(青の中の)プリズム(仙勘仙)


※没により未完です。


 蝉の声に連なって小道を歩いている。視界一面は青々とした田園で、状況も長閑なものだった。請け負った仕事の重要さを、まるで感じさせない。尾浜勘右衛門は、こちらの瞳を透かしてくるような薄青色の小袖を羽織っている。一方、立花仙蔵は、上下とも同系統の色で纏めた、言ってしまえば変哲もない服装で、勘右衛門の後ろを歩く。勘右衛門は時折、鼻歌に合わせて踊るように歩いたりもしていたが、くるっと翻って目があったとき、仙蔵が眉を上げて息を吐いたのを見て、そのうちふざけるのをやめてしまった。
 まだ朝焼けとも呼べぬ出立の折、仙蔵がその姿を咎めたらば、勘右衛門は自分の着物の前をピンと伸ばして見下ろして、「ううむ。まあ派手っちゃあ派手……派手の範囲にもよりますが」と曖昧な所感を述べる。続けて顔を上げては「しかし、僕らの出で立ちがそれほど、アレでしょうかね? 今回の先方は」と言う。すっとぼけたように声を出してはいるが、仙蔵はこれを勘右衛門の小さな反抗と捉えた。それとも、矜恃と言い換えた方が正確だろうか。確かに彼の言う通り、今般の標的は浪費家の唐変木と聞く。身なりは綺麗すぎても無駄にはならないだろう。要は、勘右衛門は勘右衛門なりに、挑む気概を整えてきたということであろうか。仙蔵はそうやって勝手に納得して、あとには特別何も言わないでおいたのだった。
 やがて、道の左手は切り立った崖、右手は竹林へと変わる。二人とも懐の地図を取り出すことはなく、頭の中で記憶してあった地形を思い描いている。山の周りを迂回する道に差し掛かったのだから、順調に往路をこなしているということだ。ふと勘右衛門が振り返り、仙蔵の方へ目線を飛ばす。何か言いたげのように仙蔵には思えたが、勘右衛門はただ鼻をスン、とならしただけで、また前になおり先に進み始めた。

「言いたいことがあるなら」
「はっきり言え、ですか」

 言い終わらないうちに、勘右衛門が続きを被せてくる。仙蔵は、ことばの消化不良にあたった感覚になって、口をもごもごと動かした。

「大したことじゃあないのです」
「言ってみろ、他に話題もないのだし」
「では言いますけど。……褒めて下さらないんですね」

 仙蔵には、勘右衛門の言ったことの意味が分からなかった。けど、分からないなりに、こう切り返す。

「褒める褒めないの話なら、私はお前のことは一目置いているが。い組の中でも成績よくやってきて、たまの合同実習でもソツなくこなしているように見える。今回私たちが組んでいるのも、その証左だと思っているよ」

 勘右衛門は、もらった評価についての礼は述べつつも、

「ただ、褒めろというのも違うかな。要は、先輩はほっとしているのかな、と思ったわけです。例えばですけど、おれは『今からこの山を登るぞ! どんどーん!』とは言わない」

と、肩の先からずっと高くまでそびえる岩壁を指して、言う。聞いていた仙蔵は、その言いぶりから何となく要領を得て、そしてゆるやかに、彼の胸のあたりはそわそわとしてくるのである。

「そうだな。お前は行きしな世間話と称して豆腐の話ばかりしないし、ここぞという場面で悩んだりもしない。忍務にはスパイスが重要だなどと言って悪戯めいたこともしない」
「まぁ、もしアイツらだったらアイツらなりに上手く纏めますがね」
「そうやって同輩のフォローも忘れないところもな。何しろ苗字がいい、山も福も村も富も含んでいない」

