3月。
暦の上では春だというのに肌寒く一肌が恋しい時期が続く。こういうとき重宝するのが湯タンポの彼だ。慢性的な冷え性が改善されない私にとっては神の救いに等しい存在。
「で、今日も来たんか」
「だって最低気温5度だよ。寒い寒い」
「暖房入れれば良いだろ」
「乾燥するのヤダもん」
「めんどくせぇ奴」
悪態は彼の挨拶なのでさほど気にすることもなく布団に入り込む。もちろん勝手に。ベッドに寝転びスマホで動画を見ていた彼にヒンヤリとした爪先をピトっと付ければ嫌がられた。
「まだ寝ないの?もう11時になっちゃうよ」
「これ見終わったら寝る」
「そう」
彼の胸に鼻を埋めて甘い香りを堪能しながら眠りにつく。トクン…トクンと腕枕から聞こえる穏やかな心音が体を弛緩させる。スマホを持っていた手が私の頭を撫でた。
もっと温もりが欲しくて手を彼の服の中に突っ込む。それはさすがに全力で睨まれた。じゃあ脇の下にしようか、そこだったら体温が高いからもっと温かい。
やっぱり睨まれるけれど怒られても私は温もりが欲しいから諦めない。だって、身体が冷たいと布団に入っただけじゃ自身の熱で暖をとるなんてできないから。
「はぁ……抱き締めてやっから大人しくしろ」
「ふふ、ありがとー湯タンポくん」
「さっさ寝ろ氷嚢」
失礼な、そこまで冷たくはないはずだ。と言ってもあまり説得力はないだろう。抱き締めて撫でる手にトロンと睡魔に誘われていく。
パチパチ…ダンダンドドドドッッドン!
『スティーブ!!』
『ヴァあ"あ"あ"ああ"あ"あぁ"っあぁぁ……』
「ヒィッ!!?」
突然聞こえた普通ではない叫び声にこちらも上ずった悲鳴が出る。微睡んでいたにも拘らず覚醒してしまった。断末魔の正体を辿れば勝くんのスマホで再生されていた洋画だ。
しかもただの洋画ではない。これは…紛うことなきホラー…ビックリ系ではない精神を蝕んで疲れさせる最恐の…
「な、何観てるのよ…ッ」
「ヘレディタリー」
「ムリッ!!!」
祖母の死から始まった不可解な死の連鎖。
頭部が失くなった妹、焼死した父、中年女性の奇行、首を自ら落とす母……度々聞こえる、死んだはずの妹の…癖でしていた舌鳴らしの音に気が滅入る。耳を塞いでも聞こえてくる荒んだ叫びが私のメンタルを削っていった。
「ヤダヤダヤダヤダッ見るならイヤホンしてよぉ〜ッ、というか寝ようよ」
「だりぃ、観る」
「こんなんじゃ寝れないっ」
「なら部屋に戻りゃいいじゃねぇか」
「怖くて戻れないのよ!バカツ!」
視えるものは怖くないけど、心霊現象やオカルトの類いのものは視えないから怖い。理解できないものに恐怖や違和感を覚えるのは当たり前だ。
"しんり"は真の理は知ってるけど、それは存在するモノだけなんですぅッ!幽霊は存在するモノと認識されなくて視えないの!!
観たくない聞きたくないのだったら部屋に戻れば良いけど、今の私にはできない選択肢だ。あんなのを観せておいて暗くて寒い道のりを帰れというの?鬼畜の所業だ。
来るんじゃなかった。後悔先に立たずだ。語気の荒い英語と床がギィとなる音、不気味なBGM。
『う"わぁ"っ!鼻がッ!』
「ん"〜ねぇっ…………ぅん"〜〜」
「……ハッ、相変わらずビビりだな」
「何で寝る前にそんなの観るのよ…夢に出てきちゃうじゃないッ」
勝くんの趣味はわからない。寝る前にこんなに怖いホラー映画を鑑賞するだなんて何が楽しいのだろう。寝る前の日課だと言っているのも頭がおかしいと思う。
私と一緒に寝るとき今までそんなことなかったじゃない。それが今になって出てくるだなんて…
「……気を遣うなら、私の前では一生ホラー観ないでいてほしかった………」
「たまにゃお前そういう顔みてェからな」
どういう顔よ、と心の中での突っ込む。彼には聞こえないけれど、スマホの画面を切りこちらに意識を向けたことで暗いながらも顔は見えているはず。
「気が強ェお前が唯一苦手なお化け類いで震え上がる顔」
「悪趣味」
「かわいーンだからしゃーねェ」
左の口角を上げながら笑う、意地悪め…怯える顔が可愛いだなんてサディスティックが王道を行きすぎていて不安になった。
悪かったと言うように頭を撫で、一定のリズムで背中を擦る。それでもホラー映画を観る前の穏やかな眠りはやって来ない。
赤い瞳を睨み付け悪夢をみたら明日のインターンでボロクソに扱ってやると内に秘めた。
「勝くんのバカ、嫌い……バカツ……」
「あークソおもれェ。怖いのが嫌いなシオンちゃんには俺がついとってやるよ」
「ほんっっっっっと嫌い」
この後眠りについたのだけれど悪夢をみたのは言うまでもない。怪奇現象に怯えて動けない私はその場でうずくまってひたすらに救けが来るのを待った。
そこに来たのは幽霊までもを爆破してみせた勝くんだったけど……私の恨みはきっと幽霊よりも怖いから覚悟しておきなさい。
*
*
「別にね、あなたの趣味を否定してるわけじゃないわ。引くぐらい怖い話みてから寝るの日課なんでしょ?いずにも聞いたし。でもね、私はビックリするくらいそういう類いが大っ嫌いだから音が出るのはイヤホンしてほしかったのよ。しかもさぁ画面が観えるようにしてわざと音も大きくしたでしょ?面白がるためにそういうことするだなんて趣味を疑うわ。湯タンポってね、朝になったら冷たくなっちゃうの。カイロは低温火傷しちゃうし暖房は乾燥してウイルスに感染しやすくなる。人間の体温を一番効率的にあげる方法は人肌なのよ。足湯とか運動よりも、裸で抱き合うのが効率的だって実証されてる。だから私は暖をとりにあなたの所にお願いしに行ったの。ところが何で肝を冷やさなきゃ行けなかったのかしら。嫌なら今度から耳栓でもして寝ろって?それならもう絶対にあなたの部屋には行かないし轟くんのところにお願いしに行く。何か言うことは?」
「……悪かった」
「シオンちゃん怒らせたら怖いよねぇ。正論ばっかりだから言い返せないんだよ」
「俺はいつでもいいぞ環心。左側なら暖けぇ」
「テメェは黙っとれ半分野郎ォ…」
彼女は恐い。
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リクエストいただきました『ヒロインちゃんの苦手なもの』について。合宿でも耳郎ちゃんと話していましたが怖いのはムリぃ。(私も)
なのにカッチャンは寝る前に怖いの見るそうですね(すまっしゅ参照)。そこだけは一緒に楽しめないようです。
彼女のか弱い一面みたかったんだよ、たぶん。
ヘレディタリーは仕事の関係で今夏みたんですけどむっっっっっちゃ怖かった。付き添いでも観るもんじゃねぇ。
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