16
朝っぱらからなんだ、と不満を口にしながらも扉を開けると少し困ったように、しかし別段悪いとも思ってないような声でエルヴィンは謝罪の言葉を口にした。
いくら起きていたとはいえ、午前は休みだった筈で呼ばれなければもしかしたらなまえと一緒に過ごせていたかもしれないというのに、それをよりにもよってハンジに邪魔されれば朝の爽快だった気分も台無しである。故にリヴァイの気分は少し悪かったのだが、それをさらに悪化させるであろう事案を、エルヴィンは口にした。

「今夜、内地の貴族達が懇親会を開くらしくてね、それに是非参加してくれという話なんだが、リヴァイ、」
「断る。」
「…まだ何も言ってないだろう?」
「言わなくてもわかる。つまり俺に相手してこいって話だろうが。」
「…まぁ早い話がそうだね。」

定期的に開かれる夜会。それに参加するのは主に団長であるエルヴィンの役目であった。
だがたまに、こうして兵士長であるリヴァイにもそれに是非来て欲しいと貴族共自らお願いという名の命令をされる事もある。
リヴァイとしてはそんなもの無視して断ってしまえばいいのだが、調査兵団としてはそうもいかない。
莫大な金と権力を握る貴族を無碍にしてしまえば、調査兵団として壁外調査は愚か兵士達の給金も出せやしない。兵士一人に与えられる馬だけでもかなりの金がいる。それを全て今まで滞りなく活動できたのは一重に内地にいる貴族達のおかげだ。
だが、それを鼻につけ振りかざす人間は生理的に受け付けないのだから、嫌なものは嫌なのだ。
それに、もうひとつ。

「断る、面倒だ。自分の娘押し付けてにやにや笑ってゴマ擦る肥えた豚共の相手をするほど俺は暇じゃない。」

見目もよく実力も申し分なし。過去と血筋にさえ目をつぶれば娘と結婚され正式に一族の人間になれば、少なくとも狙われることも暗殺されることもなく安泰を手に入れられるだろう。
そう考えニヤニヤと下品に笑いながら着飾った香水くさい娘を見せびらかしてくる親父と、生娘のようにしおらしいつまらない女の相手も、面倒だ。
リヴァイはエルヴィンほど器用ではない。それをうまく交わし、なおかつ相手の神経を逆なでさせない方法を知らないのだから。

「第一つい昨日壁外調査から帰ってきたばかりだというのに、報告書の作成もまだしていない。」
「それは別段リヴァイがしなければならない事ではないが…君は中身の内容を確認してサインをすればいいだけだ。」
「そんな暇があるなら他の兵士は精々死なないように訓練でもしていろ。それに、ほかの奴に任せれば誤字脱字ばかりで目も当てられねェ…それな

ら自分でやる方が時間の無駄も省けるだろう。」
「ならなまえにお願いすればいいじゃないか。彼女は壁外だけでなく書類の作成も優秀らしいと、先日ハンジが自分の事のように自慢していたしね。」

優秀すぎるのも考えものかもしれない。そしてどこに行ってもなまえの話題には必ずハンジがついてくるという事実に、眉間の皺を深くする。

「…あいつがいなくなったらハンジの班からあがってくる書類が遅れる。」
「どうせ内地に行けばその分仕事が遅れるのだからなにも問題はないだろう?」

苦し紛れの良い訳が、この男に通用する訳がない。
そう判断し、正面から睨み付けていた目をわずかに逸らす。
その瞬間、この問答はリヴァイの敗北が確定した。

「リヴァイ、頼むよ。」
「………ッチ。俺になにも得がねぇじゃねぇか。」
「ああ、なら少し中央で寄り道でもしてくるといい。息抜きにはなるだろう?」

二日、暇を出そう。今日の夜会が終わったらどこかに泊まって内地の観光でもしてくるといい。そう笑顔で言い放つエルヴィンに苛立つ。
いまさら内地を観光してなんになる。そんな事をしているくらいならさっさと帰って部屋の掃除でもした方がましだ。
そう、嫌味を言ってやろうと口を開くが、

「そういえば、なまえは確か金平糖が好きとハンジが言っていたな。昔お土産にとハンジが買って行ったら喜んでいたそうだぞ?」
「……、」

なまえの名前を出されれば黙るしかない。
結局エルヴィンに口で叶う筈もなく強引に取り付けられる。舌打ちするほどの元気も最早なく、ただただ憂鬱で面倒な雑用ができてしまったと気分が急降下していく。
せっかくなまえのおかげでいつもより浮上していた気分も台無しだ。
八つ当たりするように、乱暴に扉を閉めた。