 それを聞いた勘右衛門は、「ハッハッハ」と大きく笑って、

「あーらら、いいんですかそんなこと仰って。どちらかと言えばそれは先輩ご自身の業に近いんじゃあ」

と、戯けて見せる。

「しかし意外なものを見た。なに、お前がそうやって売り込みしてこちらの懐に入ってくることだよ。近々学園で何かあったりするのか。例の、学園長先生の、」
「いいえ」

 また言いかけのところを被せてくる。けれど今度のには凄みがあった。成分は至って普通の声色なのに、その「いいえ」一言に、仙蔵はひっそりこころだけを慄かせる。

「おれの意思です、単なる欲望」

 勘右衛門は三度振り返る。木漏れ日を受ける小袖の白は眩しい。仙蔵の戸惑いまでも真っ直ぐに見つめて、彼はこう告げる。

「此度の忍務、ご一緒できて光栄です。立花仙蔵先輩」

 柔らかく握り取られた手、微かに口付けられた指先、その感触でほぼ全てを奪われて、残された僅かな思考で仙蔵は、「あ、項の汗が滑り落ちている。」と、見たままのことを思うばかりであった。


〜〜〜


 白けた顔で、「冗談です」と仰がれた。一体何秒、仙蔵の時間は止まっていただろう。それ故に、幕が開けてから後、二人で揃ってピリピリしている。目下、仙蔵は相手のことを「可愛げの無い奴」と考えていた。他にも幾らでも波の引かせようはあるだろうに、例えば、「なーんちゃって!」と照れたように笑ってみる、だとか。仙蔵にとって、生とはすなわち正確な予想とその着地点を辿る繰り返しであったので、相手が思う通りに動いてくれないのは、どうにも憎いのだ。気が立っているのはまるで足音に現れているし、収めるつもりもあまり無い。どうせ目的地までは単に移動をするだけで、ならば精々、おのれの行いの愚かさに苛まれるがいい──そんな風にして、前を往く勘右衛門を呪っている。
 呪われてしまった側の少年はといえば、対照的にひたひたと歩んでいた。時たま口笛などは鳴らしてみるものの、実は荷を渡した胸の辺りにこぶしを握っている。耐えている、或いは憂いている、周りからはどのようにでも見えた。ただ、それまでのように、余裕を振り撒くつもりがない(可能かどうかはさておき、少なくとも意思がない)ことだけは伝わってくる。少し細めた瞼の間から覗く黒い瞳が、二人の往く道を見据えている。

「立花先輩」

 仙蔵にとって、精神をつんざくような声がする。内心うろたえているが、表に出すわけにはいかなかった。何せ相手は後輩なのだ。たかが一年、されど一年。比肩されたつもりなど、毛頭なかった。

「幾ら睨むなと言おうと、やめるつもりはないのでな」

顎あたりに掛かる葉を叩こうとし、しかしそれは竹の葉であったことに思い至って、結局指で摘んで丁寧に払い除ける。仙蔵は自己を叱咤した。思う壺じゃあないのか、とか、そもそも思う壺と思わせる味方ってどうなんだ、とか。考えはたちまちに飛躍した。捉えようがない。──そう、玉虫色。言語化するのであれば、その表現がふさわしく思われる。

「立花先輩」

 勘右衛門はもう一度彼を呼ぶ。ついに呆れかえったか(そんな権利はない、と仙蔵は思っているが)、それとも不戦協定を結ぶ気か(当然持ちかける立場にない、と仙蔵は思っているが)。
 勘右衛門の歩みが止まっている。流石に不審に感じられて、追いつき横に並んでから表情を伺おうと覗き込む。口をぽかんと空いたまま、瞳の表面に膜を張り、まるでこころを何かに捕らわれたかのように、否。

「……虹だ」

 きっと、捕らわれてしまったのだ。


〜〜〜


 とうとう仙蔵は目に見えて項垂れた。気丈がめげた、あるいは負けを認めたと言い換えてもいい。それほどまでに勘右衛門の涙は美しく、そして奇妙であった。

「勘右衛門お前、今日変だぞ」
「おれは何時でも変ですよ、立花先輩から見たら」

 勘右衛門は、打って変わってけろっと開き直っていた。露の滲む草の中をしゃく、しゃくと進んでいく。仙蔵はその顔面を殴りたくなった。そう告げれば、勘右衛門は上目遣いにて「やってみてください」と語り、まるで興味を隠さない。そこで仙蔵が頬をつねる。「いたい!」と勘右衛門が嘆く。機嫌の良い叫び声であることを仙蔵が訝しむ。そういう趣味はないのだと勘右衛門が拗ねる。ちょうど勘右衛門が泣いたその後から、道があってないようなものになったことも手伝って、二人は並んで歩くようになっていた。勘右衛門が涙の跡を拭おうともしないのを、仙蔵は気にしていたが、やはり指摘することはできなかった。

