リストラとリスタート

 樹内良介。二十六歳。彼女なし。
 特筆することのない、至って平凡な成人男性。
 職業は、いわゆる木こりというやつで、少し前まではT地区13エリアの「みどり組合」で働いていた。業務内容まで事細かに説明する必要はないだろう、一般的に木こりと聞いてイメージする内容で大方合っている。小さな頃から木こりになることが夢で、念願叶って低賃金の社畜生活だ。別に後悔しているわけじゃない、多分雇われた先がブラックすぎることが問題だったのだ。それも、全て過去の話なのだが。
 というのも、つい先週リストラにあったのである。
 正直いまだに信じられない。いや、信じられるわけがない。確かに前々から人件費を削らないとまずいだとか、上の人間が頭を悩ませていたのは知っていた。誰かが近々切られるのはなんとなく予想していたし、下っ端から切られていくなら俺も充分リストラ候補の一人に入ると思っていた。とは言え、とは言えだ。


 どうしてある日突然職場の山が火事に遭う。


 もうわけがわからない。ある日出勤したら事務所に誰もいなくて、慌てて作業着に着替えて職場に出たらみんな伐採とかじゃなくて消化活動に参加している事態。色あせた紺碧の空に黒々とした煙が湧きたち、時折風が強く煽って炎の勢いが増す。目にしみれども怯まずに、消防隊の皆さんと一緒に懸命に火を消してまわって、やがて全て鎮火しきった頃には、それは山などと呼べない丸焦げの「何か」と化していた。
 主な仕事場がそこだっただけに社としての損害はあまりにも大きく、色々あって職を失った。もう最悪だ。
 これを機に故郷に戻ろうかと実家に電話したところ、どうやら幼馴染が同じくT地区にいるという話を聞き、連絡を取ってみたら、
「なんやきっさん、せやったら俺の助手なりぃや。俺今私立探偵してんねんけど、きっさんやったら気兼ねなくパシれるわ」
 などという、非常に失礼なコメントを頂いたわけだが、社会人はじめて数年。収入のない生活に多大な不安を覚えていたのも事実である。仕方なく幼馴染の誘いを受けることにし、ついでに彼の住んでいるマンションを紹介してもらうことになった。



「で、ここで合ってるんだよなぁ……?」
 T地区36エリア1番に位置していたのは、横にも縦にも広い大きなマンションだった。白を基調としたデザインではあるが、深い木目調の装飾がところどころになされており、上品な印象を受ける。
駐輪場、多段式の立体駐車場、さらに奥に見えるのは……集会場だろうか? 体育館だと言われても頷けそうではあるが。
幼馴染からのメールに書かれた住所を何度も確認する。グーグルマップと照らし合わせても、どうやらここで間違いなさそうだ。と、入口の脇に立ってある看板が目にとまる。
「メゾンドエントーレ……?」
 なんだかよくわからないが、おしゃれな名前だ。家賃も安い、と聞いてきたが、幼馴染と俺の間で金銭感覚が大きく異なっている可能性も否めない。
 急速に不安になりながら、とりあえず幼馴染に電話しないと、と通話のボタンをタップしたと同時に、
「きーやん?」
 呼び出し音の鳴り出すスマートフォンを片手に顔を上げると、同じくスマートフォンを握りしめた赤メッシュの青年がそこに立っていた。久しく顔を見ていないが、非常に整った顔立ちと、少し長い下まつげには見覚えがある。
「京!」
「なんやあ、えらい早うに来てんなぁ」
 訛りの強い話し方をする彼は若藤京という。先ほどから何度も話に出した幼馴染、とはこの男のことだ。
 高校入学と同時に一人暮らしを始め、それ以来ずっと顔を合わせてはなかったが、すっかりイケメンに成長した点以外に大きな変化はないようだ。京は俺を見るとにっこり笑ってそばに駆け寄ってくる。ともすれば、再会を喜んでかぎゅっと抱きついてきた。俺も嬉しいので素直に抱き返す。
「お前かわんねぇなぁ」
「そういうきっさんはすっかりこっちの言葉に染まっとんなぁ」
「お前よりは長いこといるからな。お前は大学出てからだろ?」
「せやで。……っと、積もる話は置いといて、一旦部屋おいでや。これからの話も決めてかなあかんやろし」
 京に言われて、俺も慌ててスマートフォンをポケットにねじ込む。場所を確認するために、一旦置いておいた大きな荷物は、いつの間にか京が持ってくれていた。あまりの行動の早さに、これがモテる秘訣だろうか、なんてくだらないことを考えながらも、置いていかれないように慌てて京の後を追った。
prev * 11/27 * next
+bookmark