かけがえのない
あれは確か、小学校4年生の頃。
始まったばかりの夏休み。ひどく暑い日だった。クラスの友達と何人かで市営のプールに遊びに行った。
泳ぎ疲れてプールサイドのベンチに並んで座って、アイスを食べながらキラキラ光る水面を見つめていた。
渡良瀬が隣にいた。食べている間何も話さないのは、あの頃からずっと変わらない。
他の友達2人は何か楽しそうに話している。どんな会話をしていたかはよく覚えていない。
あの先生がむかつくとか何組の誰々が嫌いとか。多分そういうこと。そういう対象は毎日のように変わっていく。誰かがそういう立場にいることでうまく回っている世界があることも、子供ながらになんとなくわかっていた。
萌佳も思うよね、あいつ変だよね、って、そのうちの1人が俺の方を向く。
"あいつ"と呼ばれたクラスメイトの顔を思い浮かべた。
生き物係。虫や動物のことを沢山知っている。いつも図鑑を読んでるから、漫画の話とかはあんまり通じない。
変かな?どうだろう。
「萌佳はいいよ。聞いてもわかんないから。」
俺が答えるのを待たずに、もう1人がそう呟いた。2人の興味はすぐに別の話題に移り変わって、すぐにまた違う話を続けていく。
アイスを食べ終わった2人が立ち上がって、プールに向かって行く背中を見ていた。
お前にはわかんない。
そういう風に言われるのは初めてじゃなかった。その頃の俺は漠然と自分の立ち位置というものを感じ始めていた。
彼らよりも低い場所。
きっと特別に意識してそこに置かれているわけじゃない。みんなに悪意は無い。なんとなく、自然にそうなっている。
"あいつ"と呼ばれる中に、きっと俺もいる。
わかんない俺が悪いんだよね。仕方ないことだと思ってる。
「萌佳。」
ふいに名前を呼ばれて、いつの間にか俯いていた顔を上げた。
「今の、気にしなくていいから。」
渡良瀬は真っ直ぐプールを見つめたまま、小さく呟いた。
流れ落ちる汗。気がつくと溶け始めていたアイス。強い日差しが眩しくて渡良瀬の顔は良く見えなかった。
夏の日の、あの瞬間に、なによりも大切で絶対的なものを見つけた気がした。
渡良瀬がいればいいんだ。
渡良瀬がわかってくれる。誰に理解されなくても、渡良瀬さえいてくれたら。
それでいいと思ったんだ。
「…千歳さん、無理…気持ち悪い。」
「まぁ、最初はこんなもんじゃない?」
コンドームをはめた千歳さんの指。ローションを使っているとはいえ指一本を入れるまでに随分と時間がかかった。
身体の中で動く異物。今はただそれだけの感覚しかない。
「モカちゃんて童貞?」
「……だったら何ですか。」
「いや、別に。後ろ使ったこともないよね?」
「…あるわけないじゃん…。」
千歳さんは俺の着ているブラウスのボタンを、器用に片手で外していく。
ハイネックの白いブラウス。前を開けるとそのまま素肌が露になる。千歳さんが身を乗り出して胸の突起に舌先を伸ばした。舌の先端が触れているだけ。微かな刺激と千歳さんの吐く息がくすぐったい。
奥まで挿入していた指が今度は入り口近くまで抜かれていって、少しだけ関節を曲げてから、そのままゆっくりと内壁を擦り始めた。
「…え、なに、待ってっ…」
「さっきまでと違う?」
自分の中で痛みとは違う熱を感じていた。まるで内側から直接前に刺激を与えられているみたいな。その場所を千歳さんの指がかすめるだけで、腰が浮く。
「や、だ。っあ…っ…ああっ…」
「声我慢できない?」
「わかんない…っなんか変…。」
「前立腺ってさぁ、個人差があるから。皆が皆気持ちよくなるわけじゃないんだよ。見て。これ。」
視線の先で自分のが勃起しているのが見えた。それまで胸を弄っていた千歳さんの手が俺の下半身に伸びる。先端にをさすって、指を離すと銀色の糸を引いた。
「ほら、カウパー。モカちゃんは後ろで勃つようになったね、おめでとう。」
「……っ、最悪。」
さっきまで全然反応していなかったのに、後ろからの快感で強制的に勃たせられている感じ。その無理矢理な感じがつらくて苦しい。
「なんで?俺せっかく手伝ってあげてるのに。」
「…っなにが…っ」
「モカちゃんだって、女の子みたくされたかったでしょ?」
顔を上げると目の据わった千歳さんが見下ろしていた。
「集君に。」
瞬間、胸がドクンと波打った。
なんで。なんで今、渡良瀬の名前が出てくるの。
「集君にこうやって触られたいって思ってるんだよね?」
「……やだ、違う、渡良瀬は…、」
「友達だから?」
「…ん、ゃ…っ!だめ、あ、」
「じゃあなんでこんな露骨に反応してるの。」
「だってなんか…っ、だって…」
考えたこと無いよ。渡良瀬をそういう対象になんて。男同士だし。友達だし。
それなのにどうしてこんなに顔が熱いんだろう。
2人の秘密基地みたいなあの部屋で、今までずっと考えないようにしていたのかもしれない。だって俺がそんな風に想っていたら渡良瀬はどんな顔をするだろう。とても大切でかけがえの無い親友を、失ってしまうかもしれない。
「……っ、千歳さん、ちょっと黙って。」
必死に腕を伸ばして千歳さんの口を押さえた。これ以上渡良瀬のことを考えると、下半身への刺激も相まって頭が変になりそうで。
千歳さんの動きが止まる。指は中に入れられたまま、当たっているところが熱くてジンジンしていた。
「……俺に散々言ってるけど自分はどうなんですか。」
押さえていた手を離すと、千歳さんの口元は微かに笑っていた。
「何が言いたいの?」
こんなこと本当は言うつもりじゃなかったのに、この異様な状況下で完全に頭に血が上っていた。あまり深く考えていたわけじゃない。ただなんとなく、本当になんとなくだけど、ずっと感じていた違和感のようなものがここにきてやっと繋がった気がしたんだ。
「あの指輪もブレスレットも、本当は自分が一番付けたいんじゃないですか。」
千歳さんの顔から笑みが消えた。
これは多分、俺だから気がついたことだと思う。
千歳さんはきっと、俺と同じだ。
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