ピザ屋の彼氏(勘くく)*


※パロディ



 勘右衛門が爪先で、空の注射器を個室の外へ追いやる。ジャポ。湿った音に、沈む。
 俺は慎重に息をする。

「短くない? 見えてんじゃん」
「……渡されたのをそのまま」
「まあ、そうだろうね」

 彼のクローンよりも控えめなその笑い方を、俺はなんとなしに好んでいる。

「兵助嫌なんでしょ」
「バレた?」

 勘右衛門だって大概だろう。膝をつくのにスカートの裾を下ろして、床との接触を避けている。一方の俺は、背中を壁に付けたくなく、バランスを取るために軽く上げた両腕がいつ引きつるか、そのことだけに気を遣う。便器の足のところを踏まなければならないのは、もう、トレードオフだ。

「しょうがないじゃん。今月まだでしょ?」

 人好きのする顔。今までに何人の異性が籠絡されたか知れない。異性? 違うな。違うか。

「兵助はできそこないだから、おれがちゃんと面倒みないとね〜」

 微笑みながら、〈面倒〉のところで裾を引っ張ってくる。そこで勢い付いて、かえって俺の方に寄り掛かる。

「うぷ」
「……サイアク」

 舌打ちが漏れたかもしれない。勘右衛門に凭れかかられた俺の背中は、ぴったりと、タバコの跡だらけの壁に張り付いていた。

「げ、ここ化粧ついちゃったよ」
「そうじゃなくて」
「ねえ、これって返す時クリーニング出すって? おれら持ちなのかな」
「勘右衛門、ちょっと」
「兵助にチャイナって、意味わかんないよね」

 勘右衛門にセーラー服も、わかんないよ。じゃあ何ならわかるのかって言われると、困るけど。
 膝を折り曲げて勘右衛門の身体を元の位置に押しやる。勘右衛門はカーディガンのポケットをあさる。手のひらに二粒の錠剤とコンドームを並べる。右の指でコンドームをつまみ上げ、錠剤は口元に運ぶ。そこで身を起こし、ぐいと顔を寄せてくる。

「ん、」

 光を失ったひとみ。促されて、くちびるの間に挟まれた錠剤に舌を伸ばす。

「キスされると思った?」

 錠剤を、器用に俺の舌に置いた勘右衛門が、訊ねる。思った。そりゃ思うだろう。やらない天邪鬼は、ガキくさい。とうに大人にカウントされつつある俺たちにとっては、なおさらだ。

「しようよ」

と俺が言えば、珍しい物を見たような顔をする。失礼なやつ。

「いいよ、兵助飲みな」
「いいの」
「じゃなきゃ、やる気になんない癖に。でしょ?」

 そう言われると、そういう気もしてくるので、唾液を溜めて飲み下す。
 月々のノルマは、大抵勘右衛門とこなしている(そうじゃない日もそりゃ、あるけれど)。勘右衛門に言わせれば、俺は生きることにからきし疎い。らしい。

「もっと貪欲になったほうがいいよ、豆腐スイーツもまあ、結構だけどさ。実際貢献はしたし」
「学級委員長にそう讃えられちゃ、一層努力しないと」
「だからその方向性がね?」

 勘右衛門は困ったような表情をしているが、わかる。これは嘘だ。なぜなら、俺の脚部のスリットの部分に、指を這わせている。

「あんま効いてないね」

 俺の股間を凝視して(むかつく。)勘右衛門が言う。

「これからじゃないか?」
「悠長な。先生来ちゃうよ」

 来るわけないって。そう言いたかったけれど、勘右衛門がとうとう裾をたくし上げて、俺の下着に触れてくるものだから、言葉を飲み込むことになる。

「早くたててよ」
「勘右衛門次第でしょ」
「ほら。いっつもそう。おれ任せなの」

 ため息を大きくついて(むかつく。)、再びしゃがみ直し(今度は腰を浮かせたまま膝はつかず、下品丸出しで開脚している。それでもプリーツスカートから勘右衛門の下着が覗くことはない)、俺のトランクスを引きずり落とす。コンドームのアルミパックの角が肌に当たって痛かった。

