失うものなどもう何も(五年)


※現パロ、多角関係、没により未完


 午後三時からの講義に学生が集まるのであれば、それは期末が近いから。一般教養のコマですら捨ての一手を選択できない。おお、なんて花のない人生よ。
「おーおー来なすった変態御坊ちゃま」
「その御坊ちゃまに頼らなきゃ過去問解けない体たらくの皆の衆、おはよう」
さわやかな笑みとアジリティ。気取ったふりをして、四本揃えた指と手のひらを軽く揺らし、席に着く。汗ばむ初夏に長袖、手ぶらである。再度正すが、午後三時である。「おはよう」には、まだ早い。
 御坊ちゃまこと鉢屋三郎は、後から現れた割には許可も取らず、満席の四人掛け、右から二番目に入り込む。せま! せまいわ〜。和気藹々を演じて狙う女性受け。これは今世紀不変のトレンドなので致し方ない。
「大体なんなんだよ監禁って」
 女子が引いてるよ、と付け足すは、尾浜勘右衛門である。女子でなくても、監禁と聞けば大抵がこめかみを引きつらせるのだ。だから、あまり意味の深くない付け足しだった。
「何って、趣味? おい竹谷、ノート」
 三郎は、右から四番目、言い換えれば左から二番目の男子学生に向けて、すっと腕を伸ばす。要求を受けた側の学生は、名を竹谷八左ヱ門という。
「俺はノートじゃねえぞ」
「竹谷くん、ノートのコピーをくれたまえ」
「コピーぐれぇ自分でしろ!」
案の定、八左ヱ門はノートを投げつけた。周りの女子は引いている。
「ひっどーい私ここ、アザあるのに」
 三郎がそう言って左の手の甲をのぞき込むので、隣の勘右衛門は肘が当たると抗議する。
「自業自得なんだよなぁ」
「まぁでも三郎、元気そうで安心した」
 僕は明らかに優しいです、といった雰囲気で右隣から微笑みかける学生が、不破雷蔵である。余談だが、明らかに優しいです、といった雰囲気を醸し出しているけれど、彼の趣味は火曜サスペンスの冒頭死亡シーンの録画収集だ。
「うーん雷蔵優しい! すき」
「ありがとう。今日は全部出て行くの?」
「いんや、このコマで帰るつもりですね」
 それなら早く過去問を解いて置いていきやがれと、左隣、そのもう一つ隣から圧力が飛んでくる。三郎はそれを、ぶん、ぶん、手のひらで振り払った。
「折角久しぶりに会えたし、どっかで食事でもと思ったんだけど」
「うーん。私、食事はご主人サマからしか摂らないからねえ」
「わー。きんも」
 白目を剥いた八左ヱ門が野次を飛ばす。小学生レベルの語彙だった。
「なんとでも言え」
「キモい通り越して見てみたい、ねね、おれらも行っちゃダメ?」
 これについては仕方のないことで、実は尾浜勘右衛門は好奇心に親を殺されたのだ。──失礼、彼の両親はなお息災で、郊外で冴えない服飾屋を営んでいることを述べておく。
「ダメに決まってるだろ」
「なんでだよー」
「愛が減る」
 この世知辛い現代において総量の定められた愛を、三郎はこの一身に受け止めようと──つまりは欲張っていた。
「なんで監禁に参加する計算なのヨ! 違うよ見学!」
 三郎と勘右衛門は活気よく押したり引いたりしているが、実はとっくに講義が始まっていて、雷蔵と八左ヱ門が真面目にノートをとっている。しかし、講師は冒頭で「まあここは筆記には出ないですけど私が喋りたいので」と注釈を入れていた(非常に小さい声で、その声は三郎と勘右衛門の立てる騒音でかき消された)ので、ノートを取る甲斐は一切、ない。
「ダメったらダーメー!」
「いいよ」
 ぼそ、と別の声が許可を出した。
「え、今だれ……」
「兵助じゃない?」
 一度に四つの視線を浴びて、並びの最左端にて(その半身はもはや通路にはみ出しており、辛うじて)机に頬杖をつく、久々知兵助は、まるで平然として、次のように言った。
「来たら?」
今、この世の誰もが考えていること、それは、「(なんで兵助が言うの……?)」であろう。じきに三郎が、「お前の決めることじゃない」と一蹴してくれる、周りはそう信じていた。
「……ハイ」
 その間およそ二秒。信頼は打ち砕かれた。
 驚きが生ずるには無理もない。鉢屋三郎は久々知兵助に監禁されている。大雑把ではあるけれど、まごう事なき事実だ。しかしどうだろう。彼らに伝達されていた(イコール、噂で聞いたところによる)情報は、「鉢屋三郎は監禁モノ好きの変態御坊ちゃまで、とうとう実技に手を出してしまい、それ故なかなか学内にも姿を現さなくなったらしい」という、極めて部分が限定されたものであった。
「おんどりゃああぁてめえ何で言わんかった兵助ええぇ」
「たまにだもん」
「もんじゃないもんじゃない、もんじゃないよ兵助。勘ちゃんびっくり! 嘘だよね? 嘘? 嘘。ハイ嘘〜」
「嘘じゃない。ちょっとはしてる」
「おわあああああああ。ごめんおれ、ちょっと、トイレ。トイレね」
 勘右衛門は、五人が四人掛けにぎゅうぎゅう座っているところのど真ん中からどったんばったん抜け出していった。こんなに彼等が騒いでも、壇上の講師は目にもくれない。ぶつぶつ、小さな声でご自身の世界を繰り広げていらっしゃる。その世界とこの騒ぎの間とを、なんとも言えない隠微な若者たちの引ききる空気が埋めていた。口元を抑えて出口へ駆け上がっていく勘右衛門は、九号館講義ホールの注目の的であった。

〜〜〜

 三郎は監禁を受けている、のだが、それは大まかな話であって、久々に授業に現れた彼の外見が極めて健康そのものであることは、「監禁」の語感からくる荒々しさを説明し尽くしていない。
「そっちのほうが通りがいいから」
 と、兵助は弁解する。
「別に通んなくてよくないか」
 一歩後ろを歩く八左ヱ門が咎める。
「ナンキン、だと玉すだれみたいだしね」
 兵助の隣には雷蔵が居る。一行は、裏門に向かって移動していた。三郎は、「身体を虐めてくる」と言い、途中で別れて喫煙所の方面へ去って行った。
 テラスの下を歩けば、巻き上げられた湿った空気が彼らの前髪を揺らす。構内の地下には市営地下鉄が走っていて、季節を問わず風が強かった。
「最初は、荷物置き場にしてたんだよ」
「ああ、近いもんね、三郎んち」
 彼らの中では三郎だけが、少し家賃の張る北西エリアに部屋を借りていた。なぜ彼がそこに、身に余る1LDKを借りて毎月を維持できるのか、誰も知らなかった。
「ベッド使っていいっていうし、居心地よくて、入り浸ってて。そんで。」
「ふーん」
「ふーんじゃないだろ、めっちゃ端折られてんじゃん」
「ま、まあ、そういうこともあるかなぁって」
 普通とそうでないことの境目は、ひとによっては曖昧で、別の人間にとっては煌びやかなまでにはっきりとして、またある者にとっては、目の前に突然現れて大切な決断を迫ってきたり、そのように様々である。





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