憂事というもの

ビルボード翌日、夕方。


「明日って寒いかなー?」

「寒ィ」

「じゃあ明日は自家発熱インナーの出番だ」


早めの入浴を済ませて自室に戻ると、ベッドに我が物顔で寝転ぶ勝くんがいた。最近では珍しくないため放置をするが、スマホを見ていると見せかけてこちらを監視している。


「共有スペース行かないの?」

「だりィ」

「そう。じゃあ私、後で下に行くから」

「行く」


手のひらを返したように返答を変えた彼はベッドから上体を起こす。反動つけないで腹筋だけで起き上がる所はさすがだと思う。


「スマホばっかりって珍しいね」

「ニュース見とった」

「昨日のランキングとか?……ほぅ、エンデヴァーとホークスが街ブラ…ねぇ」


勝くんが開いていたSNSには、エンデヴァーとホークスが福岡中心街をパトロールしている記事があった。

昨日ランキングが発表されたばかりで、新トップ2が揃って街を歩いているなんてそりゃもう注目の的だろう。

ホークスが飛ばずにパトロールしているのも珍しいから、ここぞとばかりにサインを求められ…ファンサービスも大変だろうな。エンデヴァーは苦手だろうなぁ。


「覗くンじゃねェよ」

「エッチなの見てるのかと思った」

「ズリネタが目の前いンのに必要ねェだろ」

「どっちにしろエッチじゃん、変態」


上から覗き込んでいたのを引っ張られて、彼の足の間へストンと落ち着く。距離が近いなぁとは思うけど、彼が私の部屋にいるのはこれが目的なんだろうから多めに見てあげる。

付き合い初めてから彼は私に触れている時間が多くなった。それはもちろん自室限定なんだけど、勝くんの足の間が私の定位置になりつつある。後ろから抱き締めるのが好きみたい。


「勝くんさぁ…ファンサちゃんとできないとダメだよー。ジーニストのところで子ども泣かせたんでしょ?」

「ンで知っとんだよ」

「企業秘密でーす」


入学してから丸くなったとはいえ、まだまだ心が狭い彼はファンサービスとかできるのかなぁ。なぜか子どもたちに絡まれる…良い言い方をしたら人気があるから爆破で脅すようなことはしてはいけない。


「意外と真面目くんだから………まぁ、大丈夫か」

「うっせェよクソスクエア」


二人でひとつの画面を覗き込みながら、温もりをシェアする。お風呂上がりの私の体温は高い。


「シオン」

「ん?……、ッ」


名前を呼ばれて振り向くと不意打ちのキス。驚く間もなく顔を固定された。連動が円滑すぎる。

味をしめたと言わんばかりに彼はキスをする。


「……慣れてるよね」

「やりゃできンだろ」

「年上の彼女がいただけあるわ」

「は?おらんわ、ンなもん」


私の記憶違いだろうか。中学2年のいつだったかは覚えてないけど、勝くんの取り巻きの指伸びる子が騒いでた。

"勝己が年上とキスしてた"

噂に尾ひれが着いて彼女とキス三昧だとか、童貞卒業しただとかあったけど……事実無根?それじゃあ彼の玄人感を滲み出させた、この落ち着いたキスは才能とでもいうのだろうか。


「おめェが初めてだわ」

「いや、照れながら言われても……私のファーストキスはお父さんだ」

「家族はノーカンだろッ」

「じゃあ……、いず…かな?」

「あ"?!?アイツ殺すッ!」


父を除けばキスをしたのはいずと勝くんという昔馴染みの二人だ。いずとは幼いときにキスしてる写真が残ってるし…たぶん最初かな?

逆に彼は、私に彼氏がいたことがなくて、キスもしなかったとでも思っているの?いや、実際そんな事は皆無だったんだけどね。

ファーストキスはいずと、の発言に怒った彼は火花を散らしながら立ち上がる。突然立ち上がったから、彼の足の間にいた私は床に両手膝をつく形で落とされた。地味に痛い。


「……痛いんだけど」

「クソデクはどこだ」

「もぉ……下にいるんじゃない?」


ドシドシと足音が聞こえそうなくらい乱暴な足取りで部屋を出た勝くん。こりゃストッパーとして彼を止めないとなぁ。

仕方なく彼の後をついて下へ行くことにするけど…ゾクゾクっと鳥肌が立った。


「…なに、この感じ……エンデヴァー…?」

「何言っとンだ」

「…空気がピリッとして冷たい感じが視えて…」


エレベーターを待つ短い時間だけど確かに感じた緊張感。たぶんこれは共用スペースにいる複数人からの感情が漏れ出たもの。断片的に視えたのは”エンデヴァー”の炎。

チンと音をたてて、エレベーターが1階についたことを知らせる。


「おい!!クソデク!!表出ろ!!ブッ殺……何だ、こりゃ……ッ」

「戦ってるのって、脳無…ッ!?」


画面の向こう側には閃光。その光源であるエンデヴァーと脳無と思わしき黒い敵。緊張感の理由がわかった。ここにいる皆はアイツの異常な個性や行動を知っているから。

地上からの中継映像だけじゃ戦況を把握できない。


「アイツが…戦ってんのか…ッ」

「…ッうん。エンデヴァーが戦ってる」


ただ解るのは、彼らが平和のために戦っているということ。

声を震わせながら画面を注視する轟くん。もう少し前で見れば良いものの、盗み見するようにしている。

唾を飲み込む音と大きく脈打った心臓の速い音が彼の心境を露にしている。

一際眩しく中心街を照らしたエンデヴァーの攻撃。全てを焼き尽くすような発火。脳無の黒い姿も見えなくなった。


「…心配が隠しきれていないわよ」

「誰が………ッハ」

「ッ!顔面……ッ」


その直後、宙を舞う小さな塊だった黒い何かが大きく膨れ上がり牙を向いた。

攻撃を受けたエンデヴァーだけが浮力を失い墜ちていく。

轟くんが息を飲んだと同時に舞った左側の炎は、彼らが親子たらしめる証拠。


「ぉ…ゃ、じ…」


小さく、父を案ずる声が聞こえた。




【憂事】
心配事。憂いの種となっている物、あるいは人。
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