「ハァー。舐めるかー。」

 勘右衛門は長い髪を結わき直す。表れた耳の輪郭はうすべに色に染まっている。それを指で摘まんで、

「雰囲気考えてよ」
「お前に言われたくないね」

 ていうか、先生とかより、女子たちを警戒しなきゃなんじゃないか。俺も勘右衛門も、幾ら繁盛してないからって、シフト抜け出してこんなところにいるんだから。

「はやくおおきくなーあえ」

 性器の先端に唾液を垂らしながら、勘右衛門が呪文のように唱える。ばからしいので、天井を仰ぐと、やっぱり下らない落書きだらけであって、これは勘右衛門の期待に応えるのはむずかしいんじゃないか、なんて。

「兵助、集中して」
「してるよ」
「ウソつき。不能。ED。いや、言い過ぎたわゴメン。ちょっとたってきてるよ!」
「勘右衛門うるさい」

 勘右衛門、脳みそ全部出てるんだもん。今だって、「もう後ろもやっちゃうか。」とか言って、コンドームの封を切って指に嵌めてる。いちいち声に出されると恥ずかしいし、誰か来たら、女子じゃなくたって、訝しむだろ。

「よいしょっ」
「も、勘右衛門、いいかげんっ、に」
「えい、えい」
「ぐ、あ……!」
「あーああ。」

 雑にやっていたと思ったら急に呆れられて、そのあだっぽい笑みが意味するところに、俺は顔を伏せるしかない。

「いいところ、当たっちゃったねえ。」

〜〜〜

 ノルマ、というのはクローン生成のことだ。男は16を過ぎたら、月に一体はなにがなんでも登録しないといけない。方法? そんなの、説明しなくたってわかってよ。俺たちがこんな狭くて汚いところでセックスしてるのが、その理由なんだから。

「へーすけ、大丈夫? ちゃんと登録申請、忘れんなよ」
「ん、わか、ってる……!」
「ほんとかなあ。この前もデータ飛ばしてなかったくせに」
「そりゃ、ン、かんえもんは、っあ、慣れて」
「うん」
「もう、やあ、かんえもん、きらいっ、」
「なんでよ〜。好きでしょ?」
「ん、んん、すき、……ぁ!」

 蕩けてる。ばかだろ。なんでこんなことしなくちゃいけないんだ。こんな、ばからしくて、気持ちいいこと。

「すきって言うと狭くなるんだ」
「も、言うなよ……」
「へーすけの中気持ちいよ。いちばん。多分だけど」
「たぶん、は、ァ、余計!」

 ふたりして女の格好させられて、それで馬鹿みたいにいっときの欲に流されてる。大義名分だってあるから、わざわざコソコソする意味だって薄いのに、偏屈なプライドが邪魔してならない。背中も変な菌で絶対汚れてるし、勘右衛門が手繋いでくれててなかったら、こんなの、とっくに願い下げなのに。

「へーすけの、俺のグロスでべとべと」
「う、わ」

 いろんな液体が、青いチャイナ服を汚している。毎月磨り減ってボロボロの自尊心だけど、さらなる羞恥でもうめちゃくちゃだ。

「さっきちゅーしたから、お前の口紅もひどいよ。バレちゃうね、おれたちがセックスしてたって 」
「さい、あく……!」

 上階からは、軽音部の公演だろう、汚く歪んだベースの音が鳴り響いている。俺たちだけだ。ここで、こんな日に、こんな格好で、こんなことしてるのは。

「クスリ、効いてよかったね。きもちい?」
「見りゃ、ァ、わかる、だろっ」

 これで、今月も逃れられる。安堵と快感が混ざって、胃の奥からせり上がってくる。どうしても、声が抑えきれない。

「でもさ、女子はいいよな〜、兵助のほんとの子、孕めるんだもん」
「俺は、子供は、んあ、つくらな、い……」
「え、じゃあ30まで? 国家貢献者ぁ」
「勘右衛門と、ぐ、居れれば、いいもん……」
「くっ……。へーすけ、頭おかしい」

