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泣き出す手前の空と彼


 空が、泣きそうだ。

 どんよりと曇った空に、そんなことを思った自分に、守詩は少し寒気がした。いつから自分はこんなに感傷的な人間になったのか、と眉をひそめる。

 花屋の裏手『アンジェリーク』と立て札の建った駐車スペース。その一角にバイクを停め、ヘルメットを脱いで、ふと、空を仰ぐ。いつからか、あの人がそうする事が増え、つられるように空を見るようになった。

"空、綺麗だねぇ"

 アンジェリークという名の花屋の店長、晴臣。彼とはそれなりに長い付き合いだが、その、見たことのなかった無邪気な笑顔に、何故だかひやりと、背筋が冷えた。
 忙しなく動き回る、見慣れた姿の知らない表情や行動に、大切な存在を失うというのはこういうことなのかと、ひどく、胸が痛んだ。

 手代木晴臣、槐夫妻が営んでいたアンジェリーク。自らにとって救いだった筈の場所は、ある日突然、槐というたった1人の人間の喪失によって変わった。以来、何となく感じる違和を上手く消化できないまま、誤魔化すように過ごす日々。就業時間より早く店に来るのは昔からの癖だが、早めに入って他愛もないやり取りをしていた時間はもうなく、店の駐車場でただ、ギリギリまで時間を潰す。

 そろそろ時間だろうか、と。深めのため息を吐き出し、おはようございます、と店の扉を開けた。

「あれ、おはよう、守詩。ギリギリなんて珍しいね?」

 え、と顔を上げる。いつものエプロン姿の晴臣が、仕入れた花の余分な葉を剪定していた。ふんわりと穏やかに笑う顔に、目を丸くする。そのまま作業に戻る動きも、かつては見慣れた、今は見慣れない、ゆったりとした余裕のある動作。

「店、長……?」

 問い掛ければ、ん? と振り返る。そのまま言葉を発しない守詩を見て、怪訝そうにする。

「どうかした? 具合でも悪い?」

「いや、え……? 本当に、店長、っすか」

 我ながらどうかしている質問に、相手は少しばかり硬直して、そうか、と何か納得したように頷いたあとで、笑った。

「他に誰が居るの?」

「そーっすよね……」

 可笑しそうにしているその姿に、なんだか、いたたまれなくて、顔をそらす。

「……ごめんね、守詩」

 消えそうな、絞り出されたようなその声に、え、と顔をあげる。晴臣は、申し訳なさそうな表情を作って、腕時計をかざした。

「そろそろ、配達いかなきゃ。これ、終わってないんだけど、任せていい?」

 まだ剪定が終わらない切り花を指す。返事をする間もなく、晴臣は裏口へ向かう。

「じゃ、いってきます」

 ひらりと手を振った相手に、いってらっしゃい、と、上手く言えただろうか。鼻の奥が痛くて、目が熱くなった。

 何となく。

 次にここに帰ってくる晴臣は、もう今の晴臣ではないような気がした。

...fin


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