▼ A-dur 4
汚いものは見ないふり。
汚い関係、汚い心、汚い自分。
きれいな言葉を集めて生きていたら、いつかきれいになれるのかな。
ねーえ、傷ついて。
お盆明け、寮に戻った。決局おうちにいたのは2週間とちょっとだけだったのだけれど、半年以上ぶりに帰った自宅はとてもリラックスできて、帰って来られて本当によかったなあと改めておもった。
とは言っても、父さんにも母さんにも心配をかけてしまったことは反省している。
ふたりとも何も聞かないでいてくれて、けれど「話したいことがあればいつでも聴くよ」というスタンスで待ってくれているのがわかって。
僕はひとりで生きているわけじゃないのだから、もっとちゃんと考えないととおもった。
ピアノのレッスンは8月の最後の週から始まることになっていて、それまで特にすることもない僕は自習室に向かった。
"することもない"…訂正。実際は夏期の課題がわんさかと出ていて、それについては見ないふりをしていたのだけれど、そうもいかなくなってきた。
いや、英語の単語調べとか、構文の暗記とか、古文の活用表の復習とかね?そういう自分でできそうなところはちゃんとやってあるんだよ。
だけど問題は数学…テストはぎりぎり赤点じゃなかったものの、緊張から解放されたら、勉強したはずの内容もすぽぽぽーんとどこかに行ってしまった。
だから問題集をとりあえず開いてみるために、自習室に行こうと思ったわけで。
「だれかいないかなー…できれば理系のお方…」
ぶつぶつと呟きながら自習室のドアを開けようとしたら、その前に勝手にドアがひらいて、出てきたのは歩先ぱいだった。
「あ、たくみちゃん」
「げ」
「…いま、"げ"って言ったー?相変わらず、なまいき」
「そんなこと…」
言ってないですよお、そう言おうしたのにそれは叶わず。
するりと腕をとられ、自習室前の廊下に連れ出された。後ろ手にドアを閉める一連の動きが華麗すぎて、ぎゅうっと腰に手をまわした歩先ぱいが僕の首もとに顔をうずめるまで、僕は彼をぼうっと見ていた。
「あ、あゆむ先ぱぁい?」
「ごめん」
「っ…」
「僕のことまだきらい?」
「…」
歩先ぱいとは、変な雰囲気のまま夏休みに入ってしまったからそれから話していなくて、
謝ろう謝ろうとはおもっていたのに、ずるずるとここまできてしまった。
僕が最後に歩先ぱいに投げた言葉は「だいっきらい」で。
ひどいこと、言っちゃったのは僕なのに、先に謝らせちゃって。
「先ぱいこそ…もう僕のことなんてきらい、ですかあ…?」
「なんでよ」
「…きらいって、言っちゃったから…」
「…そんなこと言われたくらいで消える気持ちならこんなことになってないから」
「え」
「焦ってたんだよ」
傷つけてごめんね、と歩先ぱいは少し体を離して僕の顔をじっと見た。
「しょーがないよね、あいつとは中学のときからの仲なわけだし、ピアノっていう共通点もあってさ」
「…?」
「最初から同じ土俵にいようとするのが無理なのは当然だったんだけど。でもリーダー会議のときにもさあ、あいつがたくみちゃんのこと好きなんじゃないかみたいな話で盛り上がってるもんだから」
「?」
「さっきから何ハテナ飛ばしてんの、たくみちゃん」
はあ、とため息を吐いた。なんか本人が一番蚊帳の外って感じだよねーと歩先ぱい。
「上村がどうかはわかんないけどー、とりあえずたくみちゃんは上村ラブってわけでもなさそうだし?僕にもチャンスあるかなーって」
「はぁ…」
なんでそこにすみれさんが出てくるのかは謎だけれどもはや分かんないポイントが多いのでほっとくことにした。
「けどあのたくみちゃんのピアノ…あんな音出させる上村はやっぱちょっと妬ける」
「ピアノ?」
「最後のお茶会の日、窓の外で聞いてたんだよ、たくみちゃんのワルツ」
すみれさんのアドバイスをもらいながらピアノを弾いたあの夕暮れ。
「あ、そういえばあ、すみ…隊長はもう学校にいるんですかあ?」
「知らないよそんなの…。ていうかこのタイミングで上村の話する?ふつう」
「え。ごめなさい…」
「まー、そういうとこがたくみちゃんだよね」
やれやれ、と歩先ぱい。なんなの!
すみれさん、早く会いたいな。コンクールの結果、伝えたかったんだけどなあ。
「ねえ、僕にもピアノ弾いてよ?」
「ピアノですかあ?いいですけどお…そのまえに宿題があ…」
「宿題?見てあげよーか」
「でも、数学ですよお?」
「なに、理系科目できないと思われてんの?僕の成績、国数英同じくらいだよ」
「へ!」
歩先ぱいはすごい国語ができる、ってすみれさんから聞いていたけれど、英数も同じくらいできるってこと?何それ、すごすぎ!
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