平和的開戦(鉢尾、久々鉢)*
※多角関係
「今日なんでそんな嫌がるの、へーすけになんか言われた?」
しどけなく笑っているのが、逆光となるこちらからでもよくわかる。
「ん、」
「……なんだ」
「ちゅーしよ」
鉢屋三郎は混乱していた。尾浜勘右衛門は膝立ちとなり、三郎の肩を押している。床へと靡かぬ三郎を不服そうに、けれど半分はいい気味、といった様子で、眺めている。
とにかく口を吸いたいらしい。三郎は寄ってくるその頬を両手で掴み、(勘右衛門は「うぶ、」と鳴いた)、「酔ってるのか?」と尋ねる。
ぱちり、まつげが上下する。造り物のような動き。
「ううん」
勘右衛門はなおも先に進もうと、三郎の上衣の袷を取って開く。
それに慌てたように立ち上がるも、今度は膝に飛びつかれ、三郎はたたらを踏む。よろめいた身体は物入れの襖にぶつかって、戸の奥でさらなる落下音を生む。
「……やべ、なんか落ちたかな」
「う、いたた」
「ま、いっか。兵助帰ってこないし」
何がいいのか。三郎はちっともわからないでいる。
兵助──久々知兵助に、好い返事を貰った。勘右衛門には、そう報告したばかりだ。あれから幾日も経っていないはずと、三郎は指を折って数える(もう一方の手では、後頭部を摩っている)。出来事と夕食のメニューと突合していっても──せいぜい四、五日前のこと。
「……私を馬鹿にしてるのか。」
「おっ。一発正解」
勘右衛門はまだ、三郎の膝に腕を回している。膝立ちになった勘右衛門が、頬を足の付け根に擦り寄せるのを見て、三郎はいよいよ表情を歪ませる。
「いいじゃん。それとこれとは別じゃん」
「別じゃない。いや、というか別……? 兎に角、」
「もうした?」
直裁さに慄くのは勿論のこと、このまま好きにさせれば、一気に形勢を──そんな予感がした。三郎は左足に体重を掛け、右足を上方に引き抜く。引き抜いて、勘右衛門が巫山戯てあげた女っぽい「ああん」の声を、蹴っ飛ばす。
「つれないの。」
暗がりに、胡乱な瞳がてら、と光る。自分だけがそれを捉えている。背筋が震える心地。拒絶しておいて、惹かれている──三郎はどちらかといえば、そういった自己を潔く認めることができる人間であった。
「したわけ、ないだろ……」
「ふーん」
「聞いておいてその態度ッ」
「いやあさ、なに、意外だなあって」
勘右衛門は手遊びをしながら、居住まいを正してゆく。三郎はそれに並んで腰を下ろす。乱れた衣を直すのは、無意識だ。
「もっとがっついてんのかと」
「それ、どっちが?」
「ご想像に」
手指をひらひらとさせてから、にんまりと笑う。立てた膝に頬を乗せ、こちらを見詰めている。
「三郎、」
じい、と、見ている。その、瞳のなかの虚(うろ)がまた、月明かりを集めて光るので、
「興奮してるでしょ」
虜になって、
「大丈夫、だって、今日は帰ってこないんだから」
頷くほか、ない。
〜〜〜
「……っ、く」
「好きだもんね、ここ」
腹を床に擦り付けるような動きが、尚のこと三郎の興奮を煽っていた。時たま顔を上げて微笑みかけてくるのに、どのように反応したらよいかが分からない。
「もうしんどい? 一回出す?」
「……答えて、たまるか」
「やっぱり三郎が下なの?」
「……お前な」
「言いたくないなら答えなくてもいいんだけどね。他所んとこの閨ってなんか、気持ち悪いし」
聞いている側をも忌々しい気にさせる声色だった。目を閉じて思い浮かぶのが兵助と、今相対している勘右衛門のそれだったので、三郎は軽く頭を振ってやり過ごす。
「それにおれ、……だよね」
肝心のところが小さくて聞き取れない。三郎は、勘右衛門の横髪を引っ張る。もう一度言うように促したが、それが伝わったかどうかは定かでなかった。
衣を開けた勘右衛門が、三郎の腰を跨ぐ。距離を縮めたついでに口を吸おうとしたのか、さらに顔を近づけてくるのを、強めの力で制す。
