18
「なまえ?どうかしたかい?」
「…なんでも、ないです。」

部屋に戻ると未だ書類と睨めっこしていたハンジ分隊長に心配された。大丈夫だとそう返す他の先輩にも顔色が悪いだの様子がおかしいだのといらぬ心配をされ、仕事も終わったのなら部屋に帰ってもいいと許しを得た。
部屋に戻り着替えもせずベッドに倒れ込む。いつもなら着替えてからでないと気持ちよく眠れないのだが、今日は本当に疲れているらしく横になった瞬間どろどろと睡魔の闇に引きずられるように意識を落とした。



少々強引に揺さぶられる感覚に意識を引きずり出された。一体なんだと不満を抱きながらも、同室のぺトラはこんな事はしないと考え至り、なんとか頭を強制的に起こす。
目をあければ黒髪が見えた。肩に添えられた手は大きく骨ばっている。それだけの情報で、今目の前にいるのは誰かわかってしまった。

「へいちょう…?」
「いい加減起きろ、何時だと思っている。」

そう言われ壁に掛けてある時計を見れば、帰ってから随分時間がたっていた。食事の時間もとうに過ぎて今から急いでお風呂にはいれるかもギリギリの時間だった。
ああ、やってしまったと頭を抱えるが、目を瞑れば再び襲い掛かる眠気。うつらうつらと船を漕いで首が座らない状態のなまえを無理矢理抱き起すと、ようやくまた目を開ける。
少し痛いという力で肩を掴まれ目の前の兵長が少し怒っているのかと、ぼんやりと理解する。

「飯は食ったのか?」

その問いに、無言でただ首を振る。
その返答に小さく舌打ちをし、強引に引き寄せられる。突然の事に驚いていると何も言わずリヴァイはなまえを横抱きにして、すたすたと部屋を出た。すっかり目が覚めてしまい、慌てて目の前の人物に抱き縋る。リヴァイがなまえを落とす可能性など万に一つもないが、地に足がつかない状況で尚且つ人の腕で支えられているという状態はどうしても不安感を拭えなかったのだ。
二日ぶり、厳密に言えば一日と少しぶりなのだが、それを素直に喜ぶ事はできなかった。あんなに早く帰ってきてほしいと思っていたはずだったのに、今はリヴァイから香ってくる花の香りが煩わしく、気づかぬうちに眉間に皺が浅く刻まれた。


リヴァイはなまえを横抱きにしてリヴァイ自身の部屋に戻った。道中誰ともすれ違わなかったのは奇跡だろうか。なんにしても余計な羞恥心を煽られなくてよかったと、ソファの上に下ろされながら小さく溜息をついた。

「…おかえりなさい、兵長。」
「ああ…できれば、もう少しまともな状態で出迎えてくれるとよかったんだがな。」
「すいません…」
「いや、いい。ハンジから聞いた、体調はもういいのか?」
「はい。もう大丈夫です。」

ふわふわのソファに座ったなまえと目線を合わせるように膝をつく。額に手を触れ熱がないかを確かめ、そしてその手を頬に滑らせる。何度か頬を撫で体調に問題がないとリヴァイも納得してくれたらしい。私の言葉が信じられないのかと、少しだけ不満を持つがそれを言葉にすることはない。

「飯くってないなら丁度いい。手を出せ。」
「?」
「内地の土産だ。ほら。」

差し出された手の上に小さな包みを乗せられる。綺麗にラッピングされた包装に仄かに漂う甘い匂い。可愛らしいそれをリヴァイ兵長が私の為に買ってきてくれたなどとは、到底信じられずそれを凝視したまま固まってしまった。
いつまで立っても動こうとしないなまえに、とうとうリヴァイは痺れをきらし包みを彩るリボンをほどく。

「好きなんだろう?」
「……、でも。」
「だってもでももなしだ。今更返されてもこんな甘ったるい砂糖菓子は俺はくわねぇからな。」
「…ありがとうございます。」

少し昔、まだハンジ班に配属されたての頃。いつまでたっても周りに馴染めずただ淡々と毎日を過ごし定期的に行われる壁外調査では黙々と巨人を殺し、あれは人間ではないのかもしれないと同期にも先輩にも嫌煙されていた頃の話だ。
そんな私を見兼ねてハンジ分隊長はあの頃から積極的に話しかけてくれた。けれどそうなったら変人同士で気が合うのだろうなどと、また嫌味を言われて、せっかくよくしてくれたハンジ分隊長までもを遠ざけようとしていた時。たまたま、分隊長が内地への用事があると言って留守にした事があった。
きっと気まぐれなのかもしれない。ただなんとなく目についたから買ってきたと行って渡された砂糖菓子。
初めて見たそれはまるで夜空の星を取って来たかのような形をして、それでいて黄色やピンクや黄緑とカラフルな色で目を楽しませたそれを最初はお菓子だと認識できなかった。だって、土産といってハンジ分隊長特性の薬品を混ぜた怪しいなにかかと思ってしまったから。
だから、恐る恐る口に含むと甘い甘い味がした。
初めて見たお菓子、初めて味わう味に感動していると、それを見守っていたハンジ分隊長が笑ったのだ。

