03


古レンガに囲まれた無機質な部屋の中央では橙色のランプが灯り、その周辺にいる五人の男女の満足げな横顔とすっかり空箱となったピザの箱とを煌々と照らしている。

「あら、年相応の顔になったわね」

初めて味わった美味なご馳走に、青白かった少女の頬は桃色となり、人形のようであった無感情な瞳にはキラキラとした光がまたたくようになっていた。

「ピザ以外にも、世の中にはもっと美味しい食べ物が溢れているのよ? ほら、このピザのチラシにあるような、ホワイトソースのパスタやミネストローネはもちろん、舌の上で蕩けるようなローストビーフや、スパイシーな香辛料の効いた七面鳥の丸焼き……そうね、最近食べたもので言えばスモークサーモンのカルパッチョとかも美味しいかったし。もう数え切れないほど美味しいものって沢山あるのよ」
「……ほんとう?」
「ああ、本当だぜ! 食べ物の他にも、雲まで届くような大きな樹や色とりどりの花畑だったり、どこまでも続く透けるような海だったり。世の中には色んなもんがあるんだぜ?」
「……うみ? うみって?」
「海……そうねえ、ここに水があるでしょ? この水がね、あなたの身体が沈んでしまうよりも深い量で、しかも、それがこの部屋やこの礼拝堂を越え、さらに向こうの山までずっとずっと広がっているのよ」
「ずっとずっと向こう? ……ここよりも、ずっと遠く?」
「そうよ、この部屋を百個足しても千個足しても足りないくらい、とってもとっても大きいの。見たらあなたビックリするわよ?」

パクノダの言葉に少女はおどおどと下ばかり向けていた顔をついと上げ、部屋の壁へとゆっくりと視線を走らせた。

少女の瞳にはパクノダからたった今聞いた、どこまでも水が広がっていると言われる"海"の姿が映っているのだろう。初めて知ったこの部屋の外に存在する"世界"に、自然と少女の胸は張り、その瞳は正面を真っ直ぐに見据えていた。


「……あたし、見てみたい。うみ、見てみたい!」

決意したような力強い声で少女が言う。突入時に壊れた扉から外の風が入り込み、少女の色素の薄い前髪をふわりと持ち上げていた。


「ふふっ、いつか見れるわよ」


少女のその変化にパクノダが目を細めながら少女の頭を撫でると、少女はにぱっとまるで春が訪れたように笑い、そのままパクノダの手の感触を頭全体で味わうようにパクノダへと寄り添った。まるで子猫が懐くような少女の愛らしいその様子に、まるで一家の団欒のようなほのぼのとした空気が流れる。

子供嫌いなシャルナークの顔さえ心なしか緩んでいた。ここには少女を人形のようだと思う人間はもういなかった。

「さてと、今から調べたことについて報告を行う」

しかし、パンと乾いた音が鳴り響いた瞬間、今まで穏やかだった三人の男女の顔が一瞬で引き締まったものへと変わった。音の根源には手を胸の前で合わせているクロロの姿があり、まるで春から晩秋へと季節が一瞬で変わったかのようなその変化に、少女は笑みを消してそのまま身を強張らせながら元いたベッドの方へと駆けて行く。

その後ろ姿を見送ってから、クロロは口を開き始めた。

「まず、この建物について分かったことについてだ。先に結論から言う。この建物それ自体が何かしらの念を発動している、ということだ」
「マジかよ!?」
「ああ、巧妙に隠してはいるが間違いない」
「……空気が淀んでいると思ったら、そう言うことね」

念の中にいるということは、つまりは大口を開けている怪物の口の中に入っているようなものである。フィンクスは即座に"纏"で体を覆い、パクノダは念を発動していると考えられる最大の容疑者へと敵意の映る目を向けた。少女の体がピクンと跳ねる。


「待て。この建物自体が念を発動していると言ったが、念の発動者がそいつだとは一言も言っていない。勘違いするな」
「あ、ああ……」

気まずい空気が流れる中、クロロは言葉を続ける。

「……まあいい。話を続ける。まず、この建物に入った時に一番に感じたのは、両肩にずしりとのしかかる釈然としない重さだった。古臭い建物特有のカビと埃のせいかとも思ったが、パクノダが来るまでの半日の間、扉という扉を開け放ってもそれは消えはしなかった。そして次にオレは建物の構造を調べた。この建物は全体的に窓が小さく壁が厚い。礼拝堂内の半円アーチの特徴からも、ロマネスク様式を踏襲していると考えられる。建てられたのはだいたい12世紀前半といったところか。ただし、堂内にビザンツ様式のモザイク画が掲げられていることからも、この礼拝堂の元となる建物は、それ以前――7〜8世紀には存在していた可能性が高い」