部屋へ戻るリヴァイを人は避けて歩いた。
関わってはいけない、目を合わせてはいけないと壁の際まで寄り素早く敬礼をする。
そんな兵士には目もくれず、リヴァイは自室まで終始無言、いや、たまに大きな舌打ちをしながら廊下を突き進んだ。その舌打ちが聞こえる度兵士がびくりと肩を震わせる。それが視界の端にうつり、また機嫌が悪くなった。

面倒な事はさっさと終わらせるに限る。さっさと行ってさっさと帰ろう。
そして自室の扉を少々乱暴にあける。壊れてもエルヴィンに直させればいいと、少々強引に蹴り開けると、

「……なにをしている?」

三角巾を頭にまいたなまえがいた。

「…掃除ですが、いけませんでしたか?」
「いや…」

てっきり自室に帰ってしまっているのだと思っていた。
なまえの事だ。命令さえなければ自分のテリトリーに籠るような人間なのだからさっさと自室に戻り休日を謳歌しているのだとばかり思っていたが、どうやら違っていたらしい。
出立する前になまえに会おうとしていたが、これは手間が省けた。なまえに仕事の依頼をして、エルヴィンにぶつけられなかった怒りをなまえで解消しようと思っていたが。
とんだ拍子抜けにすっかり怒りは削がれてしまった。溜息を一つついて自然と寄ってしまっていた眉間の皺も解消する。

その様子に訳が分からないという顔をして首を傾けるなまえに歩み寄る。

「今日から二日、俺は留守にする。それまでに今回の壁外調査での報告書、ハンジの班と俺の班の作成しておけ。いいな?」
「はい……、」

余計な仕事を押し付けられようと文句ひとつ言わない優秀な部下か、それとも自我のないだけか。
従順な反応を示しそれに満足し、クローゼットに奥にしまってある私服を取り出す。せっかくなまえに結わせたスカーフを溜息を吐きながらも抜きさって、ジャケットもソファの上に乱雑に放り投げる。
放り投げたジャケットとスカーフを手に取って未だ首を傾け大きな目を何度も瞬きをさせるなまえがこちらを見つめる。その視線を感じ取る、全身に巻き付けたベルトを外しながら問う。

「なんだ。」
「…いえ…、どこにいっちゃうのかなって…」
「中央の貴族の相手してくるだけだ…ったく、エルヴィンの奴人遣い荒すぎるだろ…」
「貴族?」
「そうだ。貴族にこれからも調査兵団への投資をよろしくって挨拶と、あとはまぁ…貴族の娘の相手させられるだろうな。」

取り外されたベルトを差し出せばそれも大人しく受け取る。
あとはシャツとズボンだが、それも脱ぎ終わるのを待つ気なのかとなまえを見ると、渡されたジャケット達を皺になるほど強く握りしめたたずんでいた。
その様がやけに小さく見えて握った拳がわずかに震えているのが見えた。

「……なまえ?」

俯いて髪で隠した表情が見たくて、手を伸ばして頬に差し込む。
前髪をかき分けてそのまま横に流すと、少し不満気な表情が髪の隙間からちらりと見えた。
ほんの少し温度を上げた頬を何度か撫でると、大きな瞳にじわりと涙が潤む。

「…すぐ帰る。」
「はい…」
「土産も買ってきてやるから。」
「それは、いらないです…」

兵長の手を煩わせるわけには、といつものように謙遜の言葉を吐いているくせに、頬を撫でる手にすり寄る。
なまえの小さな顔全体を包み込むように優しく触れると、ついに溢れてきた涙が手を濡らす。

「お願いですから、早く帰ってきてください…」

親指でその涙を拭っていると、なまえに手をとられ掌に唇を滑らせる。
零れた涙を全て拭い終わると、いまだ濡れる瞳を開かせてこちらを見上げる。その目に答えるように、安心させるために、また言葉を発する。

「わかったから、もう泣くな。」
「…掃除、しておきますね。」
「ああ、頼んだぞ。」

頬から首筋まで撫で、最後にこちらに身体ごと引き寄せる。
抵抗なく詰められた距離に驚く風もなく、なまえは大人しく瞳を閉じる。
それに答えるように、わずかに開いた薄い唇にゆっくりと口づけた。


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