「しかし、東は雨ですか」

 宙空に翔ける蝙蝠と雨上がりを見てから、次第に雲へと追いつく可能性へと勘右衛門は言及した。天候は忍務の内容に直結する。作戦指示では第一に爆破、第二に遺棄とあったことを、仙蔵は思い返す。当地の雨脚が強いのならば、当然第二の策を選ばねばならぬ。

「ま、立花先輩がいらっしゃれば、」

 足の長い草をかき分けて、息は弾んでいる。されど、こころはどうか。一呼吸ののち、勘右衛門がこちらを見やって、

「なにがどうあれイチコロです」

そうして覗いた表情から、再び気楽さが抜け出していることを知り、仙蔵は足を止める。

「不安か?」
「先輩がそう尋ねてくださるのは、」

 二歩先で勘右衛門もまた立ち止まって振り返り、

「単なる指導であるとか、親心ですか、それとも、」

また言い淀んで、目を伏せて、

「見てくれているのですか、おれを」

そうして、沈黙が二人にあく隙間の全てを覆った。射抜かれて動けなかった。仙蔵は思った。自問した。咎められているのは、自分の方なのか、と。だとすれば──しかしその思案の先は真っ暗で、仙蔵には何も見えない。

 それでもやはり、彼に再びの光を差したのは、当事者であるはずの勘右衛門であった。

「冗談ですってば」

 ぽかんと口を開いた仙蔵の眼前で、勘右衛門が手をひらひらと振る。

「おれ、懲りないでしょう」

えへへ、と勘右衛門が笑うので、そこで漸く仙蔵は許されたような気を覚える。それを気取られたくなく、僅かに呼吸を動かした。

「……お前ならば、次にやったらどうなるか、分かってくれると思っているよ」
「はは、おっかない」

 しかし、どうして己が許しを乞うているかが分からない。──乞うべきなのかどうか、それも判断がつかない。思えばずっと、張り詰めているのだ。一瞬たわみ、しかし思えどすぐに打ち捨てられてしまって、その繰り返しだった。だから結局は疑った。彼は隠しているのでは、自分に言えない何かを抱えているのではないか、と。それなのに、雲間に上がり始めた月を背負う勘右衛門の瞳は光り、その事実はジリジリと仙蔵の心を焼く。そして、堪えきれず振り返って見た、青を藍に浸したような空は、後に彼が知る後悔に近い、そんな色をしている。



 事前に報告があったとおりの、賑やかな街だった。絶え間なく落ちる雨粒の間からでも、ここから見える先全ての灯りが見える。開く傘、閉じる傘、行き交いの絶えない通りの端で、仙蔵は勘右衛門の髪を掴む。

「お前、女と男どっちがいいんだ」
「女ですね」

 引っ張られて、「あいたた……」と囁かれた耳の辺りを抑えている。それでも即答だった。仙蔵はフッと笑い、「まあそうだろうな」と承諾するので、勘右衛門は「いいんですか」と確かめる。

「ただし私が決めるからな」

 それを聞いた勘右衛門の表情は(引っ張られて乱れた頭髪を整えることに執心して既に歪んでいたのだが、さらに)歪んだ。

「ほら、あの如何にも美しいですよという顔をして立ってる、そこの店の前の、そう其奴、あたりかな」
「えぇ……美しい、ですかぁ?」

 閃光。しかし、睨み合う、と言い切るには仙蔵の眼力が勝っていた。瞳が、この期に及んで下らぬ揚げ足取りか、と語っている。「おれが思うに、」と口答える気満々の勘右衛門は切り出してから、

