暴かれた狂気
"あなたは、誰?"
その女、槐は、意思の強そうな瞳で、真っ直ぐにこちらを見た。ひやりと、心臓あたりが冷えるのを感じた。
「誰って……やだな。"俺"は、晴臣だけど」
誤魔化すように告げるが、上手く笑えただろうか。顔が、少しひきつっている気がする。
「違うわ。あなたは、晴臣さんじゃない」
きっぱりと断言するそのただの人間に。ただぬくぬくとこの世界の恩恵を受けて生きてきたその人間に。邪魔をされるのか。
「じゃあ、誰だって言うの?」
「それを、訊いているの」
強い瞳は、引くことをしない。馬鹿だなぁと、晴臣なら絶対に作らないであろう薄い笑みを浮かべる。
「それは……"僕"が訊きたいな。槐さん?」
最早取り繕うことを止めた姿に、目の前の人間は、一瞬だけ恐怖を瞳に宿し、目を見開く。
「ねえ、この世界の人って、自分が"殺されるかも"って、考えないで生きてるの?」
目の前で問い詰めていた存在を、階段の方へ突き飛ばす。派手な音を立てて階下へと転がり落ちた女は、呻くように声を出した。ゆっくりと階段を下り、女の近くに屈む。頭を強く打っているのか、大分血が流れている。これなら、特にこれ以上何もしなくても、このまま事故死ということで大丈夫かもしれない。
「叫ばなかったことは誉めてあげようか。あんな場所で誰かを問い詰めちゃ駄目だよ? つい、手が滑っちゃった」
それでもなお、あなたは……誰、と、言葉を発しようとする槐に、うん、と頷く。
「"僕"はヴァーミリオン。大丈夫だよ、貴女を殺したのは、貴女の愛する晴臣さんじゃないから」
朦朧としているであろう意識に、その言葉は届いただろうか。最後に"守詩くんは……"とだけ呟いて、槐は、動くことも言葉を発することもなくなった。
しゅうた……か。と、最後に槐が呟いた名前を反芻する。夫妻と共に花屋を営んでいた店員。これからは2人で店をやることになるのか。彼も、鋭そうな顔をしていた。晴臣の記憶を探り、うんざりとする。少し、面倒なことをしてしまったかもしれない。
まあ、なんとかしてみるかな、と、立ち上がる。やってしまったことは覆せない。とりあえず、この体に晴臣の意識が戻る前に、花屋を離れよう。第一発見者は晴臣かなあ、守詩かなぁ、とのんびりした気持ちで。動かなくなった槐の横を、通りすぎた。
ふと思い出して、振り返る。
「最後に、言い訳をさせてもらうなら……」
"本当に、殺すつもりはなかったんだよ"
と。どこかで良く聞くこの世界の人間のような言葉を口に出して、なんだか可笑しくなって、笑ってしまった。
...end
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