「やだった?」
「舐めたばっかりだろう」
「えーそれ、不公平だ。お前もお前の味を、分かち合うべきだよ」
耳を疑うような要求を突き付けてくるのは平常とかわりのないこと。三郎は勘右衛門のくちびるの合間に指を差し入れ、舌を掴む。
「ひっ。あに……」
「これで我慢しておけ」
言ってから、勘右衛門の背にもう一方の腕を回し、胸元に顔を近づける。舌を伸ばして乳首に当てると、曖昧な発語で高い声が鳴る。
「ひゃ、はひあ……!」
声には若干の抵抗が聞き取れる。触るたびに尖ってゆくのが愉快に思えて、何度か繰り返し舐めていると、勘右衛門は三郎の肩口に縋り、腰を戦慄かせながら押し付けてくる。三郎の指を舌でなんとか外へ追いやって、
「ああ、もう。じれったい……」
と、今度ははっきり、唸る。
「この脚を開けば、ほら、容易く入るのに」
「ほらじゃない、叩くなよ! いま、いれるから……」
弧を描くくちびる。恋しい。本音を打ち明けた者はほかに居るはずなのに、セックスがこんなにも気持ちがいいのがいけない。目の前で喉の白さを晒しているのは勘右衛門なのに、兵助に抱かれる自分のことを想像して、それで股ぐらが熱くなるのだ。
狂ってしまった。ほんの少しの自戒があって、勘右衛門の頬に辿る汗を、指の甲で拭うことをする。勘右衛門は、「動物、みてえだなあ」と、下卑て笑い飛ばす。あだっぽく、安心感があって、確かに人間のかたちをしていた。
「は、きもち……?」
「言わない。」
「……けち。お前はけちだ。おれと鉢屋の仲だろ」
抗議のつもりで、勘右衛門が三郎の睫毛をつまもうとする。それに三郎が目を閉じた時だった。
「誰と誰の仲だって?」
俄かに引き戸がきしみ、床板が沈む。二人の傍らには、忍装束姿の兵助の姿があった。
「お前、帰ってこないって……」
「うーん。その筈だったんだけど」
勘右衛門は、こういった際に妙に落ち着いた素振りを見せる。三郎はそれを見るに、自身の焦りが増幅させられるようで、暗澹たる気分に陥るのであった。
「邪魔をして悪かった。どうしても着替えたくて」
「また忘れたの? お前はほんとに」
言い合いの渦中、三郎は突如、置いてきぼりを食らったように思う。念の為に触れておくと、二人の身体は繋がったままである。
「三郎? なんでそんなに慌てて」
「だ、だって……」
なぜ、兵助はきょとんとして、勘右衛門は平然として、いられるのだろうか。しどろもどろになって、三郎はなんとか口を開く。
「だって私たち、その……恋仲、だろ?」
くらくら。自分がこんなにも情けなくなれるなんて、思いもよらないことであった。しっかり服を着こんだ兵助の視線も、なんだかとても冷たいもののように思えてくる。
「……あ〜、じゃあ、うん」
「へ?」
「うん。だから。付き合う?」
──わけがわからない。それをそのまま口に出すと、横から勘右衛門が、「あ〜。兵助、さすがにそれはねーわ」と、挟んでくる。
「『付き合う?』って……。なんなんだよ…………。」
「や、だって。俺もお前のことすきだし」
「怒るな三郎、許して! ね! おれに免じて!」
怒るのはこの場合、内密に閨を共にされた兵助の方なのであるが、そんなことはとうに、差し置かれてしまった。
「兵助。きみ、そういうとこだぞ」
「そう? 自分じゃわからないけど……」
「ほめてない!」
「そも、将来が重くのしかかってて、セックスどころじゃないんだ」
「だってさ〜。しみったれてやがんの! 実に兵助らしい!」
「…………。」
「どうした、三郎」
「まあ落ち込むのもしようがないな」
じき、この奇妙な逢瀬もお開きと相成るのだが、残る二人に「これからもよろしくね。」と宣う勘右衛門に、三郎の開いた口は、ふさがらなかったという。