突如始まった世界史の授業のような内容に首を傾げているフィンクスを横目にしながらクロロはさらに言葉を続ける。

「よほど大切な建物なのだろう。この建物は何度も改修を重ねられている。その中で一番大きな改修は――そう、それの居た部屋が作られた頃だ。それが作られた頃と同時期に礼拝堂内の一番大きなステンドグラスも新しくされている。使われている塗料や技法からゴシック建築の様式が取り入れられている。おそらく、15世紀前半に作られたのだろう」
「お、おう……そ、それで? それが念とどう関係するんだ?」
「まあ、慌てるな。重要なのはこれからだ。……そう、この頃この礼拝堂は大掛かりな改修を施され、部屋の増築もそうだが、柱・屋根・壁面、あらゆる所に手を加えた形跡が見られた。その、改修された部分でオレは面白いものを見つけた。それが、これだ」
「あ、このグニャグニャ文字は……!」

クロロの使い込まれた手帳に描いてあったのは、少女が閉じ込められていた部屋の床に刻まれている文字と全く同じ紋様であった。

「改修を施された大部分の箇所にこれが刻まれていた。古代ルーン文字に近似しているこの文字は、おそらく独自に発達した儀式用の文字だろう」
「……なんだかだんだん繋がってきているわね」

パクノダが嘆息するように言葉を漏らす。

「さて、話は飛ぶが。世の中の、念を発動する念具には大きく分けて三つに分けることができる。一つ目は念能力者がある一定の効果を狙って作り出したものだ。これは闇のマーケットで不定期に売りに出されるオーラ増幅器だとか、オーラ遮断器などがそうだ」
「あー、あのクソ高いくせに効果のないやつか……」
「え?フィンクス、買ったことあるの!?あれって夜中の通販番組レベルに信用できないものなのに」
「うるせぇ、この金髪糞童貞!」
「はぁ!?オレ童貞じゃないし!!むしろ――」

言い合いを始めた二人をパクノダが腕で制してクロロに次の言葉を促す。

「二つ目は、絵画や彫刻の芸術品によく見られる、その道を極めたものの手工品にオーラが宿り、結果として何かしらの念を発するようになったものだ。三つ目は、執着するあまりに、意図と反してその対象物にオーラが宿ってしまった場合だ。死者の念が掛けられたお宝はだいたいこれに当てはまる。そして、最後は念――文字を使用して擬似的に念と同等の効果を与えられたものだ」
「これは、最後に当てはまるわね」
「現在普及している念文字とは異なる形態を取ってはいるがな」

冷笑を浮かべるクロロの隣でシャルナークが補足をするように人差し指を顔の前で立てながら喋り始める。

「これは、望み通りの念を得ることもできず、念を付加させられるほどの優れた技能もなく、不確定要素の高い死後の念に頼る思い切りもない。そんな糞みたいな人間が、それでも人外の力を得たいと願った末に出来たもの――ってことだね。この時代はまだハンター協会が存在していないから念文字も統一されていないし、その効果も系統立っていないからさ、普通の念文字ならオレも簡単に解読できるんだけど、こういった前時代の念文字は全てがバラバラでなかなか難しくってねぇー、団長と一緒に解読しているんだけどまだ全ての解読には至っていないんだ」
「そこで――……だ」

今一度手をパンと打つと、クロロは懐からこの街の地図を取り出した。

「話を次に進めるが、大抵こういったものは土着の宗教や信仰と密接に関わっている場合が多い――この場合は聖霊『テレジア』だが――それがこの地に豊かな恵みをもたらしていると言うならば、この念文字あるいはこの礼拝堂に掛けられた念は地形的な要素が多いに絡んでいると推測できる」

クロロは黒ペンを手に取ると、広げた地図に書き込みを始めた。

「この街にある礼拝堂は、ここを除くとあと五つある。こことここと……そしてここだ。パクノダが来る前に他の五つの礼拝堂を見てきたが、どれもゴシック様式を――この礼拝堂が改修された頃に建てられていた。フィンクス。これを見て何か気づくことはあるか?」
「あー、なんか等間隔に離れている……くらいか?」
「これ、円形状に並んでいない? ……と言うよりは星形ね」
「そうだ。この五つを結ぶと綺麗な五芒星となる。その五芒星中心点を点Aとして、そこからこの街の東西南北のそれぞれの街門跡を結び、さらにこの点Aを中心とした時の夏至冬至及び春分秋分の太陽の軌跡を垂直に下ろしたラインを書き込み……そして――」

