ニシヘヒガシヘ

聖なる経文
高校のブレザーの制服に埃がついていないことを確認し、鞄をひっさげる。
「行ってきます」
私はこの言葉が好き。帰る場所があって、そこに自分を待っていてくれる誰かがいる証拠だから。
まあ、その誰かってのが、
「さっさと行って来い。また変な依頼引き受けたら承知せんぞ」
枯れかけたジジイでもな。
「じーちゃんは、まーた堅いこと言って。せっかく霊能力あるんだから使わなきゃ損だよ」
「こんのたわけ!その力はこの神社を守るためであって、お前の小遣い稼ぎなんかに使うんでない!先祖からバチが当たる!それにお前はろくに巫女の修行もせんと」
「あー、はいはい。みくる、学校行こう」
「うん、お姉ちゃん」
「コラ、まだ話は終わって、」
「学校遅れっから。じゃ」
おじいちゃんは、まだ何か言いたげだったが、姉のひいき目なしでもミキハウスのモデルみたいに可愛い小学一年生の弟が、にっこり笑って、
「おじいちゃん、行ってきまーす」
って手を振ると、さっきまで私に説教してたあのツラはどこへやら。気持ち悪いほどの猫なで声で、
「気をつけるんじゃぞ、行って来ーい」
・・・ジジイ、みくると扱い違いすぎんだろ・・・。

ランドセルを背負ったみくると手をつないで、家を出る。少し大きめの日本家屋。その理由は、庭先からすぐ見える神社が私有であるためだ。私とみくるの両親の物ではなく、おじいちゃんが神主をやっている。私と弟を捨てた両親が今どこで何をしているのか、その行方は誰にもわからない。


神社を通り過ぎ、表通りに出ると近所のお母さんが交通指導で黄色い旗を持って道路に立っていた。
「あら、みくる君、いいわねえ、お姉ちゃんと一緒で」
みくるは子供モデルみたいにかわゆい容姿なので、知らない通りすがりのオバサンに挨拶をされることも多いけど、名前まで知ってるってことは、みくると同じ学級のお母さんなんだろう。お母様の間でアイドル化していると別なお母さんが言っていたっけ。
「うん、いいでしょー」
にこにこと、みくるは私の腕にまとわりつく。こいつは本当に可愛いヤツだなあ。姉はいつも思うよ。
「どうも、うちの弟がいつもお世話になってます」
ぺこりと頭を下げると、
「いえいえ、お姉ちゃんもご両親がいなくて大変でしょうけど、頑張ってね!」
・・・この人に悪気はない。それはわかってる。俗っぽい興味本位と、同情による甘い優越感を無意識に貪ってるだけ。でも、そんな無神経なクズは時々ぶん殴りたくなる。
が、そんなん表に出しても面倒なだけだと、十分わかりきったこと。
「ええ、ありがとうございます」
と表面だけの笑顔を浮かべれば万事うまくいく。
みくるを守るためだったら、嘘の笑いなんて幾らでも出せますから。
欠けた二人の親代わりに私が弟を守ってくんだ。



子育てなんて小動物でさえできるというのに、なんでそれがうちの両親にできなかったんだろう。

父親はギャンブルに明け暮れ、母親はご飯も作らず虐待三昧。

よくママに蹴られてた。

「なんで子供なんて産んじゃったんだろう」


そのたびに私は

(なんで産まれちゃったんだろう)

って思ったっけ。

蹴られて殴られて怒鳴られて。
ずーーーっと朝から晩まで。

でもそれにも終わりが訪れる。

みくるが生まれたのだ。


―――標的はみくるに移った。

今でもはっきりと思い出せる。
母親にぶたれてつねられて、泣きじゃくる二歳のみくる。
私は当時小学生で、自分の身を守るだけで精一杯で、夜遅くまで公園に一人でいたっけ。
幼い弟が、あの家で母親にどんな虐待を受けているか、知っていたのに・・・。

私が姉の自覚を持てたのは近所の人が児童相談所に通報して
うちの両親が、やっと私たちをおじいちゃんに預けたあとだった。

つまり、両親が私たちを捨てた後・・・。


腕に、腹に、紫色に浮かぶ痣。人形のように表情を無くしたカオ。そんな“あってはならないモノ”を見て初めて、私が守らなきゃ、って思ったんだ・・・。

ずっと、逃げてた、あの家から。

みくるに矛先が向けば、母親は私を放ったままでいてくれる。

でも、それは、自分を守るために、みくるを犠牲にしていたんだ・・・。



(ごめんね、ごめんね・・・)

何回謝っても、謝り足りない。
私が守らなくちゃいけなかったんだ、みくるを。

たった一人の味方にならなくちゃいけなかったの。


なのに、逃げて逃げて逃げて、

みくるの心と体に傷を負わせてた
なんて酷い姉だろう。

ごめんね、みくる・・・。

でも、これからは、私がちゃんと守るんだ。

もう寂しくて悲しくて辛い思いはさせないよ。




「ぼく、ママとパパがいなくても寂しくないよ!だって、お姉ちゃんがいるもん!!」

弾ける笑顔で交通歩道のママさんに応えるみくる。

「今日はねーキャラ弁作ってくれたのー」

にこにこ顔のみくる。この笑顔を見るまでに一体どれほどの時間がかかったことか……。

みくるに残された家族が私なのだと気付いたとき、みくるへの愛情が溢れた。

弟を守るために何ができるんだろうって、ずっと考えた。



「それにね、お姉ちゃんとーってもつおいの!だってうちのおっきなプーさんにね、踵おと…」


慌ててみくるの口をふさぐ。ぬいぐるみ相手にプロレス技かけてるなんてご近所にバラされたらたまったもんじゃない…。



「はははっ」

愛想笑いで誤魔化した。


強くなるには?なんて抽象的な課題に私が出したのは極めて単純な答えで。

プロレスラーって強くね?って流れで見始めたプロレス中継なわけだけど、すぐに自分にはリングで繰り広げられているような肉体でのバトルは向かないと悟った。なんせ私は運動神経音痴なのだ。マラソン大会なんて常に学年で下から2番目くらいだし、球技なんてボールを受け取っただけで転んだこともある、どうしようもないダメダメな体力無し…。
でもプロレスを見るのは好きになり、技が頭には入っているけれども、この運動神経のなさゆえに、もっぱらぬいぐるみを相手にするしかないわけである。



私に口をふさがれ、もごもごしながら首をかしげ私を見上げるみくる。
そんな様子を見て、
「あらあら」
微笑ましげに黄色い旗を揺らすママさん。彼女に別れを告げ、私はみくるを小学校まで送り届けた。自分が登校するのはそのあと。

本当は、小一なんて一人ででも登校しなくてはいけないんだろうが、入学してしばらくは私が一緒に連れて行くことにしていた。
みくるが心に受けた傷は深く、幼い時に注がれるはずだった愛情を今更ながら受けなくてはならない。

おじいちゃんも、もっと早くにお前たちを引き取れば、なんて泣いていたっけ・・・。

おじいちゃんの元に引き取られてからもう随分とたつ。
ずっと、惜しみなく私たちを育ててくれた。それは、今も変わらない。
老体で子供二人を育てるなんて、決して尋常じゃない苦労。

早くおじいちゃんにもラクさせてあげたいんだよね。

だから、こうやってバイトしてるってのにさー・・・。



私の家が神社であることと、私に妙な力があることが広まってか、休み時間になれば迷える子羊が私の席に集まってくる。

「宮野ー、国語準備室によーなんか変なもんいるみてーなんだよ、ちょっと見てくれや、な?300円やるから!怖くてジャンプ読めねえんだよ、頼むわ!」
仕事しろよクソ先公、という言葉を飲み込んで国語準備室で祈祷をあげ、
「宮野さんお願い!!彼が私に鼻フックしてくれるおまじない教えて!!300円あげるから!!」
てめーどんだけマゾなんだよォォ、という突っ込みをおさえ、まじないの力がある霊符を書き、
「姫子ーパピーの実家から変なモン送られてきたネ。ちょっと見てくれるヨロシ?」
霊現象の依頼があれば駆けつける。
私は声をかけてきたお団子頭の中国人留学生の少女に片手を上げた。
「わかった。放課後お前んち行く」
「ヨロシクアル〜」
去っていくクラスメイトの後姿を黙って見送る。
もちろんお値段は300円以上ですよ、なんて心の中で呟いて。



物心ついたころから、私には妙なものが見えていたり、わかったりした。木の精霊だとか、半透明の女性とか、すれ違った人の後ろに死神のようなモノが見えたことだってある。他の人には見えないし、感じられない。それを身をもって教えてくれたのは、両親だった。「あんた気持ち悪い」「お前は頭がおかしい子供だ」両親は、私が見えたもの感じたもの聞いたものを口に出す度、そう言い放った。言葉の槍だけでなく、実際に拳や重い本などが飛んでくることもあった。それらすべて、彼らはまるで異星の害虫を見るような目でこなすのだ。

一言でいうと、私には霊能力があり、うちの両親には無かった。おじいちゃんは母方の血筋にあたるわけだが、うちのママはそのような力は授からなかったみたい。おじいちゃんの元へ来て初めて、自分の力が何かに役立つのだと知らされた。


だったら。


使ってやろうじゃないか、この見えない力を。


実の親に蔑まれ続けた、この力を。


そういうわけで私は、祓い屋・拝み屋・心霊何でも相談所…もとい霊能力者、になったのである。



―――――――


「どうアルか?」
「『天地開元聖天経文』ねえ・・・」
綺麗な翡翠色の巻物が。その表には、ご丁寧に経文の名称が書かれていた。当然、毛筆で。
手に取って広げてみる。
かびと線香の匂いが鼻をついた。
梵字がずらずらと書かれているから経文には違いないんだろうけど、私にはどの時代の物なのかすらわからない。
「ってか何でも鑑定団に持っていけよ。私鑑定士でもなんでもないんだけど、祓い屋なんだけど。島田伸介に俺も欲しいわぁ〜とか言われてこいよ」
「いやアルめんどいアル」
「面倒事ひとに押し付けんなよ…」
「で、どうアルカ?」
「うーん」
どうと言われても・・・。
「別に人の霊とかは憑いてないよ。ただ、何か大きな引力みたいなのは感じる。経文だからかな?」
「そんなんわかるアルか!すごいアルな!それ、三蔵法師のお経文らしいアル!パピー言ってたネ!」
「嘘くせー・・・」
三蔵法師って西遊記のだよね?
あれはフィクションではないらしいけど、中国何千年の経文が、同じ中国人とはいえなぜこいつんちにあるんだってーの。
「この経文は結構なパワーがあるけど、三蔵法師のってのは嘘だね」
「嘘じゃないアル。パピーの実家の床下収納から出てきたアル」
「なんで床下収納に経文収納してんだよ、らっきょうでも漬けてろ」
私はグラスを手に取り、ウーロン茶をごくりと飲んだ。グラスは空になり、
「お茶いれてくるアル」
「あんがと」
お盆を持って彼女は部屋から出て行った。
みくるが家で私を待っているから、もう帰ろうかなー。彼女が戻ってきたら、質屋にでも持ってって売り飛ばせとかなんとか言って、帰ろうっと。
私は手持無沙汰気味に改めてに目を通してみた。
「…まあ、読めないことはないけど」
この経文にどういった力があるのかわからないから、むやみに口に出さないほうがいいかも。
呪文というのは唱えることによって、己の力を増幅させ、その言葉の持つ力に変換させたり、異界の入り口を開いたり、と様々な効力がある。言葉自体が力を持つ言霊と似ている存在だ。
「しかしこんなん初めて見るわー。うちにある経文とは違うもんなー」
てか、私んちは神社だから知ってるのは祝詞なわけだけど。
だが私は、これでも一応、いろいろな除霊方法を見つけようと自分なりに様々な文献をひも解いてはいるのだ。手を出して三日で飽きるんだけど。よっておじいちゃんには修行不足の目で見られがちである。事実である。
「ううーん」
一体どこの宗派の経文だろう。私の知識じゃ手に負えないなあ。
私は何となく、経文を指でなぞってみた。
指の先から、ひやりとした紙の感触が伝わる。でもこれ、ただの紙じゃない…。
なんだ、この感覚…。まるで清浄の地のような、不思議な感じがする…。
(ああ、聖天……)
ふと、この経文の名前を思いだす。




と、そのとき……
ぱあぁぁーっと目がくらむほどの光―――が、溢れた。
視界が翡翠色の、あでやかな眩しさに塗りつぶされる。
「な、なにこれ……」
経文の文字が翡翠色に輝きだし、それは光を増し、巻物から風と光が吹き荒れ……
「ちょ、ちょ」
光と風に包まれる・・・こ、れ・・・は・・・
「ななななーなーっ!?」
吸い込まれる!!巻物に!!
「いやーーーっ!!!」
そんな声だけの抵抗に何か意味があるはずもなく……。
私は光と風のなされるがままに―――――経文のなかへ吸い込まれた。


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