ニシヘヒガシヘ

見知らぬ場所
「ううん・・・」
身じろいで目をゆっくりと開ける。
ええーと、今何が起きた・・・?
何だろう、記憶が混乱してる。
(そうだ、私、あいつの部屋で経文を見てたら…)
「なんかしらんが経文に吸い込まれたんだった」
これ何の罰ゲーム?
経文に吸い込まれるって・・・。
私は霊能力を持つ身だから、世間一般で言われている非科学的なことには有り余る理解力のある人間である。でも、いくらなんでも紙に吸い込まれるって事例には行き当たったことがない。
「てか、ここどこ」
そこは薄暗いお堂だった。でーん、と菩薩様の像が鎮座している。気が付けば私は、ここの板の床に転がっていたのだった。
残像が目の奥をよぎる。翡翠色の光。その光に吸い込まれ、私はここに飛ばされたと考えるのが筋だ。
「神隠し・・・」
それ以外考えられない。神に仕えてる自分が神隠しとか。うっわー笑えない…。まあそれ以前に神様なんて信じてねーけど。私は霊能力者、と呼べる存在だとは思う。霊とか、人の念みたいなのは見たり感じることはできる。けれども神様とやらの存在を感じたことなど一度もない。
だから神様なんていないと思ってた。幼いころ、何度“お願い助けて”と願ったか知らない。けど、その祈りは届くことはなく、みくると私は傷を増やしていった。
(そう、思っていたんだけど……)
あの光……。神々しい、という言葉がピッタリだった。
じゃあ本当はいるっていうの?神様が。散々人のお願いシカトしてくれたくせに、なんかあるとこうやって神隠しですかこの野郎…。

神職なのに神を信じない冒涜に神がお怒りなさったのか、はたまた、おじいちゃんが常日頃口を酸っぱくさせているように、霊力で小遣い稼ぎをする私にバチが当たったのか。いずれにせよ、ハタメーワクに変わりはない。だって、私には守るべき、
「みくる…」
弟がいるんだから。


と、とにかく、ここを出ないことには始まらない。でも、このお堂を出たら変なモン来襲とかになったらヤだし…。
私はとりあえず今の装備を確認した。ブレザーやスカートのポケットをごそごそ探り、出てきたものは……


数珠(商売道具)
塩(同上)
生徒手帳
駅前で配ってた予備校の宣伝用のボールペン
携帯電話
食べかけの板チョコ


「ろくなモン持ってねぇー……」

と、とりあえずケータイ!!
かちゃん、とケータイを開くと、アンテナは赤い圏外という文字を写していた。
つ、使えねぇえええ!!
ふと周りを見渡す。お堂の明かり取りの向こうには深い緑……。
(山奥ってことか……)
山奥過ぎて電波が入らない、ってことですか…。
で、でもちょっと待ってよ、今の日本にエーユーのアンテナが立ってない場所なんてあるの?
幾ら山奥とはいえ…。
まさか、ここが現代ニッポンじゃない、なんてことはないよね?
どっかの異世界、なんてことはないよね?
神隠しは、ご近所に行っちゃう場合から、まるっきり別な世界に行ってしまう場合、とピンキリだ。私のケースがピンであることを願うばかり…。
「なんでここに連れてきたのよ」
私は、じっと大きな菩薩像を見上げた。当然、銅像が喋るわけもなく、何を考えているかわからない閉じた瞳で座禅を組んでいるだけだった。




呆然とたたずんでいると、ある可能性が浮かんできた。


……いや、待て待て。これ夢なんじゃ…?
さんざん装備の確認とかしといてあれだけど……だって、あり得ない。紙に吸い込まれるとかありえないから……!!

