にせものamabile。 | ナノ

 H-dur 9

僕はずっと逃げていた。


学園になじめないことも、勉強についていけないことも、自分のがんばりが足りない部分はきっとあって、

けれどそれを変えようとせずに、その場しのぎの逃亡劇。


人魚姫は、お魚のしっぽだった自分の体を、人間の脚にした。それくらいの覚悟だった。



じゃあ僕は?何かを変えようとした?



誰かがいってたよ。周りを変えるのは、環境を変えるのは、ちっぽけな自分にとって大変なことだって。

でもだからこそ、ちっぽけな自分くらいなら変えることができるんじゃないの?って。



きっとそうだ。


僕だって、変わりたい。





「1年B組、橋本匠さん。」




司会をつとめる、咲月さまの声を合図に、僕は舞台袖から出た。


とうとう文化祭の日がやって来た。始業式や全校集会で使われる会場だから、いつもなら僕はステージを眺める側の人間で。


でも今日は違う。みんなに僕のピアノを聴いてもらえる日。



「ピアノによる演奏です」



拍手。



僕はステージに向けて、お辞儀をした。ここから見える景色は、生徒会長であるあのひとがスピーチをするときに見ているもの。

そう考えると、ちょっと緊張が増して、僕はこくりと唾を飲んだ。



視界のはしで蛍光色がちらつくので目をやった。【タクミ LOVE】のウチワが揺れている。


…待って。のむちゃん?!?!そのウチワ、どこから持ってきたの?!まさか手作り?!

そしてその隣には、いっちーの姿。【がんばれハシモト】のウチワを持っている。いっちーって、のむちゃんのストッパー役じゃなかった?いつのまにそんなノリノリになったのさ!!


僕は笑いそうになって、あわてて席についた。


ー あとで見る。おまえが緊張でかちんこちんになるとこ。


響会長、残念でしたっ。だいすきな友だちのおかげで、全然かちんこちんにならないみたいです!




からかうように笑う響会長の声を、僕は鮮明に思い出すことができる。ピアノのレッスンから帰る僕を、待っていてくれた彼。


あれが、ちゃんと話せた最後だった。


でも。


この文化祭が終わったら、ちゃんと僕の音が"響"いたら、もう一度。会って話がしたい。


僕は深呼吸をした。1曲目は、ワルツ。


ファンファーレが響く。3拍子のリズムに乗って、僕の音が、気持ちが、会場に響きますように。



「すごい…」


そう呟くのむちゃんの声はもちろん僕には聞こえなかったけれど、絶対に、確実に、8月のコンクールよりも上達している僕がいた。


一哉が来られないと知って、一瞬でどんよりと曇った音を出してしまったあのコンクール。

聴いてほしかった人が、来られない。それは今の状況も同じだけれど、もう負けない。引きずられない。


僕はもう、いろんな気持ちを知っている。

こめたい"心"だってある。


過去に、いっときの感情に縛られる自分はもういないんだ。



最後の低音で、曲が終わる。シン、と一瞬の静寂のあと、拍手をもらった。ブラボーたくみちゃーん!!という声は、言わずもがな、のむちゃんで。


拍手の最中に、ゆっくりと暗転。譜めくりのすみれさんが舞台袖から出てきて、僕の隣に腰かける。


はずだった。


「あれ…?」


暗転しても、すみれさんが来ない。

リハもやったし、段取りだって何回も確認したはずなのに。

振り返った先にもすみれさんはいなくて、どうしたんだろう?と思っている間にプロジェクターが映像をうつし出した。


【以上、1年B組、橋本匠の演奏でした。】


黒地の背景に、白い文字が流れる。これは響会長親衛隊1年のみんなに協力してもらってつくったもの。


【ここからは、園田会長親衛隊としての演奏となります】


少しだけざわつく会場。そのなかに、僕が本当に聴いてほしいひとはいないのだけれど、それでも僕は、全力で弾くよ。



【みなさーん!!】



ここからは、親衛隊1年みんなの声。会場にいるひとたちへ語りかける。



【文化祭、楽しんでますかー?】



「とってもたのしいよーー!!」とのむちゃんの声がしたと思ったら、口々にみんな「楽しい!」「イエーイ!」と声をあげてくれる。

さすがだなあ、のむちゃん。やさしい。



【実は!

 今日は、文化祭を支えてくれた、生徒会長兼、文化祭実行委員長である園田さまのお誕生日なのです!!

 園田さま、おめでとうございます。】


親衛隊より、愛を込めて。という言葉を最後に、映像は終わり、照明が明るくなった。舞台上には親衛隊のみんな。


わーーー!!!!!と会場が盛り上がり、僕は鍵盤に右手を置いた。



ドタドタドタ、と後ろから足音がして、僕の横にすみれさんが座る。


「すみれさん?」
「わっ、わり…」


かなり息を切らしているすみれさんはちょっと心配だけれど、僕は最初のアルペジオを弾き始める。


きらり、きらり。


僕のピアノよ、響け!

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