エレベーターと外国人

 京の後ろについて歩きながら、改めて辺りを見回してみる。
 メゾンドエントーレ。意味は分からないが、よく分からない横文字の響きがなんだかおしゃれな印象を醸し出す。確か、建物名などでよく見るメゾンとかコーポとかって「家」という意味ではなかったか。生憎と何語かまでは記憶していないが、響き的にイタリアという感じがする。これでも昔はそれなりに成績上位だったのだが、勉強は継続してこそである。
 何階建てからを高層と呼ぶのかも知らないが、目測で十階建てくらいだろうか。1フロアあたりの部屋数は二十室ほど。
「そういやお前の部屋は?」
「俺は二○三やで。階段でもええねんけど、きっさんの荷物もあるよって楽してこか」
 広々とした駐輪場の中を進み、エレベーターホールへと上がる。エレベーターは現在移動中。六階のランプが点灯していたが、程なくして七階のランプに切り替わった。どうやら、一階に来るまでには未だ当分かかりそうだ。
 エレベーターの脇に掲示板があり、幾枚かのお知らせの用紙が掲示されている。風邪の注意喚起や次回の廃品回収についてなど、掲示内容はごくありふれたものだ。
「京はここ長いのか?」
 なんとはなしに質問を投げかけてみる。
「んー、大学卒業してからやからそんなにちゃう? 2,3年とか」
「それなりじゃん。一人暮らしだよな」
「せや。元々叔父さんがここ住んどって、居候って形やってんけどな。一昨年くらいに海外行くーとかって飛び出して、それから一人」
「叔父さんって俺知ってる人?」
「んー、どやろ。ガキん頃何度か遊びに来てくれとったけど、自分会うたことあったかなあ」
 うーん、と首を傾げ考える幼馴染の姿を見ながら、久しぶりに聞く地元の言葉に何処と無く安心感を覚える。高校入学と同時に上区して以来、まわりに方言を扱う奴はいなかったのだ。次第に俺の言葉からも地元色は抜けてしまって、帰省するたびにそこをつっこまれたりもする。
 俺は十年近くここにいるせいですっかり染まったが、こいつの言葉は果たして標準語に染まるだろうか。
 そんな話をしているうちにエレベーターが降りてきた。一階のところにランプが点灯し、扉が開く。
「おや、若藤サン!」
「あー、どうも」
 エレベーターに乗っていたのは、背の高い外国人だった。黒い神父服に身を包む彼は、人のよさそうな笑みを浮かべ京にひらりと手を振っている。ふわふわの淡い藤色の髪が片目側に流れているが、その奥で細まる瞳は紫水晶を彷彿とさせた。
「オット、そちらの方ハ? ご友人デスカ?」
非常にカタコトではあるが、外人は大きな瞳を瞬かせながら俺へと顔を向ける。
「あ、うっす。樹内良介っていいます」
「友人っちゅーか幼馴染っすね」
「オー!オサナナジミ! めっちゃ素敵ヤーン!!」
「え、方言?」
 突然聞きなじみのあるイントネーションが飛び出してきたことに驚く俺をよそに、外人は突然俺へと抱きついてきた。驚きすぎて回避できず、気づけば自分より頭半分くらい背の高い成人男性の腕の中。助けを求めようと京に視線を投げれば、彼はスマートフォンのカメラを俺に向け、真顔で写真を撮ろうとしていた。
「お、おい、京!」
「友人の友人は友人デース! 人類皆ブラザー! 私はセルシオ・リエラ・サルディネロと申しマス! 月夜ばかりと思ウナヨ!」
「は?」
 ようやっと俺から身体を離した外人、セルシオさんは、最後になんだか物騒な日本語を楽しげに添えて親指を立てた。この人、意味分かって言ってるんだろうか。
「オオット! そんな話をしている場合じゃアリマセンネ! ヘソで茶が沸く前にトンズラシマス!」
 セルシオさんはその姿が見えなくなるまで腕を大きく振りながら走り去ってしまった。
 なんだか無駄に疲れてしまったので、大きく息をつく。一連のやり取りが終わるまで一切介入してこなかった薄情な幼馴染は、いつの間にかエレベーターの中に入っていて、内側から扉を開き待機していた。きっと睨めば、にっこりと整った笑顔が返ってくる。
「薄情もん」
「何を今更」
 俺はため息ひとつ吐いてから、エレベーターに乗り込んだ。
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