「美しさってのは、他人を拒むべきって」

と言った。ポツリと落とされた言葉は、ひとつひとつが街の湿った空気に同化していくようであった。

「ああ、おい、女が行ってしまう」

 その女は、髪が短く首は長かった。傘を畳む仕草に合わせて肌が暗がりに白く浮く。仙蔵は女について不気味な感じを覚えたが、勘右衛門は追加の金銭を仙蔵に要求し受け取ると(なんでも、「美しいってお見立てなら、きっと高いでしょうから」ということらしい。仙蔵には屁理屈にしか聞こえなかった)躊躇も見せず女に近寄っていく。


〜〜〜


 笑顔であった。勘右衛門のことだ。仙蔵は暫くのうち、この夜に似合わぬ楚々とした空気を帯びた二人を物陰から観察し、言うに言われぬ後ろめたい気分になった。店内の入口辺りで、何やら呑んだり、菓子を分け合ったり、とても初対面には見えない二人である。

〈ええい、何をこそこそと見定める必要がある、もう五年だぞ。方便を使って私からくすねた銭で菓子を食ってることを除けば、諜報員として申し分ない動きに違いない。なのに、何故……〉

 大きく息をつく。荷車を引いた男が怪訝そうに仙蔵の顔を見た(それでも袖も裾も捲った格好で、足早に駆けていく。車の跳ねた水しぶきは仙蔵の腰の高さまで返ってきた)。どうして──考えても答えが出ないことは端から承知だ。しかし、この暗澹たる心地を抱えながら自らも諜報にあたる気には、しかも相手は男がくれば、尚のこと。

「ん、待てよ」

 なにもわざわさ男娼を買いに行く必要があるであろうか。そもそも、「二人行動の折にはそれぞれが男と女に取り入るべし!」とは、古くから上級生になると伝えられる暗黙のしきたりであって、仙蔵も四年次の秋口あたり、当時の先輩からふわりと聞かされたにすぎない。五年と六年で忍務にあたれば、染み付いた規律に自然と従って、街に着いたら話し合うものあり、クジを引くものあり、もちろん有無を言わさず上の学年に決定権がある場合も、しばしばであった。先ごろの仙蔵はさらりと譲ってやった形にはなっていて、勘右衛門もありがたくそれに乗っかった、という運びではあったものの、その原因は仙蔵の懐が深い訳では決して無く、到着までのあれこれが影響し、仙蔵にそうやって行動させた──そして勘右衛門もおそらくは、その罪悪感の存在に気がついて、しかし黙って譲られたのだろう。そう考えると、仙蔵のこめかみはますます重くなった。
 とにかく、男を買う必要はない。なんなら自分も商売女に声を掛けようか。勘右衛門は違反だと咎めるだろうか。──いや、あの調子の勘右衛門では、文句すら言ってはくれないだろう。そう案じて、肩を竦めながら、勘右衛門と女が一本の傘を分け合って消えていった方角とは逆へ向かう。


〜〜〜


 結局仙蔵は街の外れの傘張りを尋ね、「旅の者だが、手持ちの傘がくたびれてしまって」と用意した嘘を伝え、一晩世話になることにした。耳も目の焦点も遠い老爺であった。店が目的の屋敷へ定期的に出入りしていることを確認し、「それであれば泊めてもらう礼ですし、直近の務めは自分が」と引き受け、「はい、早速明朝にでも」と取り付ける。雨は幾分弱まっても、未だに屋根板を叩いていた。目を閉じて聞き入って、今頃の勘右衛門もこうしているだろうか、あるいは雨音も聞こえぬ程に──そこまで考えてから急な苛立ちを覚える。まるで屑繭を眺めているかのように、おのれが恥ずかしかった。寝入って数刻の店主を起こしてしまわぬよう細く絞った息を吐き、合わせた前歯に一頻り力を込めたあと、カッと瞼を開く。

〈心配なのだ、要は。では、それを言うのを躊躇うか? 分かり切ったことだ。情けなく感じることこそ、おのれを劣ると認めるようなもの。偉跡でなくても、青かろうが拙かろうが、言葉で導いてやればいい〉

 二人が夜半に落ち合うこととした、その橋の下を流れる川の流れは、雫を取り込み膨らんで、勢いをさらに増していく。





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