説明をしながらクロロがペンを走らせると、地図上に魔法陣のような図形が浮かび上がった。

「――どうだ?」
クロロがにやりと笑う。
「あ、これ……見たことが――」

パクノダが床に散らばっているピザの空き箱を急いでどけると、クロロがたった今地図に描いた図形と全く同じ図形が床から姿を現した。
パクノダとフィンクスが息を飲む。

「そして、この礼拝堂はこの図形の中心点から真北に、約15kmのところにある。正確に言うなれば14.78kmで、ガリア人の用いた距離単位のリウガで表すと6.66リウガの距離だ。ちなみに、このガリア人はオガム文字という文字を使用する民族で、さらにはオガム文字はルーン文字と祖を同じとする言語と言われている」

クロロの瞳がキラリと妖しげに光る。

「豊穣を約束された大地にその地に刻まれた陣形、そしてその陣形と全く同じものを持つ礼拝堂に、念を発動させるための念文字。ふふっ、なんだろうな、この奇妙な一致は――」
「おいおい、こりゃ完璧にビンゴじゃねえか。悪かったなシャルナーク、昼間はハズレだなんて言ってよぉ」

フィンクスが隣に座るシャルナークの背をバンバンと叩くと、シャルナークはいかにも痛そうな顔をしながらも、「やっぱりな!」と言った満更でもない顔をする。

「ガリア人はガリア地域を発祥とする民族だが、ロマーノ帝国が権威を振るっていた頃、その権威におもねいてロマーノ帝国の一部となった部族と、それに反発して逃げた部族とがあるが、おそらくこの街を築いたのは後者の部族の人間だろう。そして、痩せ細った大地で細々と暮らしていた彼らは、この地を豊かにする方法を模索し、何百年もの研究の末に方法を編み出し、そしてそれを実行した。そういう事なのだろう」
「……なんかスゲェ規模の話だな」
「面白いと思わないか?」
「いやぁ……なんか目に見えるお宝じゃねぇし、どっちかって言うと全然……」

興味のなさそうな顔で腕を組むフィンクスにクロロが笑みをこぼす。

「ふふっ、フィンクス、考えてもみろ、陣形と方法を間違えねばその土地に豊かさが約束されるんだぞ? これを流星街でやったらどうなるか興味が湧いてこないか?」
「――あっ、ああ! そう言われればそうだな」
「それにだな、豊かさという言葉は曖昧だがもしこれが大地の豊穣さだけではなく金品の流入が増加するものだったり人々の幸運値なるものが上昇するものだったらどうする? これを転用できるのならばそれで良し、もし転用できなくても盗めるのならばそれでも良いし……それに、この念文字、何がどうなってこの念を発動させているのか興味深い、他にどんな要因があってこれを成り立たせているのか……」

クロロの豪然たる探究欲の何かを刺激したのだろう。ぶつぶつとアゴに手を当てて呟き出したクロロの顔は、何か面白い書物や文献を見つけた時のそれと同じだった。

「あーあ、スイッチ入っちゃった」

前触れもなく自分の世界に没頭し始めたクロロに、シャルナークは「全くしょうがないな」と言った面持ちでパクノダとフィンクス向かって肩をすくめる。

妨害してくるような敵も邪魔してくる地元の人間も居そうにないこの状況は、彼らを極悪非道な幻影旅団からごく普通への幼馴染へと容易に引き戻す。クロロを見つめるフィンクスたちの顔には、畏怖というよりもクロロに対する慈愛と敬愛とが浮かんでいた。それはこの部屋に押し入った時に少女に向けていた冷酷な人物とは同一人物とは思えないほどであった。


「これは時間が掛かりそうだなぁー」


考え込むクロロの隣で、シャルナークは呑気な声で伸びをし、フィンクスは床に刻まれたを指でいじり始めている。

「あなた、確か海が見たいって言っていたわね」

パクノダはベッドに腰をかけると、隣で膝を揃えて座っている少女の肩に腕を回して微笑んだ。
少女には彼らが何について話をしているのか全く理解できていなかった。ただ、先ほどの緊張した空気が元のピザを食べていたような時のものに戻ったことが嬉しく思え、隣に座るパクノダへと身体をまたピタリとくっつけた。