「これは夢だ!夢に違いねえ!!」
お願いこの夢早く醒めてー!!
ぼっかんぼっかん頭を殴る。頭なんで殴らなくても意識がはっきりしているなんて、自分でわかってる。だから、これは現実逃避……だなんて認めてやるかぁぁ!夢に決まってる―――!!
「このやろー醒めろ私――!!」
散々喚き散らし、床ローリングしていると、

「そこにいるのは誰だ!!」
ひぃっ!?
…って、子供の声…?
恐る恐る体を起きあげ振り向くと、入口に一人の少年が立っていた。

金色の髪に深い紫の瞳をした、年の瀬十歳前後の少年。女の子みたいに綺麗だけど、男の子だろうなぁ。散々、みくるの友達とかを相手にしてきたから子供相手には妙な自信がある私。が、少年はその小柄な体躯に似合わない風格の威圧的なオーラを放っており、鋭い紫色の瞳に睨まれると金縛りにでもなってしまいそうである。
でも、この少年というのが、これまた……
「かっ、かわいいーー!!」
「〜ッ!?」
たまらず駆け寄ってぎゅうっと抱きしめる。
「なっ、何すんだお前!離せ!!」
ガンっと少年の蹴りが私の脛を直撃した。
「あいたぁー!!」
ちょ、痛い!涙出たよ1ミリくらい!
たまらずしゃがみこんで脛をさする。

「当然の報いだろ」
言葉だけは少年らしからぬ口ぶりだが、顔なんか真っ赤にしちゃってまた可愛くってもう、
「もう何この子ー!可愛すぎる!!超可愛いんですけど!!」
みくるの次にだけどな!!

さっきのキックにもめげず頭をぐりぐり撫でながら、
「ねーキミ、お名前は?あ、チョコ食べる?」
「だから触んじゃねえ!!」
ぶうっと起こった表情で両手を振り回しているが、彼は私の胸より下までしか身長がないため、全く効果なし。
「ほらほら、チョコあげるから」
「んなもンいらね…もがっ」
口に無理やり詰め込めば、少年は一瞬驚いた顔を浮かべ、もぐもぐと咀嚼し、ごくんと飲み下した。
「あまい…」
甘い、って、チョコが甘いのは当り前…。この年の子供って、チョコだのスナックだの大好きなのに、まるで初めてチョコレートを食べたみたいな感想だ。
何となく違和感を覚えつつも、
「おいしい?」
顔を覗きこみ尋ねれば、少年はこくりと小さくうなずいた。金色の髪の毛が俯いた白い顔にさらりと揺れた。
うっわー凄い可愛い!息子にしたい!!母性本能をくすぐるために生まれてきたんだよこの子は!!
癒される!もう頭ナデナデしてあげる!!
「やっ、やめろってば!なんなんだお前は!人の名を聞く前にお前から名乗れ」
「姫子、宮野姫子だよ。キミの名前は?」
にこっと微笑んで見せると、彼はためらいがちに、だがはっきりと名乗った。
「江流」
こうりゅう、か……。
「そっか、いい名前だね」
わずかにだが江流は嬉しそうに目を細めた。
可愛いなあ。
でも、こんな悠長に構えてる場合じゃないかも。
(日本人の名前じゃないよね……)
江流。漢字が頭に浮かぶ。長江、つまり揚子江のことかなぁ…。だとしたら、ここは中国なのだろうか。
(中国……)
そういやあいつ、三蔵法師の経文とか言ってなかった?
あれガチで三蔵法師の経文だったのか?
だとしたら、飛ばされた先は西遊記に関連する土地かもしれない。
「…?どうしたんだ?」
考え込んでしまった私を、不思議そうな顔で江流は見上げた。
「あ、ううん、何でもない」
と慌てて手を振ったとき、
「江流、その人は誰ですか?」
ひょい、とお堂に人が顔を出した。お堂の外は、すっかり夕暮れどきだった。夕焼けを背に受けたその人を見て私は心臓が止まりそうになった。
白い法衣を着て、肩からかけているのは、
(あの経文だ……)
翡翠色の、経文……。
(これ、夢にしちゃあ出来過ぎよねえ……)
私は現実から逃避するのをきっぱり止めて、腹をくくった。
(なんとしても日本に戻ってやる……)
あの経文に恨みがましい視線を向けながら。


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