帰る場所はひとつだけ
「財前!ちょぉ来い!謙也が…謙也が、倒れた」
授業中、いきなりユウジ先輩が入ってきてそう言った。ユウジ先輩を怒る教師の声とか、ざわざわうるさい教室の音とか何にも耳に入らんくて俺は保健室に走りだしてた。
先週、俺と謙也さんは別れた。切り出したのは俺から。理由は、こじつけて言うならば受験。本当は俺があの人の重荷になるのが怖かったから。謙也さんはこれからどんどん新しい世界に染まってゆく。そんなキラキラした彼が、これっぽっちも可愛くない俺みたいな男と一緒にいたらいけないんや。
本当は、まだ謙也さんのこと死ぬほど好き。忘れられるわけない。でも、離れるなら今やと思ったから。謙也さんの受験が本格的になってきて、部活にもほとんど遊びに来れんくなった今やと。
倒れたって何なん?なんで元気でいてくれへんの?謙也さん、
ハァハァ言いながら保健室のドア開けたら、白石部長とベットに横になっとる謙也さんがいた。
「ぶ、ちょ…けんや、さんは…」
「寝不足と疲労と貧血。こいつ最近ろくに寝てへんのやって。昼飯も全然食わんし。今日は体育の授業中に走っとって倒れたんや。なぁ、なんでやと思う?」
「………。」
「なぁ財前、お前らのことに首突っ込む気はあらへん。せやけど、ちょぉおかしない?」
「………っ、」
「やってお前今やって、『謙也さんが好きで好きでしゃーない』って顔しとるで」
そんだけ言うと白石部長は出てった。
なんやねん。なんでこんなんなっとんねん。俺はこの人の笑顔を守りたかっただけやのに。
顔色は悪くどことなく痩せた気がする。いつも爛々とした瞳は伏せられていて、それでもどうしようもなく俺の胸に溢れる愛しさ。
「阿保……っ、けんや、さんの、阿保ぉ…っ」
愛しさついでに涙も溢れた。ぼたぼた零れる涙が謙也さんの頬に垂れる。すると謙也さんが、目を開いた。
「ひか、る…」
「けんやさん…っ」
ぐいっと引っ張られて謙也さんの胸に倒れこんだ。抱きしめられる久々の感覚に涙が止まらん。
「ごめん光、まだ好き」
謙也さんの低い声が頭に響く。俺はきっと、本当は謙也さんの重荷になるのが怖かったんやない。謙也さんがいつか離れてくのが怖かったんや。
「謙也さん、俺、…謙也さんのとこ帰ってきてもいい?」
「光、」
「謙也さん、のこと…っ、本間は、めちゃくちゃ好き、大好き…」
「………ひか」
「本間は離れたないよぉ…一緒におりたいよ、けんやさんっ…謙也さん、ごめんなさ…」
その続きはくちびる塞がれて言わせてもらえんかった。
「光、もう俺から離れるとか考えんな」
*
やっと謙也さんのくちびるが離れたのは謙也さんの腹が鳴ったときやった。
「謙也さんご飯食べとらんのでしょ。俺買ってきます」
「嫌や」
「え」
「また光が俺のとこ、帰ってこんかったら、嫌やもん…」
「……阿保、帰ってきます、わ…信じてくださいよぉ……ぅっ、」
「うわ、ごめん!泣かんでや!わかった!お願いします!焼きそばパン食いたいです!」
謙也さんを不安にさせないように急いで帰ってこなくちゃ。俺があの人から離れようなんて最初から無理な話やったんや。
あの人のとこに帰ったら「謙也さん、ただいま」って言ってやろ。そしたらきっと謙也さん、嬉しくて泣きよるで。
まぁ、きっと俺も謙也さんの「おかえり、光」でまた泣いてまうけどな。
これから先も俺が帰る場所は、謙也さんの腕の中。ただ、それだけ。
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