか袖は、浴衣に合わせて頭の上で作ったふわふわのお団子に絡め取られた。ついでに先生の中指に引っかかってチャリチャリと音を立てて居た屋上の鍵も私のお団子トラップに例に漏れず絡め取られたようだ。
大して焦った様子もない銀八の、あ、やべ。という声が妙に大きく聞こえた。
屋上へつながる大きな窓ガラスは本当に目と鼻の先だ。あとは鍵を開けて、みんなを呼んでくるだけ。
それだけなのに。



「あーあー、引っかかってらァ。ちょっとこれ持っててくんない?」
「うん、」



ほい、と差し出されたお酒を受け取って、首を動かさないようにただじっと待つ。
目の前で先生のいちご柄のネクタイが揺れる。
可愛い。こういうところも好きだ。
頭の上からなんだよこれ…と呟く先生の声を聞きながら、私の心臓が静かに鼓動を早める。



あ。無理かも。
なんか、
緊張して来た。




あと何分で始まるかな。
あんまり帰りが遅いと、妙ちゃんたちが心配するかな。
いろいろ考えを巡らせて、気を紛らわそうとするけれど、どうにもこうにも、一度加速したらなかなかおさまらないのが恋する乙女の心臓の特徴なのかもしれない。
じわりじわりと頬があつくなる。



だってこんなに近くで、こんな風に髪を触られて。
枝毛とかないかな、臭くないかなとかもう意識は全部先生の方に向かってしまって。
なんか最近、こんなのばっかりだ。
昨日もこうやって先生が私に触れてた。
わたしの涙を拭った、先生の優しい手を思い出して心臓が痛くなる。



何してるんだわたしは。