「あたし、実は不思議な力を持っているの。これを使えばあなたに海を見せてあげることができるわ」
「……ほんと?」

パクノダの声はとても優しい。まるでお母さんのようだと少女は思う。

「ええ、本当よ。方法は……そうね、少しばかり驚くかもしれないけれど」

しかし、パクノダが悪戯な瞳で少女を覗き込んだその時だった、

「――そうだ、ひとつ確認し忘れていた」

おもむろにクロロが立ち上がってパクノダと少女の元につかつかと歩み寄り、辺りに漂う空気がまたピンと張り詰めたのだった。

「な、何かしら?」
「ガリア人と多神教の神々、そして悪魔崇拝の関係だ」
「え?」

瞬きをするパクノダをよそにクロロは言葉を続ける。

「ガリア人は元々ケルト神話を祖とする多神教の宗教構造を持つ民族だ。その後、キリスト教の浸透に従って、多神教を信ずるガリア人は邪教の徒として迫害あるいは改宗を迫られ、今では信者が存在しない過去の失われた信仰となっている……が、おそらくこの街を興した人々はそういった宗教的軋轢から逃れてきた人間なのだろう、この礼拝堂内にはキリスト教的なモチーフの中にところどころ別の宗教のものだと思われるものが混ざっている」

淡々と説明を続けるクロロの有無を言わせない顔に、少女はパクノダ後ろにギュッと隠れる。

「この礼拝堂を建てたガリア人の祖が信じていたケルト神話では、傷ついた生贄が完全に血がなくなるまで木に吊り下げることを求めるエススという神や、生贄を溺死させて捧げることを求める部族の守護神テウタテス、木を編んで作った大きな人型の内部に生贄を詰め込んで燃やすことを求めた雷神タラニスなどがいた。他にも、ギリシャ神話に登場する愛と美と性を司る女神アフロディーテは、残忍で移り気な性格をもち、自分に服従しない者すべてに制裁をくだし、キニュレスの娘たちに売春を余儀なくさせ、従わないものには耐えがたい悪臭と罰を与えた。また、バビロン人の間で信仰されていたモレクという神は、豊作や利益を与える代わりに幼児の生贄を求め――現にバビロン人が勢力を伸ばしていた地域の祭儀場の遺跡では、二万を超える子供の骨壷が見つかっていると言う」

「……えっと、その話と何がどう繋がるのか私にはいまいち……」

「つまりだな、加護を与える神として民衆にあがめられながらも、その実情は悪魔と大差ないことをしている神が多神教の中には数多くいるということだ。そして、これからはオレの推測に過ぎないが――おそらくこの街『リオングラード』も例外ではないだろう」
「えっ!?」

『リオングラード』
さすがに少女にも自分が住む街の名前は理解できた。今までは、手帳や地図を広げて何やら小難しそうな話をしているとしか理解できなかった少女も、彼らが話をしていることが何やら自分の身に深く関係あることだと実感せずにはいられなかった。

そもそも彼らはなぜこの場所に居るのか。外から来て悪いことをするために来たのではなかったのか。
美味しいご飯と穏やかな空気にすっかり気を許していた少女の顔に、再び緊張の色が刻まれ始める。


「端的に言おう。聖霊『テレジア』は悪魔的な側面を持つ存在――だ」


パクノダの後ろで怯える少女を横目にしながら、クロロは指を三本立て、説明しながら指を順々に折ってゆく。

「根拠の一つに、地図上に浮かび上がった逆五芒星があげられる。元々上を向いている星型――正五芒星は天との繋がりを示し、逆さまと待っている逆五芒星は地の底――地獄との繋がりを示す。さらにこの逆五芒星は地とつながることで悪魔を降臨させ魔の力を得ることができると言われている。
根拠の二つ目は、『6』という数字だ。この礼拝堂から街の逆五芒星の中心点までの距離は、6.66リウガ。他にも、この礼拝堂の柱の数・天蓋のサイズ、街の五つの礼拝堂同士の距離感、東西南北の門跡の建築規模などなど、至る所で6という数字が多用されている。そして、根拠の三つ目は――」

そこで言葉を切ると、クロロはパクノダの後ろで震えている少女へと、温度味のない黒曜石の瞳をギロリと向けた。


「――ソレの存在だ」

しんと、まるで一面を雪で覆われた野原に降り立った時のような、吹きすさぶ静けさが辺りに落ちた。

怖い怖いバケモノたち。
外から来てあたしを食べちゃうバケモノたち。
でも。だけど。それなのに――。


まるで幾十もの満天の星空をひとつに纏めて球体にしたような瞳の黒色は、先ほど少女を見つめていた時と変わらぬ色を放っている。少女を指差すクロロの指の甲には、先ほど少女の口についたピザソースを拭った時の赤い汚れがわずかばかりに残っていた。

外から来たバケモノなのに。怖いはずなのに。逃げなくちゃいけないのに。
そう思いながらも少女はクロロの瞳から目を離すことが出来なかった。

吸い込まれそう――。

ただただその思いだけが少女の頭を占めたのだった。






第三話、完


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