にせものamabile。 | ナノ

 A-dur 2

でも、弾くしかないから。僕は鍵盤に両手を置いた。



ファンファーレ。それはワルツが始まる合図。そこにいる人は、みんな軽やかに踊り始める。男のひとも、女のひとも。



けれど僕のファンファーレは、"響"いてくれなかった。



ー 心をこめて。


先生によく言われる言葉。けれど今の僕が弾く円舞曲で、一体誰が踊れるというのだろう。僕の気持ちは真っ暗で。


それと同じくらい、音も鈍い。



ああ…だめ、かもしれない。

半分諦めかけた僕がいた。



でも。



す、と。指先に伝わる白と黒。

視界は黒いグランドピアノ。




ー …おまえ、本当に親衛隊か?


黒髪が、そして黒い瞳が印象的な、彼との会話を思い出した。意地悪そうな顔で笑う会長は、僕の書いた「園田響」にはなまるをした。


"僕も自分にはなまるをあげたい。"


そう思って、僕はここまで来たのに。


勉強も僕なりに頑張って赤点を回避したし、外に出られなかった僕が今当たり前のようにここにいて、ピアノの前に、そして外部のひとの前にいられるのは。



少しずつ、僕が僕と向き合ってきたからなんだ。



ときには先生の、ときにはすみれさんの激励、そしてのむちゃんやいっちーの応援の言葉、雪ちゃんや、響会長とのやりとり。

そういったかけがえのないつながりの中で、やっと僕は前に進んで。それなのにどうして、僕は過去の存在にこんなにも振り回されているのだろう。



ー いろんな気持ち知ってんだろ?

ー匠ちゃん、がんばってね。



そう、僕はもういろんな気持ちを知っている。そして、それを音に込めることも。


スタッカートのあとは、主題の繰り返し。

それは僕の奏でる音が、変わった瞬間だった。








「匠ちゃん!お疲れさま!!」
「のむちゃん…」
「すごかった!すごい綺麗だった!僕、思わず涙が出たよ」
「ありがとお…!」


コンクールが終わって、のむちゃんが小さなブーケを手渡してくれた。「コンサートではないから、とは思ったんだけど、どうしても何か贈りたくて…」と、紙袋に入れてくれたりとかなり気を遣ってくれてのチョイスだったみたいで、心があったかくなった。


そんな優しいのむちゃんの存在が、僕のピアノに軽やかさを取り戻させてくれて。

そう考えると、一回のありがとうじゃ全然足りなくて、何度も繰り返していたら「もう!どうしたのさ!」と笑われた。


「匠ちゃんはこのまま寮に帰れるの?」
「先生と話してから帰ることになってるんだあ、せっかく来てもらって申し訳ないのだけれど、先に帰っててもらっていーい?」
「おっけー!今日は本当にお疲れさまね!」


ぶんぶんと手を振りながら会場をあとにするのむちゃんの姿が見えなくなるのを確認して、僕は舞台袖に戻っているだろう先生のところへと向かうことにした。


その途中で、携帯を開いた。


【間に合ったよ。やっぱおまえのピアノはすごい。銅賞、おめでとう】


一哉からの、シンプルなメール。

そっか、僕の演奏に間に合ったんだ…。


僕はその手で返信しようと思ったけれど、やっぱり、とメール送信画面を閉じた。


そらで唱えられる彼の番号を一つずつプッシュして。



「…もしもし?」
「もしもし、匠?」
「うん、あの…メール、ありがとう」


本当はメールじゃなくて、コンクールに来てくれたこと、僕のピアノを聴いてくれたことにありがとうって言いたかったのに、

深く考える間もなくコールしてしまった僕はちょっと後悔した。


「おう、間に合って本当よかった」
「もう帰っちゃった…よね?」
「ああ、…悪い。ちゃんと顔見て伝えたかったんだけど、よく考えたらその…」
「うん、分かってる」


一哉の恋人からしたら、元浮気相手に会ってるなんていやな話だ。

言い淀んだ彼の様子からそのことに気付かされて、なんて僕は浅はかだったのだろうと思った。


「聴いてくれただけでいいよ、一哉は、僕のピアノを聴いて欲しいうちのひとりだったから」


前に進み始めた僕の音は、ちゃんと一哉に"響"いたかな。


「おまえ、絶対前よりうまくなったよな、俺おたまじゃくしさえ読めねえけどさ、なんかすげえ引きこまれた」
「…ありがとう…。」


響いてた。ちゃんと僕の音は響いてたんだ。


「あのね、一哉」
「ん?」
「僕、一哉のこと本当にすきだった。だいすきだった。」


ちゃんと、過去形。


「一哉とはじめて会ってさ、ピアノを褒めてくれて…少しずつ僕は、自分の気持ちを伝えられるようになったよ。一哉のことをすきになって、ピアノだけだった僕の世界が広がったんだ。だから、ありがとう」
「匠…」


自分が浮気相手だったと知ったときは、そしてこの前のバスケの試合のときは、ちゃんと伝えられなかった。

でも、本当はちゃんと伝えて終わりたかった。


「一哉にとってはリン君のかわりだったとしても、リン君と声が似てるだけのやつだったとしても、僕はそれでも後悔してない。一哉のこと、すきになってよかった」


本当の意味で、僕は前に進むから。

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