 とか言って、ホントは嬉しいんだろ。当たり前のようにわかる。傍で何年見てきたと思ってんだ。

「犬は、飼う?」
「なんの話、だよォ……あ、ああ! だめ」
「重要でしょ、幸福の、ファクター、として、さ」
「そこ、だめだってば、っあ、うう」
「さっきからだめだめばっか。じゃあ何、ゆっくりする?」
「ゆっくりって……ハァ、う、なに」

 手を握る力が強まる。そんな些細なことでも胸が高鳴って、こんな生きづらい世界なんかじゃなく、もっと普通で、平凡であれたらいいのにと思う。

「へーすけ、」

 勘右衛門が、ぺ、と舌を出す。俺はそれにくらくらしている。惹かれるように口づける。粘膜と粘膜が合わさる。腰に回された腕の力で引き寄せられて、身体が密着する。カーディガンが汚れることが、一瞬だけ気にかかって、そのあと、どうでもよくなる。

「へーすけが気持ちいだけじゃ、だめなんだからね」

 じわじわと腰を動かしながら、勘右衛門が言う。わかってる。俺は男だから、中に精液を注がれて、それで初めて務めを果たせるのだ。

「おクスリ飲んだし、兵助良い子だから、ちゃんとできるよね?」
「できる……んあ、できるからぁっ」
「ほら、擦り付けちゃだめだろ。お前が先にいったら意味ない」
「だって、だってぇ!」

 もどかしくて堪らない。全部が。

「かんえも、も、ゆっくりすんの、や」
「じゃ、もっと激しくして、って言わないと」
「、もっと激しく……して」
「んー、どーしよっか」
「お前、ふざけんな……!」

 全てを絡め取られているなか、何とかあらがって勘右衛門のスネを蹴る。「イテッ」と大して痛くも無さそうに言う。

「だって、少しでも長く繋がってたいくせに」

 先生が来る、って先に気にしだしたのは、どこのどいつだっけ。もう脳細胞まで、快楽で浸かってる。俺も、勘右衛門も。

「、動いてい?」
「いいけど」

 左脚を持ち上げられる。身体を支えるために、かかとをドアの鍵に引っ掛ける。古びた金属が擦れる音がする。

「…………。」
「なに」
「いや、兵助、意外と似合わないよねって」
「しね」
「死んだら、兵助の、面倒は、」
「あっ、ちょ、おく、」
「誰が、みるの、かな!」
「ま、まって、ぁ、ア!」

 内臓があつい。このまま死んだら、どうなるんだろう。そう考えて、安心の予感しか見出せなくて、気持ちがよくて、涙が出た。

〜〜〜

「やっぱ、兵助は兵助のクローンより気持ちいね」
「もう俺のとすんのやめて」
「えー」
「他の奴ともしないでよ」

 トイレットペーパーの上で精液を混ぜて注射器で吸い取る。「はやく着替えたい」とこぼすと、勘右衛門は「それはそう」と笑う。覚束ない俺の作業を、適度にしゃべくりながら眺めている。

「それって、おれの分も兵助がやるってこと?」
「そう言ってるじゃん」
「……昼飯のタルタルフィッシュ出そう」
「ホントに魚かなんてわかんないけどな」

 端末をかざす。スキャニングの間の沈黙が嫌だった。こんな悪趣味なシステムに取り込まれた人生を、心底呪うしかない。

「だってさ、おれが兵助のこと好きってみんなにばれちゃったらさ、その時点で好きって気持ちを取られたも同然なわけ」
「意味、わかんな……」
「わかんなくていいよ」

 送信ボタンを押す。これが記録に刻まれたとて、俺と勘右衛門の間に何かが起こるわけじゃない。ただ碌でもないクローンがふたり、どこかに生まれ落ちるだけだ。
 見上げた勘右衛門の微笑みは、薄暗い中でやけに神秘的に見える。
 腹立たしいけれど、俺の、救世主。

「来月も俺と子作りしようね、兵助」




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