「うまいか?」
「ん…優しい味がします。」

金平糖は優しさの塊なのだと、そう思った。
ハンジ分隊長の優しさ。いま口の中に広がる甘さはリヴァイ兵長の優しさ。
じっくりと丁寧にそれを味わっていると、あの時のハンジ分隊長のような笑顔で兵長も小さく笑った。


『…リヴァイが痛みを与える事なく、女性を愛せるように』


昼間エルヴィン団長、その言葉を思い出す。
ぴくりとそれに反応し、金平糖を食べ勧めようとする手が止まった。
あの深夜に出会った時の兵長ならば、こんな風にお土産を買ってくるなど考える事すらしなかっただろう。それが今はどうだ。甘い甘い女性の喜びそうな砂糖菓子を買って、それを嬉しそうに食べる女性に優しく微笑むなんて。こんな事誰が想像しただろうか。
こうなってしまったのは、そうだ、団長が私に命令したから。異常な愛し方を直してくれと、普通のキスの仕方を教えてやってくれと、命令されたから。
命令されたからキスも受け入れた、触れられる事も受け入れた。どんどん汚くなって嫌悪感も増すけどそれを我慢できたのは、団長の命令があったから。
逆らうなという兵長の命令も、愛を教えてやってほしいという団長の命令も、私が我慢すれば全て滞りなく円滑に任務を遂行することができた。
こうして優しく微笑みかけられるようになったならば。
ふわりと漂う甘い花の匂いの残り香がつくほど女性と親しくなれたなら、私は、



疲れたと、心底そう感じた。
いくら断っても寄ってくる縁談の話に目の前の男は豚ではなく何度手で払っても目障りに彷徨う小蠅かなにかかと認識を改めそうになるほどに、しつこかった。
いつもならエルヴィンが適当に話を合わせそしてスマートに交わすのだが、今回は壁外調査後ということで団長としての仕事が山積み故リヴァイだけの参加となった。
そうなってしまえばいつものらりくらりと交わす団長の後ろでまるで護衛かなにかのように黙って付き添っているだけの兵士長殿が、今日は表舞台に堂々と一人で参加しているのだから取り入るなら今しかないとばかりに貴族達の格好の的になったのだ。
目の前を次から次に話しかけてくる傲慢そうな親父達に、娼婦のようにキツイ甘い臭いを漂わせてすり寄ってくる女達。たった一晩だったというのに、何日も掛けて行う壁外調査よりも何倍も疲れてしまった。
宿に戻り風呂に入ろうにも染みついてしまった女達の臭いが取れず不快なまま床についた。

次の日は憂鬱な仕事も終わり、ただひたすらなまえの喜ぶ顔を見たさに貴重な砂糖菓子を買いに出かけた。一日中なまえの事だけを考えるのは中々幸せだと、柄にもなく実感したりもした。
目的の物を手に入れれば連れてきた馬に多少無理をさせつつなまえのいる調査兵団本部へと一目散に駆け抜けたのだ。
帰ってみればなまえは隊長不良で先帰ったと聞いたり、医務室に行っても姿が見えずに探し回ったり、想像していたものではなかったが、まぁこうして喜ぶ顔を見れたのだからよしとしよう。
大きな大きなため息をついて、目の前の細い腰に纏わりつくように抱き着く。
久しぶりのなまえの体温、なまえの匂い、これでなければ意味がないとあの豚共にいつか言ってやりたい。

たった一日しか会っていないだけなのに、込み上げてくる愛しさに僅かに戸惑う。しかし止めようとしたところで止まるはずもなく、腹のあたりにすり寄り背中に指を這わす。
なまえの足が脊髄反射でピク、と反応する事に気をよくして行為をエスカレートさせていく。
腹から胸、そして首のあたりに唇を這わせると、ヒュウと空気を少し吸う音を聞く。視線をそちらにやると、震える口が恐る恐る言葉を紡ぐ。





「……ぃゃ…」

言葉が、拒絶の意思を明確に表す。

「さわら、ないで……、汚い…」

見下ろしてくる瞳がじわりと水気を含ませる。
うわ言のように何度も何度も、拒否の言葉を紡ぐ。

「…なまえ?」

ぐしゃり、と、綺麗にラッピングされていた金平糖はぐしゃぐしゃに醜くなまえの手の中で潰された。
その様がまるで自分の心のようだ、なんて、柄にもなくそう感じた。


prev next

bkm
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -