ニシヘヒガシヘ

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「お師匠様!」
江流は、ぱたぱたと経文を肩にかけた人へと近寄った。
「江流、この人はあなたの知り合いですか?」
「まさか!こいつ、勝手にここに忍び込んでいたんですよ!」
ちょっと待てえぇーっ!
おいいい何だその言いぐさはぁ!?さっきまで何だかんだ言って懐いてたじゃん!!
「忍び込んだなんて随分な言い方じゃない!私だってなんでここにいるのかわからないんだからね!」
「お前の存在のほうがわけわかんねえんだよ」
オイィィ!
……なんて反抗的な目。こいつ一生反抗期なんじゃねーの?
「あんたねえ、」
と諫めようとすれば、
「何かわけがありそうですねえ」
“お師匠様”はやんわりと私と江流の間に入った。
「貴女、お名前は?」
「こいつ、宮野姫子って言うんです」
こいつってなんだよ、こいつって。
「そう。では事情を聴きましょう、姫子さん、こちらへおいでなさい」
「お師匠様!こんな胡散臭いやつ相手にするんですか!」
………こいつ……可愛いのに可愛くねー!!
「江流、庭の掃き掃除は終わりましたか」
「…ぐっ」
“お師匠様”はフッと微笑み、
「お願いしますね」
江流は会釈すると、お堂から出て行った。
残された私とお師匠様。
お師匠様は江流を見送ったのち、お堂の真ん中あたりまで歩を進め腰を下ろした。すごい綺麗な正座だ…。
ていうか、この人…額に赤い印がある……。
インドの女の人みたいな…。

「どうぞ、お坐りなさい」
お師匠様はにこりと口をあげ、丁寧な手つきで自分の前を指した。
「失礼します」
自然と敬いの言葉が出てしまう。さすが師匠…。なんの師匠だか知らんけど、経文を肩にかけているということは、お坊さん?じゃあ江流は小坊主?はたまた、この人のお稚児さんなのか……。
あれやこれや推測していると、お師匠様が口を開いた。
「推察するのもご面倒でしょうから、私たちのことをお教えしますね」
ギクッ。心読まれた?いや、私カオに出てたかも。
「私は光明三蔵です」
さ、さんぞー……。
いやあ、これはガチですね…でも、今の時代にも三蔵法師という位が引き継がれているのだろうか…?歌舞伎の襲名みたいに。
そうじゃなかったら、ここは本物の―――
「先ほどの江流は私が河で拾ってきましてね、はは、夜伽のあるような関係ではありませんよ、あれは私の弟子でしてね……私以外には心を開かない頑固な子でしてねえ、けれど―――」
けれど?
三蔵法師はふふっと微笑み、
「あなたには随分と懐いていましたねえ」
………そうかぁ?
「いやぁ、私も初めは懐いてくれたかなーなんて思ってたんですけど、勘違いだったみたいです」
「さっきの口喧嘩のことですか?」
こっちの考えはすべてお見通しですね…。
思わず私は苦笑した。
「彼はね、本心を決して他人に明かさないんですよ、文句でさえね。ところが貴女には何の臆面もなく言ってのけていたでしょう。あれはとても珍しいことなんです」
そうなんだ……。
「彼が心を開いている証拠ですよ。
……さて、今度は貴女のことを教えていただきましょうか?」
ここで己の素性を明かしていいものか…。だけど、三蔵法師の肩にかかってる経文がキーになっているのは確かなわけで……。
それに、この人は信用できる人だと思う。

人間というのは“気”をまとっている生き物なのだ(訓練すれば、それを形に変えたり、呪文を唱えることで増幅させたりすることができる。まあ、それもそういう才能のある人に限るわけだが)。
それが“気配”というもの。その人の意識の在り方によって、それは清らかだったり邪まだったりと雰囲気を変える。
三蔵法師は柔和な笑みをたたえ、まさに仏に仕えている人間と誰もが納得できる雰囲気を醸していた。

―――私は重い口を開いた。
「実は…経文に吸い込まれまして…」
「経文に吸い込まれた?」
「ええ、おそらく今、光明三蔵様がおかけになっているものだと思うんですけど…」
「しかし私はこれを、もう随分と長く身に着けております。誰かにこれを貸したことはありませんが…」
……うぅ…どう説明すればいいんだ…。
「あの、確認したいのですが、その肩にかけられている経文って聖天経文ではありませんか?」
「ええ、これは聖天経文です」
やっぱそうだよねえ…。
「聖天経文は一つだけですか?」
「天地開元経と呼ばれる五つの経文があります。そのうちの一つが聖天経文。しかし同じ経文が複製されたことはありませんし、これからも不可能でしょうね」

もし聖天経文二つ存在したのなら単なる場所のワープということになる。クラスメイトの持っていた、日本にあった聖天経文と、今ここで光明三蔵がかけている経文の間での位置間を移動した、ということ。
でも聖天経文は二つも存在しないらしい。ってコトは、別の時代の聖天経文か、はたまた世界そのものが違うということになるわけで……。タイムワープか、ワンダーランドか、さぁ、どっちだろう。
「あの、ちなみにここはどこですか」
「金山寺です」
「(そういうんじゃねぇ…)えーっと、何省にあたります?」
「省?ここは桃源郷という国ですが…」
とっうっげん……
(桃源郷だとぉーーー!?)
あー異世界の方か…。これは本当に西遊記の世界に入り込んでしまったということなんだろうな……。
じゃ、この人は本物の三蔵法師で、三匹の妖怪を連れて天竺へ…行ったあとなのか、これから行くのか……
「あの、天竺へはもう行ったあとですか?」
「天竺?はてさて、いったい何用で?」
まだ行ってないのか…。
「いやあの、凄い経文があるとか」
「経文なら、ここにあるじゃないですか」
くすくすと、三蔵法師は肩を揺らした。
……あれ、なんかお話と違う?
「悟空、猪八戒、沙悟浄って妖怪、知ってます?」
「何ですか、それは」
「いや…天竺ツアーのメンバーっていうか」
「天竺へは行く理由がないと申してるじゃないですか。それに、あそこは岩と砂しかありませんよ」
のほほんと返されてしまった(いや元々彼の喋り口調は恐ろしくスローだ)。

天竺に行かないってことは……これ西遊記の世界ともちょっと違う?
ってことは、単純に三蔵法師のいた時代に飛ばされただけなのか…いやいや、さっき桃源郷とか言ってたし…あれ、でも桃源郷って天国のことじゃなかったっけ?ユートピア的な。あぁーもう、わけわかんない!!
ただ、ひとつわかることは……
「あの、光明三蔵さま」
「はい」
「…信じられないと思うんですけど、」
「ふふ、どうぞ、お話しください」
「…私はここの人間じゃないっていうか、もう一つの聖天経文を媒介して、ここに来たんです」
「もう一つの聖天経文?」
「ええ、別な世界にもあるんです、その聖天経文が。私は自分の世界で、聖天経文に触れました。そうしたら経文が光りだして、気づいたら私は、このお堂にいたんです」
「ふぅむ」
深く考え込む光明三蔵さま。
「ならば、もう一度、聖天経文に触れればいいのではないでしょうか」
「た、確かに…!!」
あー何で気づかなかったんだろう!!
混乱してて全くそこまで頭が回らなかったよ…。
で、でも……。
「さあ、どうぞ」
光明三蔵が肩に手をかけた。
「あ、あの、」
私はおずおずと声をかける。
そこで光明三蔵の動きは止まり、
「どうかしましたか?」
「……信じるんですか、今の話」
胡散臭い女…江流、それ、当たってる。
私は、床に視線を落とした。
すると頭上からは、
「信じますよ」
思わず頭をあげる。そこには何とも柔らかい笑顔があった。
(江流がこの人にだけ心を開くの、わかるなぁ)
私はにっこりと肩から外した経文を差し出す彼を、なんだか安心した気持ちで眺めていた。


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